ドーム付新型風力発電風車が凄い

2015-06-21 15:33:27 | 自然エネルギー

米GEの研究グループが5日に発表したのは、新型風力発電風車の『ecoROTR』だ。

『ecoROTR』は従来の風車の中央に、丸いドームを付けたもので、カリフォルニア州のモハベ砂漠で実験を開始した。

ドームを付けただけ? と言われそうだが、実はこれが今後の風車のスタンダードになるかもしれないのだ。

従来の風車では、風車の中央部分に吹き付ける風はエネルギーに変換できずに逃してきた。つまり、素通りさせていた。

ところがこの部分に丸いドームを追加すると、中央で逃していた風が、中央から外側に誘導されることで、風車を回すエネルギーとして活用できる様になるという。

このアルミ製の丸いドームは直径が18メートルもあり重量も9トンあるが、100トンを超える発電装置全体からすれば、大した負担には成らないようだ。

また、ドームを付ける事で風が風車の中心を通らなくなるため、風車の中央部分の設計や構造を、風の抵抗を気にせずにシンプルにする事ができるようになる。

その結果、巨大化することで高くなっていた設備の移動や設置のコストを削減できることになる。あるいはこれまで設置が難しいとされていた場所に設置できるようにもなるかもしれない。

ドームを風車の中央に取り付けるだけでエネルギーの変換効率は3%向上する。

口径120メートルのプロペラが持っていた発電能力を、

口径100メートルのプロペラで賄えるようになる。

http://nge.jp/2015/06/20/post-107902/2


「原発は安全」思い込みが主因 福島第一原発事故原因

2015-06-21 13:33:50 | 自然エネルギー

自民党と東京電力がズブズブな関係が原因

「原発は安全」思い込みが主因…IAEA最終案

2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所の事故について、国際原子力機関(IAEA)がまとめた最終報告書案が明らかになった。

事故の主な原因は「『原発は安全で、大きな事故は考えられない』という思いこみだった」として、警鐘を鳴らした。報告書は、9月にオーストリアで開かれる総会で了承された後、公表される見通しだ。

福島第一原発事故では、敷地に最大で15・5メートルの津波が押し寄せた結果、浸水で非常用電源が使えなくなり、原子炉内の燃料が溶け落ちる重大事故が起きた。

報告書案は、事故前に東電が津波の想定を再検討し、実際とほぼ同じ規模の津波を想定していたにもかかわらず、追加の対策が取られなかった経緯を指摘。1~3号機の冷却機能を同時に失うことへの備えが足らず、現場も十分な訓練を受けていなかったことを批判した。


大阪のホテルで貴ノ浪さん急死 43歳急性心不全

2015-06-21 12:35:23 | 芸能

大阪のホテルで貴ノ浪さん急死 43歳急性心不全

大相撲の元大関貴ノ浪で幕内優勝2回を記録した音羽山親方(本名・浪岡貞博)が急死した。20日午前、急性心不全のために大阪市内のホテルで倒れ、搬送中に亡くなった。43歳だった。87年春場所に藤島部屋で初土俵を踏み、94年初場所後に大関昇進。196センチの長身を生かした豪快な投げ、つりを武器に大関には37場所在位した。04年夏場所限りで現役引退し、今年2月からは審判委員に起用されて土俵下で目を光らせていた。通夜は21日午後7時、告別式は22日午後0時半から、ともに名古屋市守山区苗代2の1812、平安会館で。喪主は未定。

まだ43歳。若すぎる。あまりにも突然の音羽山親方の訃報だった。三沢市に住む母京子さん(77)に連絡が入ったのは午後1時半ごろだった。「友人に会ってくる」と言って大阪を訪れて、その後に戻った大阪市内のホテルで容体が急変した。病院に運ばれる途中で、息を引き取ったという。

京子さんが最後に会ったのは昨年の盆に帰省したときだった。普段と変わらない元気な様子だったといい、それだけに「見るまでは信じられない。しょうがないです。悔しかっただろうなと思います。これからだったから…。私は年だから、代わってやりたかった」と戸惑いを隠せなかった。

現役時代「にょ浪」と呼ばれて愛された音羽山親方。実は初め、力士になるつもりはなかった。だが、当時の師匠の藤島親方(後の二子山=元大関貴ノ花)から「5年だけ頑張ってみろ。関取になれるから」と説得されて、87年春場所で初土俵を踏んだ。当時の部屋は、三番稽古の後に申し合いを行う猛稽古の連続。入門時に119キロだった体重は、半年で約30キロも減った。そんな稽古のたまもので、4年で十両昇進を果たしたが、親方には「1年遅い」と怒られて絶句した。

セオリーを超越した豪快な相撲が持ち味だった。長身を生かしてクレーン車のように相手をつり上げ、抱え込んで振り回す。ときに酷評もされた取り口は、魅力にあふれていた。同部屋だった若乃花、貴乃花の兄弟横綱らと相撲人気をけん引。94年初場所後、同期の武蔵丸(元横綱=武蔵川親方)と大関へ同時昇進。96年初、97年九州場所と2度、優勝の歓喜も味わった。

その一方で2度の大関陥落も経験した。引退を考えたが「オレにしか取れない相撲を、お客さんに楽しんでもらえたらいい」と耐え忍び、陥落後の在位は通算25場所を数えた。話術が巧みで、明るく心優しき性格の持ち主。そして情にも厚く、涙もろい。03年九州場所で、幕内で史上1位の58度も対戦した武蔵丸が引退した際は、支度部屋でわが事のように号泣した。

心臓に持病はあった。04年夏場所で引退した際は、場所前に不整脈を患って入院。06年にも約2カ月間入院し、一時は心臓も停止するなど危険な状態だった。ただ、京子さんによると、心臓病は完治していたそうで、胃潰瘍の手術をした際も「胃も調子いいんだよ」と話していた。貴乃花部屋で後進の指導に当たり、今年2月からは、審判部へ異動となったばかり。あまりにも早すぎる別れだった。