思い出したのだ
古い記憶
駆け抜けた時間を
純粋で
とてつもなく信じていたあのときの記憶を
その場所にいるはずの自分を
かきけしたのは自分
その現実さえも共に。
しかしながら
それすら
苦しみや悲しささえもが
物語の始まりでもあるわけです。
心の一部を閉ざしたまんまで
愚かな若い頃の音楽を
ふと
感じる瞬間に
言葉も音楽も甦る時もあるものです。
オルゴールの音色の中には
die Weihnachtspyramide のように
くるくる回りながらともしびをつけた思い出も全て
回っている気がする
桜の花をたくさん集めて
川面に散らして眺めていた
物語はあのときからずっと
心の底辺に流れているものです
もうすぐ桜の季節ですね
空の色が違う
花の色も違う
寒いよ
寒いよ
風の中から
聞こえるときもあるのです
そうしてまた
まっすぐ前を見て
歩き出すわけです。
ついついよみがえってしまうのは
手紙の中の映像を思い出したからでもあります
愚かな若い頃の音楽を
静かに聴くときもあります
作ることは
物語の続きを
紡いでいる自分が
中にいるわけです
後悔でもなく
執着でもなく
そこには新しい自分がいる
それでいいのです
新しい物語を
私は毎日作ればそれでいいわけです。
他に何も要らないですね。
この前北九州市である方に言われた
私は
der waldwandererって書かれる
一人で
ひとりぼっちでさまよってるの?って
そう言われたなあ。
そんなことないや。
私は今
時々迷子だけど
ちゃんと歩いてます
だから
ぶらんこ乗りのフランクは
私のところから離れない
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