ヴァイオリン ~ 雑音ラプソディ ~

50代後半になって突然始めたヴァイオリン。
ヴァイオリンやピアノなど
音楽に関することを綴っていきます。

レッスン:バッハのメヌエット (実はペツォールト作曲)

2019-11-09 | ヴァイオリン
東京はようやく過ごしやすくなり、秋の雰囲気になってきましたが、11月に入って早くもクリスマスツリー🎄がライトアップ。ちょっと早い気がしますけど、1年の終わりを意識させられます。

秋になると困るのは乾燥。といっても、お肌でも喉でもありませんよ。
ヴァイオリン🎻です。
弦楽器は木製ですから、一番湿度変化に敏感です。
ヴァイオリン1年生の私は、梅雨の時期に湿気で弦が緩む、という経験をしました。
一日くらい使わないで置いておくと、弦が若干緩くなっているので、レッスン前は少しだけペグ(糸巻)をきつく締めておきます。そうすると、レッスンでチューニングをする時に丁度よく調整されているので、その場でペグを回さなくても済みます。
ペグは湿気で膨らむので、固くて片手ではなかなか回らないため、プロの方々がやっているように顎で抱えたままチューニングなんてことはできず、テーブル等に置いて調整します。
一方、乾燥する今の時期はこの逆です。
一日置いておくと、弦の張りが少し強くなってくるので、調整しようと、ペグを動かしたり、ちょうど良い音でペグを止めようとすると、ギュルンと巻き戻ってしまいます。下手すると何度もやり直すことになるので、チューニングは梅雨の時より手ごわいです。
以前、家にあったギターの弦が、乾燥でいつの間にか切れていたということがありました。乾燥には注意した方が良いですね。

今週のレッスンの課題楽曲は、鈴木ヴァイオリン第3巻の二番目の曲、バッハのメヌエット1番と2番です。もともとピアノ曲で、誰でも聞いたことがある曲だろうと思います。私も子供自体に弾いていました。曲と雰囲気と同様、ピアノで弾くのは優しいです。
一応バッハ作曲として知られていますが、そう信じて育ってきた人もいると思いますが、またもや、間違い!
近年、クリスティアン・ペツォールトという方が作曲したものだということがわかっています。バッハが奥さんに贈った作品集の中に、これが名無しで紛れていたため、誤解されちゃったという、バロック時代にありがちのいつもの話です。正式にはピアノ用のメヌエットBWV Anh 114ト長調と115ト短調です。 
ピアノでバッハを弾くのが好きではなかった私ですが、この曲をヴァイオリンで弾いていて、バッハって弦楽器で弾くといいなあ、と思い始めていたのに、裏切られた気持ちです。😖

また作曲家の話で脱線してしまいました。レッスンの話に戻ります。
先週のレッスンでは、第3ポジションとビブラートの練習が中心だったため、楽曲に入る時間がなく、この曲は1度通しで弾きましたが、今週のレッスンへの宿題となりました。

このメヌエット、1番については、とても優雅に弾けて簡単です。
問題は2番です。
ひどく難しいわけではありませんが、第3ポジションへの移動や、完全5度と減5度の組み合わせが入ってくるので、練習が結構大変でした。
第3ポジションは2度出てきます。トリルでファミファとやる箇所は、ミはミ♭なので、速く弾くと、指の位置が微妙にズレやすいところです。


次です。完全5度と減5度の組み合わせとなっている場所(赤い枠のところ)です。
最初の2音は、完全5度の印が付いていて、薬指(3番指)でD線とA線の2弦を押さえてスラーで弾きます。
次の2音、減5度の印がついていますが、私の場合、この2音を1本の指で2弦を押さえて弾けば、滑らかに弾けると思ったのですが、そこは、2本の指で1音ずつ押さえて弾かなければいけません、と言われました。 
私の指運びは、3番の指で2音、2番と1番、そして3番と1番です。


右手の弓は、スラーで、ダウン、アップ、ダウンですので、この弓の動きに合わせて、左の指の位置や指運びを見ながら弾こうとすると、何度やってもうまく指が動きません。初めての「弾けない!」不安に陥りました。初見で弾いたときは弾けたのに、なぜ弾けなくなってしまったのか?
そこで、脳のスイッチを切り替えてみました。
運指を意識せずに、普通にメロディーを追って弾いてみようと、頭の中でメロディーを奏でながら弾いてみました。すると、スラッと弾けたのです。
多分、脳科学の領域かもしれないですが、脳からの何らかの指令によって、メロディーを弾こうとする意識が指を動かしたのではないかと思います。
こういう現象はピアノでもあったのですが、すっかり忘れていました。

レッスンでは、ピアノ伴奏を付けてやり直しはしましたが、2回目は自分でもまあまあ納得のいく出来で、先生から〇も頂きました。
次回のレッスン課題は、バッハのガヴォット(ト短調)と、ドヴォルザークのユーモレスクの2曲です。
このユーモレスクの譜面には、第3ポジションの印が満載です。😂 



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ギタリスト ホセ・マリア・ガジャルド・デル・レイ 来日コンサート

