文明化重視から文化再生へ、日本の文化の根源を支える、生業(なりわい)。その再構築にIT技術の導入を

ふゆみずたんぼで生態系保全農業。商工業はIT生産技術。出版はXMLフオーマット、フルバッチ制作で再構築を.

2007-2008年度、関東地方への雁類の渡来状況(3)

2008-01-14 22:43:42 | 利根川下流域に水鳥の大規模越冬地形成
利根川下流に雁や水鳥越冬地の第2極を形成(2) 
2008-1-7現在
1 千葉県印旛郡本埜村の白鳥越冬地では、白鳥群の生活スタイルが一気に変化してしましました。
 この地域には推定800羽を超す総数(うちオオハクチョウが32羽程度)がここをねぐらにしていましたが、最新情報では夜遅くなっても総数が200羽以下の状態に。
 ほとんどが複数個所をねぐらとして戻らなくなったとのことです。
 代わりに12月に入って推定3,000羽といわれるオナガガモが殺到し、白鳥のための餌を横取りし,オオハクチョウもいるために、コハクチョウはほとんど餌にありつけない状況とのこと。

2 いままで、ここにはオナガガモがほとんどおらず、この急な出現には驚きが。
 ちょうど東京都が肥えて飛びにくい鴨「メタボリックガモ」を話題として、鴨への餌付け行為を実質的に禁止してしまった時期とも重なり、なにか符合します。
  結局、上野不忍池では、オナガガモは急減し1/3以下に。1,000羽単位で減少しています。 (どうも東京都は鳥インフルへの警戒が、このような行為となっているのでないかとの意見が多い)

3 ことしは、印旛沼周辺では2番穂に実がきちんと入っています。落ち穂がたくさんあります。そして米価の低迷によって、意欲を喪失した農家が多いのか、いままでになく「耕起」されない田んぼが至る所に出現しています。
 まさに雨が降れば白鳥のえさ場に、それよりもしっかりとしたねぐらが形成できれば、万単位でマガン等が出現しても、少なくとも餌は落ち穂や2番穂が確保できそうだなとかんがえてもいます。
 それらの何箇所かへ、特に栄町の新海さんの田んぼ、及びその周辺には現在はコハクチョウ多数が定着しています。
  自然に取れる米を中心にした餌そのものは、耕起しなければどうもふんだんにある模様です。野生化した白鳥の群れは、2番穂もおちぼもたくさんある状況となってきています。

4 白鳥の野生への回帰は、千葉でみると加速度的に進みだして、かつ自立をしだしています。家族単位でのフアミリーが、まだ5個所程度ですが、印旛沼周辺では気がつきだされて、質問が増えてきました。
 学習という言葉は、中国で白い羽根の家族に学ぶ(白鳥のこと?)と言われるらしいですが、親子の情愛の姿を学ぶという、 ふゆみずたんぼ等を介し、白鳥の自立化を目撃して喜び、そしていろいろなことから「印旛沼の地域の再生はおれたちがやる‥」と、 自立の宣言をする農家の方も出てきています。本当に頼もしい方々です。
  
5 これら、白鳥の新たなねぐら形成が進みだしている個所は、ふゆみずたんぼをはじめとして、ごく自然にそうなってきました。
 でも、その箇所で持主の農家の方と話と、かっての地主さんで、300年から400年以上の歴史を背負った方々ばかりなのに瞠目します。
 地域を自分たちで管理する。当たり前のことに、いま気がつきだして率先して、ふゆみずたんぼにも取り組みだしている方も出だしています。農家の方々の自立が始まれば、これこそ大きなエポックとなるでしょう。   

6 再度記載しますが、利根川下流域の茨城県菅生沼から、新利根町、栄町+本埜村、北印旛沼、香取市堀之内、東庄町夏目の 堰までの白鳥の塒が点状につながって、さらに面となって、そこへいつの間にか雁が入り込んでくる。
 多様なカモやクイナ、サギ類が、そして春や秋の渡りの時期だけでなく、白鳥島と一緒に越冬するタシギやクサシギ、キアシシキ、タゲリなどが入り込んでくれば 素晴らしいなと考える最近です。

7 あくまでも、日本の田んぼ等での生態系は、稲作による年間を通じた湿地形成と、農法に裏打ちされた中規模な環境の攪乱行為にあわせて形成されていると考えられます。
 千葉の里山のケースと同様に、地域のなりわい(生業)として張り付いて生活をしてきた農家の方々の、特に生産物を得るがための攪乱行為があっての生物多様性の発露だと考えています。
 日本の農業は、日本文化の原点でもあり、日本の中小企業でのもの作りありようは農業、特に稲作技術そのものです。

 いま、最も大事なことはこれら400年もの歴史を持ち、地域での指導力を発揮できる地権者の方々を応援して生活手段の再構築を進めてもらうことにあると確信します。

8 日本の白鳥の自立化はとても意味深です。白鳥とは寿命がドックイヤーとして(ほぼ犬とおなじ)、
 日本人の生活ぶりを先取りしてくれる、世界を旅する人間のパートナーとして、対等に付き合ってあげることが,今後の付き合い方だと考えてみたらいかがでしょうか。   

9 キーワードとしては、
ふゆみずたんぼ、不耕起栽培、かっての地域の庄屋(地主)、雁類・鴨類・白鳥の渡来動向白鳥への餌付け、白鳥の自立化、農家のなりわい(生業)の再構築支援、
田んぼを介した地域でのふゆみずたんぼによる湿地の復活。

