朱鷺色の天使

ソロモンオウムをはじめ沢山の鳥さんとの日々、を綴ります。また、元エホバの証人の2世です。そのネタ投下もします。

幸せの断片

2012-01-30 01:37:29 | 日記
私が本当に幼かったころ・・・三歳ごろ・・・エホバに汚染されてなかった頃。親はまともで楽しい思い出が残っています。お盆にお墓参りしたり、ごく普通の思い出です。普通のことが輝いて見えます。何故親はあんな腐れ宗教を信じてしまったのでしょうか。

悲しいというより悔しいです。エホバの証人のクソババアが頻繁に訪れるようになってから全ては狂い始めたのです。クソババアには息子がいたのですが、精神病を発症した時、悪霊がとりついたと大騒ぎになりました。本当にバカだと思います。必要なのは医療なのに。皆さん、こんないかれた宗教に惑わされないで下さいね。

あいまいな態度を取ると必ずつけ込まれます。家に上げるなんてもってのほかです。きっぱり断ってください。

ちなみに危ない宗教は他にもわんさかあるので必ずきっぱりと断ることが大事です。

辛いのはもう沢山です。薬でごまかしながら生きて行くのは金銭的にも精神的にも大変です。記憶は忘れることが出来ないから・・・。

以前、子供の頃のしうちを話し合うために会衆のトップと話し合いましたが、鞭のことなど「そんなことあったっけかな~」と言いました。絶望しました。どうせ子供、録音されているわけでないし、証拠が残らないように「痛みは最大限に、でも痕は残さない」方法で叩いていたから訴訟もできないしとしらをきったんだとおもいます。

親とも何度も話し合いましたががちがちに洗脳されていて無理でした。鞭のことも「なんとなく叩いていた」そうです。なんとなく・・・そんな理由で心病んで・・・悲しいです。もう全てが嫌になりました。

重ね重ね言いますが、宗教は危険です。

赦せない事

2012-01-30 01:04:58 | 日記
今回も重い話なので嫌な方はスルーしてください。

エホバの証人は私から奪えるものは全部奪おうとしました。家は持ち家なのですが、それを売却して寄付するように求められました。父の車も売却してもっと安いものを買うよう迫られました。結局、子供の私が反対して売り飛ばされないですみましたが言葉は悪いのですがけつの毛までむしられる感じでした。

幼い子供に負担はきつく、よく調子を崩したのですが「あんたどこが悪いの?どこも悪いように見えないけど」と他の信者からあざけられる始末。愛なんてどこにもありません。エホバの証人には長老という集会のトップがいるのですがそれになるためには多大なごますりが必要です。きったない社会です。鞭も「アンタは鞭だね」と他の証人が言う始末。そういう自分は鞭などされたこともないお気楽主婦。自分がされたことがない仕打ちを子供にはして「鞭されて育った子はいい子になっているでしょう~」なんてニヤニヤ笑っているんです。信じられないかもしれませんがこれが事実です。

こんなことされて、神様なんて信じられません。死んでも宗教に頼らないと決めています。クソくらえです。

エホバの証人はフランスではカルトに認定されています。ちなみに有名な創○もカルト認定です。日本でも早くカルト認定しないと、犠牲者が増えるばかりです。

私はよく悪夢を見ます。エホバの証人だったころの辛い思い出です。寝るのが怖いです。この前は自分の絶叫で目が覚めました。あまりに辛くて生きるのが嫌になる時がしょっちゅうです。

生きるところも奪われそうになり、私は脅えてばかりでした。あの時、死んでいればよかったのかもしれません。あまりに辛いのです。生まれてこなかったほうがよかったです。こんな目にあうために生まれてきたのではありません。

たくさんの薬を眺める度に、うんざりします。なんでこんな目にあうんだろう。

・・・続きます。

カルトの子

2012-01-28 06:36:59 | 日記
私は脱会を決意しました。しかし相手はまともではありません。甘っちょろい手など通用するわけがありません。結局リストカットを説教中にすることでけりをつけました。ちなみに弟も脱会しています。鞭で子供をコントロールすることはできないことの証明です。

脱会後も精神状態はよくなく、今も通院しています。気をつけないと負の方へ容易に心が傾くので大変です。

ネットをやるようになり、同じ境遇の人々がたくさんいる事が分り、心が軽くなりました。辛い経験を話し合ううちに、少しずつ過去と向き合う事ができるようになりました。でも・・・返ってこないんです。私の子供時代は。

今から幸せになればいい。それが答えなのかもしれません。いや、それこそが正解でしょう。しかし・・・愛されたかった。ないものねだりをしていても前進しない。そうです。でも、あたりまえのささやかな幸せが欲しかった。

私のひな人形も、悪魔のものと言われて燃やされて、クリスマスツリーも邪教だからと燃やされて・・・誕生日も祝わない。一口のケーキを求めるのも大人げなくて情けない事なんでしょうか。

過去をほじくり返してもしかたないことです。取り戻せないものをいつまでも眺めているのはばからしいことでしょう。どんどん時が過ぎていくだけです。しかし・・・辛いのです。