2019-11-02 | ギター
Blogのカテゴリーにギターを追加しました。 
クラシックギター、フラメンコギター、ともに音色が好きな楽器です。
クラシックとフラメンコのギターは、見かけは似ていますが違います。
主な特徴の違いは、まず、ボディの厚み: クラシックギターは厚いが、フラメンコギターは薄い。次に、弦の高さ: クラシックギターは高いが、フラメンコギターは低い。
これらの違いの理由は、クラシックギターは、クラシック音楽に重要な音の響きをよくし、余韻を長くさせる必要があるからです。一方、フラメンコギターは、激しい踊りや歌に合わせるため、明るく鋭い、カリカリと歯切れがある音でなくてはいけないので、余韻は長くない方が良いのです。また、フラメンコの方は、右手の指で表板を叩く奏法があるため、ゴルぺ板という透明なフィルムが貼られているのが特徴です。
テクニックで言えば、フラメンコギターの方が超絶に難しいと、クラシックギターからフラメンコに転向した人が言っていました。
自分は弾かないのですが、フラメンコギターについては、仕事でちょっと関わったことがあるので、なぜか詳しいです。 

さて、ヴァイオリンを始める前のしばらくの間、フラメンコ音楽ばかり聴いていたのですが、久しぶりに、クラシックギターの生演奏を聴きました。
ギターといえばスペインですね。

10月30日、スペイン・セビージャ出身のクラシックギタリスト José María Gallardo del Reyが来日し、セルバンテス文化センターでトーク&コンサートが開催されました。

José María Gallardo del Rey (ホセ マリア ガジャルド デル レイ)、1961年生まれ。
クラシックギタリスト&作曲家。 小澤征爾、ジョン・ウィリアムズ、村治佳織等数々の著名な音楽家と共演し、一方で様々なギター曲の作曲を手掛けています。
6歳で母親の勧めでギターを習い始め、9歳の時にセビージャ音楽学校に入学し、クラシックギタリストへの道を歩み始めます。後にアンドレス セゴビア等の著名なギタリストに師事しています。 フラメンコ発祥地のひとつ、セビージャという土地で育った影響で、幼少の頃からフラメンコ音楽は自然と体に入っている。クラシックギタリストでありながら、フラメンコとの関係も深く、フラメンコアーティストとも親交があるそうです。ファリャやグラナドス、アルベニス、ロドリーゴなどスペインの著名な作曲家は、フラメンコの影響を大きく受けていることを強調し、自身が持つフラメンコへの感性を、それらの曲の演奏に反映させているそうです。
ガジャルド氏は、プラシド・ドミンゴやテレサ・ベルガンサ等のオペラ歌手やフラメンコアーティストへの公演指導を行った経験があり、中でも、1990年にパコ デ ルシアによる「アランフェス協奏曲(ロドリーゴ作曲)」の日本初公演とレコーディングの際の演奏指導を任された経験は大きいようです。パコ デ ルシアは、フラメンコギターの奇才と言われるほどの偉大なアーティストでしたが、当時、オーケストラとの共演は初めてで、クラシックには疎かったそうです。

(写真を撮るのに絶好の場所にいたのですが、カメラを向けると、照れくさいのか意識的によそを向くので、撮影のタイミングが難しかったです。😓 )

この日の演奏は、ルネッサンス~バロック時代のスペインの作曲家から、スペイン音楽がフラメンコの影響を受けた19~20世紀の作曲家までの代表曲を、それぞれの時代の解説を交えながら演奏し、最後に、ガルシア ロルカの歌を編集して組曲にした自作の曲を披露してくれました。

演奏曲:
・ルイス・ミラン(1500-1561) パヴァーヌ
・ガスパル・サンツ(1640-1710) スパニッシュダンス
・フェルナンド・スル(1778-1839) メヌエット
・ディオニシオ・アグアド(1784-1849) 教則曲
・フリアン・アルカス(1832-1882)  ソレア
・マヌエル・デ・ファリャ(1976-1946)  ファルーカ
・ホセ・マリア・ガジャルド・デル・レイ(1961- )  ロルカ組曲

作曲家でもあるガジャルド氏の今回の来日の目的は、コンサートではなく別にありました。
来年のスペインのセビージャ交響楽団の企画である、John Healeyの著書「セビージャのサムライ」をテーマにしたシンフォニー公演、の曲作りのために日本の楽器や音楽を研究するためだそうです。
「セビージャのサムライ」とは、約400年前に伊達政宗がスペイン アンダルシアに派遣した慶長遣欧使節団のうち、帰国せずにセビージャのある田舎町に残った武士達がいて、その子孫であると信じている人たちのことが書かれたものと思われます。
日本のメディアで報道されたこともありますが、彼らは、ハポン(日本)姓を名乗り、「サムライの末裔であることを誇り」にしながらそこに暮らし、仙台市との交流を通して日本との関わりを維持しているようです。

いずれにしても、来年発表される予定の、そのシンフォニーが日本で演奏されるかどうかは不明ですが、どんな曲なのか興味深いですね。

そして、ガジャルド氏は、コンサートの締め括りに、是非聴いてほしいと、自分が体験した三味線、琴、尺八等の日本の伝統楽器の、そのサウンドをイメージして自身が作曲したギター曲を2つ披露して下さいました。それぞれの楽器の音の特性を捉えていて、素晴らしい曲でした。




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