喜寿をむかえた男の遊々生活!

喜寿を迎えた老人の日々を日記に・・・

田舎暮らしの難しさ

2017-08-07 10:06:23 | 日記
8月5日(土)晴れ
 今朝も6時に起床、ラジオ体操を行い、朝食を摂り、ビデオの撮っておいた
イギリスで行われているリコーカップ女子のゴルフを見て、明日に溝普請や
草刈りなどの奉仕作業があるのに先駆け 私宅の土地ではないが、裏山の草刈りを
行う。 今日が35度と暑く、汗ぐっしょりとなる。

8月6日(日)晴れたり曇ったり
 今朝は5時に起床。朝食を摂り 町の墓地掃除、そして お地蔵さんとか言い
離れた隣保である 我々7・8班の人間にとっては まったく関係のない処の掃除。

 7時過ぎに終えて帰宅すると、こんどは7・8班は溝掃除に道普請とに駆り出され
谷川の草を刈るもの、 また私宅の裏山は”さとやま公園”とやらに数年前に指定
され 動物が入ってこないためのフェンスを設置されましたが、その時の条件として
山道の草刈り、また設置されているフェンスの下部の草刈りを条件としたらしい。
(フエンスを設置しても獣は自由に出てきて 意味をなしていないのですが???)

 作業は9時半に終えて 11時から慣例のBQ大会。 既に7.8班の班長が主になって
バーベキューの用意をし、若い連中が 肉を焼いたり ソバを焼いたり、私達
70歳前後の老人は お先に缶ビールを飲んでいると 焼けた肉を 女性陣や我々
年寄り組に持ってきてくれます。
先日 このような我々 老人組に対して ”何もせずに 上げ膳据え膳で食べている”
との批判を受けました。

 この男 元市役所勤めを行っていたのですが、早めに退職を余儀なくされ、市から
斡旋された仕事に就いているようです。 
少し変人で 何か事あるたび 一言ものを言いたい性分のようです。

 何も知らない人が聞けば ”最も”と思う訳ですが、私も過去に4~5回に班長が順番で
回ってくるので引き受け 色々な行事が有れば7・8班班長と協力し、事業をこなして
来た者です。 役が回ってくれば 仕方なく役職を全うするだけです。
私が引き受けたときのBQ大会の時は雨模様。8班の班長と協力してブルーテントで
屋根を作り、雨を凌いだことも有りました。その時に彼は手伝ったのか?記憶に
ありません。

 だが、田舎暮らしは大変です。私も平成7年の神戸淡路大震災の時に 被災者に
”もう阪神間に住むのは怖い”と店に来られ、当地西脇や、それより奥の田舎の
土地や家を斡旋したことが有ります。

 田舎に住めば 当然の事 付き合いと言うのが有ります。 年に6~7回の溝掃除
や道普請、それに墓掃除、この墓掃除は 村の財産と言い、墓地を持っていない人も
掃除に付き合わされるので 陰でしか言われませんが、墓地を持っていない人は
文句を言います。
 田舎に住めば その上に 協議費とか言う 街から来た人にとっては訳の分からない
金員を求められます。
特に 私が住んでいる野中町は西脇市内でも一番高い事で有名です。
街の方にとっては これに合点行かない。 私は 田舎に移住する方に「都会でマンション
などに住んでいれば 共益費とか言う名目で取られるが それと同様」と説明するの
ですが、 その時は納得されても 田舎特有の 付き合いと言うものに閉口し、移住後
10年も過ぎれば 田舎で買った土地建物を売り払い またまた街に帰って行かれる方が
殆どでした。現在残っている都会の方は 西脇市では皆無。中区加美町で一団の宅地
開発をして街だけの方が住んでいる所だけしか覚えがありません。
田舎の濃い付き合いが 都会の人が敬遠する所以でしょう。

 我が村 野中町も平均年齢65歳以上が半数以上を占め、若い者は学校を卒業すれば
都会に 殆どの者が出て行きます。
そりゃ 仕方がない。働く場所がないのだから・・・ だが、古い連中は 神社や
秋祭りでしか活躍のない 布団太鼓を 守ろうとする。
担ぎ手は居ない。乗り子も居ないと言う現状なのに 保存会と言うものを立ち上げ
残そうとする。
もう少し知恵を働かせ、隣町などと共有で保存することを考えられないのか?
 過去に 野中町では 三弘織物や大弘織物、宮六織物と言った 大手の商社や
織物会社それに関連会社があり、 これ等が全て 村の不足する部分を補ってきた。
時代は代わり、繊維関係の会社は倒産・破産の憂き目に遭い、今では面影もない。

 それなのに未来が見えない人間が町内には多く、全て不足する分は 協議費で取り、
補おうとする。 現在 120戸程度の戸数。 しかし我々がこの世からいなくなる
その先は 数えてみても半数程度は 継ぐ後継者も居なく、無くなっているだろう。
その時慌てふためいても後の祭りである事に間違いない。
こんな村に他所から移住したいと言う人など、皆無であろう。

 他所から見て 魅力あると思われる田舎暮らしは 現在のところ、篠山だけだろう。
あの”デカンショ節”でも有名な所である。
近畿・舞鶴道がついて都会からのアクセスも良いし、歴史もある。

 滝野・社・滝野・小野市の方からよく言われる、織物の盛んな頃は西脇市は魅力と
思っていた。が、今では そのような事はまったく無い。 
そのうえ西脇市は固定資産税が高く 住み辛い。とまで 言われます。
成程、西脇市は 長年 大阪とのつながりが太く、派手な土地柄だった。だから
物価も高かった。今では大手スーパーなどが進出し、物価は低くなった。
市は 米びつ(働く場所)を提供せず、「あかねが丘」などの 開発物件に手を付け
売れ残った 市の持ち分は 当時の来住市長が県などの補助が受けられる制度に
目を付け 「ミライエ」なる図書館を町の端っこに作った。
 また今度の市長は 市役所の耐震性が無い事を理由に 新しい市役所を下戸田地区に
持って行くようである。
我々からは いくらでも利便性を遠ざけてしまっているのかと言う 不満が有るが
日野地区の市会議員の力では できないようである。