お役所仕事で太宰治の下宿解体危機

2015-09-25 16:08:25 | 報道

太宰治の下宿解体危機

作家・太宰治(1909~48年)が暮らした東京都杉並区のアパート「碧雲へきうん荘」を巡って、保存論議が起きている。14日には地元グループが、「太宰に会う 又吉に会う~荻窪の碧雲荘を残せるか~」と題した保存を求める講演会を区内で開き、太宰ファンで芥川賞作家のタレント、又吉直樹さんも参加した。

昭和初期に和洋折衷様式で建てられた碧雲荘は、1階が母屋、2階がアパートの造りで、東京郊外の高級下宿のたたずまいを残すとされる。太宰は1936年11月から約7か月、2階8畳間に住み、代表作『人間失格』の原型「HUMAN LOST」を執筆、後の「富嶽百景」にもトイレから泣きながら見た富士山の思い出が描かれている。

杉並区は隣接地と合わせて福祉施設などの整備を計画し、今年4月、区土地開発公社が所有者から敷地約400平方メートルを購入。これに対し、地元の「荻窪の歴史文化を育てる会」(会長・岩下武彦中央大教授)は、「太宰が作家の修業時代を過ごした貴重な文化遺産」として署名を集め碧雲荘の保存や活用を訴えている。

約1000人の聴衆を集めた講演会では、太宰文学に詳しい安藤宏・東大教授が、太宰が同荘に暮らしたのは薬物中毒のため入院した直後で、一緒に暮らしていた女性の裏切りを知り衝撃を受けた時期にあたると説明。「碧雲荘があったからこそ、その後の太宰治の物語がある」と意義づけた。建築史家の松本裕介さんは、「関東大震災後、中央線沿線に下宿屋が大量に作られたが、残っている建物は少ない。実物の一つは残すべきで、碧雲荘は中でも価値が高い」と訴えた。

又吉さんは、古いアパートが好きで14日も碧雲荘のことを考えながら会場に来たという。対談で作家・松本侑子さんが「建物を文学館のような形で残してほしい」と語ると、「そうなったら最高」と話していた。

 碧雲荘の建物は土地の元所有者が現在も持ち、来年4月末までに更地にする契約だ。育てる会の岩下会長は、「日程的には厳しいが、福祉施設の利用者との交流の場などとして活用する道もあるはず」と語る。一方、杉並区企画課では、「区として建物を残すことは考えていない。区内に移築するのも土地の確保や費用、防火関係の法律が厳しいなどの問題があり、難しい」としている


川島なお美さん死去 胆管がん 54歳

2015-09-25 05:42:26 | 芸能

■川島なお美さん死去 胆管がん 54歳


女優の川島なお美(かわしま・なおみ、本名・鎧塚 なお美=よろいづか)さんが24日午後7時55分、胆管がんのため、都内の病院で亡くなった。54歳だった。愛知県出身。

青山学院大学在学中の79年に「シャンペンNo.5」で歌手デビュー。文化放送の深夜番組「ミスDJリクエスト」で人気を博し、82年に日本テレビ系「お笑いマンガ道場」でアイドル的存在となった。

女優としてキャリアを積み、94年に映画「新極道の妻たち 惚れたら地獄」、96年にテレビ朝日系ドラマ「イグアナの娘」に出演。97年に日本テレビ系ドラマ「失楽園」で濃厚なラブシーンが話題となった。

「私の体はワインでできているの」という言葉で知られるように大のワイン好きで、09年にはパティシエの鎧塚俊彦氏と結婚した。

14年に肝内胆管がんの手術を行ったが、15年9月に報道陣の前に姿を見せた際にはやせ細っていて体調が心配されていた。ミュージカル「クリスマス・キャロル」などを降板。代役が決まった際には「完璧に元気になって女優に復帰できるよう当面は治療に専念させていただくことになりました」とコメントを出すなど復帰を目指していたが、叶わなかった。

■川島なお美さん夫・鎧塚氏 全力で生きた「本当に立派でした」

女優の川島なお美さんが24日、胆管がんのために亡くなった。54歳だった。夫でパティシエの鎧塚俊彦氏(49)がフェイスブックで「全力で生を全う致しました」と最愛の妻の早すぎる死を報告した。

鎧塚氏は「本日19時55分妻なお美が他界致しました 一週間前まで舞台を勤め、そして最後の最期まで女優として、女房として、人として全力で生を全う致しました」と記した。

続けて、「なお美を支え応援して下さった皆様方には心より御礼申し上げます。息を引き取るまで川島なお美はやっぱり川島なお美のままでした。本当に立派でした」と敬意を表した。