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日本初のプロバスケリーグ
「bjリーグ」と日本のバスケを
それとなく応援するブログ。

安らかに・・・

2007-10-03 23:03:00 | Weblog
大手スポーツ用品メーカー、
アシックス(本社・神戸市)の創業者で
会長の鬼塚喜八郎 (おにつか・きはちろう)さんが29日、死去した。
89歳だった。社葬の日程は未定。

鬼塚さんは鳥取県生まれ。
1949年、神戸市で鬼塚商会(当時)を創業した。
77年の3社合併でアシックスを発足し、社長に就任、
92年から会長。連結売上高1945億円、
従業員4230人(07年3月期)の
世界的なメーカーに育てた。
世界スポーツ用品工業連盟会長、
神戸経済同友会代表幹事、
日本バスケットボール協会会長なども務めた。

鬼塚喜八郎さんは、起業の原点を
「戦後、焼け野原で見た少年少女」と語った。
ヤミ商売や非行に走る子供たちに夢を与え、
立ち直らせようと運動靴作りに踏み出した。
この思いが無名の鬼塚商会を
世界的スポーツメーカーに育てた。
創業は1949年3月。
履物の町・神戸の工場に通って
金型作りなどの技術を学んだ。
バスケットシューズ製造では高校の部活動を見学して
改良を重ね、急ストップ・急スタートに対応する
凹型靴底を考案。
鬼塚式タイガーバスケットシューズを誕生させた。
見本を手に西日本一帯の小売店に飛び込み、売り込んだ。

マラソンシューズには空冷式オートバイの原理を応用。
足の甲を覆う部分に目の粗い布を使い、
周りに穴を開けて風通しを良くした。
その成功もあって売上高は10億円近くに達し、
64年に大阪証券取引所に上場した。
また、ローマ五輪(60年)のマラソンで優勝した
エチオピアのアベベ選手が翌年、
毎日マラソンで来日した際にはアベベ選手のホテルを訪ね、
シューズを使うよう説得。
「裸足の王者」は「世界一軽いシューズ」を履き
毎日マラソンを制した。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070930k0000m040125000c.html
アシックス公式 http://www.asics.co.jp/

我々の世代では、バッシュの流行的に、
ナイキは有名になり始め~絶頂期のころなんですが
最初こそかっこいいからという理由でナイキを履いても、
たいていアシックスに戻ってましたね。
丈夫、軽い、ユニにあわせやすいデザイン。
アシックス以外の選択肢は、
エアマエストロとアクセルダンサーしかなかった。

一度でいい、ジャパンやゲッターにふさわしい選手に
なってみたいものだと思いながらも叶わず・・・

本当にご冥福をお祈りします。

そして斜め上のコメント。
報知新聞WEB版より。

蒔苗副会長を軸に運営…バスケ協会 
日本バスケットボール協会の石川武専務理事は30日、
鬼塚喜八郎会長死去を受けて
当面は蒔苗昭三郎副会長を軸に組織運営する方針を示した。
蒔苗副会長は鬼塚会長が体調不良の間、
会議などで会長の代わりを務めた。

日本協会は内紛で評議員会が4度流会する異常事態に陥っている。
石川専務理事は10月末に評議員会を開催する見通しを示し
「正常化させて会長に安心してもらいたかったのに残念」と
話した。