先日、多田治氏の「沖縄イメージを旅する」という本を読んだ。
本土からの旅行者が、どのように沖縄を見てきたか、
見られる沖縄の人々は自らのイメージについてどのように考えてきたか、
を歴史的な流れの中で概観した佳作である。
(これは沖縄のみならず、観光地といわれる所、例えば京都でも
“よそ者”の受け入れ方などにずいぶん違いはあるとは言え
同じように発生する問題であるが。)
沖縄に限らず、観光に関心をお持ちの方は
ぜひご一読をおすすめしたい。
さて、自分の場合はどうだったか。
沖縄に行きたいと最初に思った時の衝動は、実際に行ってみて
期待以上の衝撃と感動で応えられた。
しかし、何回か沖縄に足を運ぶにつれ、単に物珍しさや
上っ面の面白さだけでは済まないものを感じ始めた。
大げさに言えば、自分が何のために、どのように沖縄に関わるのか
が問われていた。
そんな一種の“壁”のようなものを感じ始めていた時に、空前の沖縄ブームが
洪水のように押し寄せてきたである。
へそ曲がりで根性なしの私に、「沖縄へ」という衝動を持ち続けることは
もはやありえない事になってしまった。
この2002年の時も、フォトネシアの写真展が無ければ
たとえ1泊2日であっても沖縄に行くことはなかったはずだ。
その2年前、多良間島からの帰路で、機上から
小さくペッタンとした沖縄本島を見て、「もう二度と
あそこへ行くことは無いだろう」と思っていたのだから。
ともかくも現地へ行ってしまえば、写欲をそそるフォトジェニックな被写体は
恐らく一杯転がっているに違いない。
でも、再び沖縄へ行く決心をするには、もう一度内なる衝動、
止むに止まれぬ気持ちになるのを待つことにしたい。
(もしくは、何かの用事の折についでに行くか、だ。)
それまではしばらく、オキナワにさようなら、である。