写真は湯浅一夫さんが、本埜村にて撮影したもの。圧倒的なオナガガモの大群



谷中七福神へ詣でてきました。

2008-01-14 22:20:44 | 東京の街角からモニタリングでわかること
2008-1-14
 本日午前から、上野不忍池を起点として、谷中七福神巡りをしてきました。とても寒い、空はどんよりと曇って、この冬最低温度の日です。これで雨が降れば間違いなく雪となるね…。
 新年の神社を詣でる方々も少なく、ゆっくりと歩きながら待たされることなく、午後3時には、最後の「田端東覚寺」に詣でて無事終わりました。
 でも、40年以上文京区本駒込に住んでいながら、「谷中七福神」巡りをしたのは今回初めて。一度でもお参りしたことのある寺は、弁財天と最後の東覚寺だけで、ほかの5個所は初めての訪問でした。とてもゆったりとした、歩く距離としても最適で、来年再度めぐってみようと考えています。
 
 いただいたしおりには、「七 福 神 の お 話」として

 江戸時代から、正月に七福神詣でといって、不忍池弁才天・上野護国院の大黒天・谷中天王寺の昆沙門天・谷中長妥寺の寿老人・日暮里修性院の布袋和尚・日暮里青雲寺の恵比須・田端東覚寺の福禄寿の七福神に詣でることが盛んに行われ、別に山の手七福神・向島七福神へ詣でることも行われるようになったとのことです。
 天海僧正が、初めて家康公と会見されたとき、公は後に天下を治め給う福徳を具えた吉相をお持ちだと申し上げ、果してその予言はは適中し征夷大将軍の栄職に就かれました。
 その後後年、天海僧正は家康公に「公の御生涯は全く長寿・富財・人望・正直・愛敬・威光・大量の七福を具え給うにより、困難な天下統一の大業を完成され、平和な国土を築かれたが、これは神様で申し上げると丁度寿老人の長寿・大黒天の富財・福禄寿の人望・恵比須の正直・弁才天の愛敬・毘沙門天の威光、布袋の大量の御徳を表わしたものと云うべきである。」と申し上げ、家康公は大層お悦びになり、早速狩野法眼を召されて七福神の絵を画かれ、これが七福神誕生の起源とのこと。
 探幽画の七福神は忽ち評判となり、全国に模写して宣伝され、芽出度い宝船に乗った縁起のよい七福神は世人の最も喜ぶところとなって、絵画は勿論彫刻や陶器に至るまで作られ普及されるようになりました。宝船に一緒に集めたのは私どもの一身の上に七徳が具わることを現したものでありましょぅ。社会の荒波がいかに狂うても、七福の徳を具備すれば愉快に此の世を渡り、目的地に進むこ とが出来るのです。
 印度で信仰された大黒天・弁才天・毘沙門天に中国の寿名人、福禄寿や布袋和尚も加わり日本の恵比須神も共に組合わされて七福神として、この七徳は人生に欠くことの出来ない要素であるのでご利益を願うこととあって、七福神がそれぞれお持ちの七福徳を一身に具え、明るい楽しい生活を送りましょう。
 とありました。ちなみに谷中七福神とは、以下7か所です
①弁才天(愛敬)上野不忍池
②大黒天(富財)上野護国院
③毘沙門天(威光)谷中天王寺
④寿老人(長寿)谷中長安寺
⑤布袋尊(大量)日暮里修性院
⑥恵比須(正直)日暮里青雲寺
⑦福禄寿(人望)田端東覚寺



 

印刷産業の不振、それはIT技術とのギャップ(3)

2008-01-14 21:53:04 | 組版プロの思考からXMLを考える
2008-1-14
 しかし、組版を含めてプリプレスでは、一体技術者や技能者はどこにいるのでしょうか。大手印刷会社に伺っても、これはという情報処理技術者にはなかなかお目にかかれないのが実情です。

 100人以上の人材を抱えながら、フルバッチレベルでも理解できている方は、1人かゼロ
の状態としか言えない惨状でもあります。
 末期的というには余りに厳しい状況で、やむおえず、現在、これはという会社の技術者にお越しいただいて、マン ツー マンで、お話やご指導をしている状況です。
 あっという間に、IT技術の中に溶け込んで、跡形もなくなるような状況とも考えられます。7兆円とも10兆円市場とも言われた大きなスケールの組織体が、どうしてここまで。

 逆にいえば、本来最も重要なドキュメントベースでの情報管理に関して、一般企業や行政・研究所等と、前向きな話し合いを持とうと思っても、印刷サイトに偏った形でアプローチをすると、先方が一気に冷めてしまって、「お宅は印刷屋か」と、距離を置かれてしまう現状もあって、とても困っているのも事実です。

 特殊な製造技術を有する会社とか、しかもその分野で全国規模で3位以内の実績を持つとか、サービス産業に徹して、特定の業界の事務局機能を一手に請け負って、年間予算でトータルなサービスを提供するなど。最近ではBrogの情報加工サービスを一手に引き受けるとか。あくまでも経営者の能力によって大きな格差が生じています
 
 これらのミスマッチは、農業技術でのお米にかかわる、消費者の冷めた感覚
ととてもよく似ていると、最近思ったりしています。
 江戸時代の初期から農業一本で、生きてこられたプロの家系だから、再構築の可能性があるとしたら。