13日の日曜日、銀塩の質感を味わいたくてTANTO TEMPOの萩原義弘展へ出かけた。
梅田で所用を済ませ、乗り込んだ阪神電車が走り始めたところで、ようやく気がついた。
「そうか、これから神戸へ向かうんだ」
16年前のあの日、グニャグニャになった線路、「日本は大丈夫」と聞かされていたのに横倒しになった高速道路、
瓦礫の山と化した街並み、どれも何もなかったかのように、あたりまえのようにそこにある。
最初の週末の土曜日、当時阪急電車が動いていた西宮北口まで行ってみた。
一応カメラを持っていたが、目の当たりにする光景のあまりの凄まじさに
全くシャッターを押せなかった。
被災地に初めてカメラを向けられたのは、それから半年近く経ってからだった。
自分に何が出来るのか、何をすべきか
まだ明確な答えはない。
ただ、長い闘いの道のりが始まったことだけは確かだ。