訴訟も考えました。しかし子供時代に鞭というのは証拠がないので難しいとのことでした。抵抗できない子供にそんなしうちをする・・・エホバの証人が憎いです。

苦しみから永遠に解放されるには、自殺しかないと思います。思いとどまらせてくれているのは鳥さんたちです。この子たちのためならがんばれる。感謝です。

みなさん、宗教を侮らないで下さい。宗教は危険です。特にエホバの証人は危険です。彼らは笑顔で訪問してきます。しかしその後ろにはたくさんの犠牲があります。

私は神様はいないと思っています。いたら地球がこんなにめちゃくちゃなのを許さないでしょう。

重い話に付き合って下さってありがとうございました。不幸な人がこれ以上でませんように。


失われた子供時代

2012-01-28 05:41:58 | 日記
今回は重い話なので嫌だな、と思った方はスルーして下さい。

私はエホバの証人の家庭で育ちました。今はエホバを信じていませんし、この宗教を否定しています。それまでには壮絶な日々があったのでした。

エホバの証人は鞭で子供を叩きのめして教育してきました。最近は少しは控えめになったようですが、実際死者も出ている程ひどいものです。まさに恐怖政治です。幼い子供は、親を頼る以外に生きるすべはありません。いくら鞭でぶちのめされようと逃れられないのです。また、週に三回集会という説教があり、そこで少しでも失態したら(私語、らくがき、ぐずる、とにかくロボットのようにしゃんと座っていなければならない)鞭です。一歳ぐらいの幼い子もぶちのめされていました。今では週二回に減らされましたが私が在籍していたころは三回でした。また説教中に質疑応答があり、これに手をあげて参加しないとこれまた鞭です。説教でどんな鞭が効果があるか、どこを叩くかなどのはなしがえんえんなされ、子供たちは恐怖に怯える日々でした。

さらに奉仕活動といってアポなしで近所の家家にエホバの良い便りを述べ伝えるというのをやらされ、それが原因で私は学校でいじめられまくりでした。

私は徐々に精神を病んでいきました。自分は鞭で叩かれる最低の人間で生きている価値がないと思い始め、今振り返ると小学生五年生ごろには完全にうつ状態でした。

エホバの証人は洗礼を受けるのが一つの目標なのですが、うつ状態の私は周りの同年代の子供たちと比べて完全に遅れていました。親はなぜかと迫ります。でも私はこの宗教から逃げたくて、でも働ける年でもなく逃げられずますます病んでいきました。今思うとまともな祖父母に頼るとか逃げ道はあったのかもしれませんが心が鞭で調教されていると身動きがとれなかったのでした。

中学生の頃、新聞奨学生の制度を知りました。しかし、希望の獣医になるにはこの制度は使えないことが分り、失望しました。エホバの証人は大学進学を否定しており、自力で何とかする以外に道はないのでした。私は親の操り人形としていくしかないのだ、と悟りました。洗礼も受けました。心はぼろぼろでした。そうだ、辛い目に遭っているのは自分ではない、もう一人の自分なんだと思うようにもなりました。結局その考えは捨てましたがもう少しで多重人格になるところでした。

大人になっても宗教の縛りは続きます。普通の仕事には就くな、バイトかパートというのです。そうでないと神様に十分奉仕ができないからというのです。自立の道は断たれました。もう限界でした。病院に行きました。バイトも出来ないほど落ち込みました。リストカットも覚えました。拒食しました。あげくのはてに膠原病になりもうずたぼろでした。

立ち止まって振り返ると、私の子供時代は失われていました。過去は取り戻すことはできません。呆然としました。親は私よりエホバを愛したのです。自殺を図りましたが全て失敗に終わりました。いなくなりたい、消えてしまいたい。

心の中に、エホバに対する憎しみが沸いてきました。・・・続きます。

恐怖のカメムシ

2012-01-26 02:19:46 | 日記
今回も字ばかりですみません。恐怖の体験談でも書こうと思います。

以前、父と母の実家がある会津で年を越したことがあるんですが(血族結婚笑)雪がはんぱなく降るんです。雪かきを数時間おさぼりしてしまうと大変なことになるくらいです。昔は電柱が埋まるぐらい降ったそうです。もちろん出入りは二階から。雪だるまを作ってはしゃぐのはせいぜい一日です。あとはもう雪に圧倒されて遊ぶ気になりません。

そんな寒い外より家の中のほうがいい・・・カメムシたちはそう考えていました。押入れの中の布団を出してみたらなんと百匹くらいのカメムシ越冬隊がぬくぬくと過ごしているではないですか!しかも臭い!カメムシの臭いって一匹でも相当なものなのにそれが百匹分ですからね、テロです。

殺虫剤なんて甘いものは通用しないし変に興奮させると余計に臭くなりそうです。スリッパで叩けば効果はバツグンですがやはり臭い。どうしたもんかと考えていたら、母がほうきとちりとりを持ってきました。そしてカメムシたちを掃き集めると外へ出て行きました。そして満足そうにこう言いました。

「カメムシ、雪に埋めてきた!」

哀れカメムシは凍死・・・。

次の日。
カメムシを埋めたところに行ってみました。久しぶりに天気がよくて積もった雪がきらきら輝いていました。肝心のカメムシは・・・

「生きてる!」

奴等は全員無事でした。怒った母はもっと深く埋めなおそうとちりとりでばしばし叩いていましたが、一週間ほどの滞在期間中、雪の中を耐え続けていました。なんという生命力。もしかしたらゴキブリよりもしぶといかもしれません。

それから、雪を見るとカメムシを思い出すようになりました。