藤沢デジ1通信

藤沢から新潟に引っ越したデジタル一眼カメラ好きが送る日々の記録。デジカメ初めてもう13年になるが、まだ、初心者レベル。

「肩の荷」をおろして生きる

2011-05-15 11:49:09 | 


【2011/05/14 10:31:31.00, Nikon D90, 50mm F/1.4G, 50mm, F/1.4, 1/250秒, 0段, ISO 200】

 先週の木曜日(5月12日)に某IT会社のユーザ会に参加し、東工大准教授、文化人類学者の上田紀行氏の講演を聴いた。テーマは、氏の著書のタイトルにもなっている『「肩の荷」をおろして生きる なぜ日本人は、幸福になれないのか。』 

 私自身、文化人類学には、全く興味はないし、文系の先生の話なので、ほとんど期待はしていなかったが、結果は、◎(二重丸)。いや~、勉強になった。上田氏は、1958年生まれ、私と同い年で同じ時代を52年間、生きて来た方、そして、奥様はNHKアナウンサーの武内陶子さん、いとこには春風亭小朝さんがいるという自己紹介から話に引き込まれた。話がうまかった。分かりやすかった。

 大学の講義で「人間は使い捨てだと思う人は手を挙げて」という問いに大半の学生が手を上げた衝撃的な事実、海外から帰国したときに見て感ずる「肩に何か重いものを載せているかのように背中が丸まった表情の冴えない日本人」、日本は、今回の大震災で亡くなった方々よりも多い3万人以上の自殺者を毎年生み出し続けている、みんな知ってはいるが改善できない事実、を引き合いに、日本中に漂う不安感、不信感、そして不幸せ感の原因と解決策(ソリューション)を仏教の縁起(全てのものは関係性の上に成り立っている)、四諦(したい)(苦集滅道:苦には、原因があり、その原因を解決するソリューションをイメージし、行動する)を引用しながら明快に説明してくれた。

 人間が夢を持てるのは、年金等のような見えるセイフティーネットと、いざという時は誰かが助けてくれるという支えや絆、所謂見えないセイフティーネットがあるからこそ。日本は、年金制度の崩壊と新自由主義的な効率至上主義によって、そのどちらもなくなってしまった。特に日本人は、他人の評価に過敏なのに合わない新自由主義を取り入れてしまったこと、とりわけ弱い人を追い詰めて居場所をなくしたのが問題と指摘。夢を持てない社会だからこそ、幸せを感じない、肩の荷が重いという状況になっているそうだ。

 一方で、肩の荷が全て悪いというわけではなく、「背負いたい肩の荷を背負っていた時代は、背筋が延びていた。いまの人はそういう喜びをあまり知らないし、教育もされない。けれど何の責任も負わない生き方は人間と呼ばない。」とも。まさに、同感。最近仕事をしていて、これはつくづく感ずることだ。

 さて、欧米はどうかというと「支え」の役割を宗教がしっかり果たしている。日本人は、自分の宗教は仏教だと思っていても葬式の際にお世話になるものだとしか思っていないし、よく知らない。昔、高校の倫理社会の授業で仏陀の本を読み、少しは勉強したが、私も似たようなもの。少し前なら、会社が宗教に代わる役割を果たしていたが、今は、効率至上主義によってそれもなくなってしまった。釣りバカ日誌の浜ちゃんの存在を認めてもらえないほど余裕がなくなってきたのである。

 こんな状況だから社会への不信、それゆえの利己的行動、そして絆の喪失が発生してる。繰り返されてきたこの悪循環をやめ、信頼を回復することなしには、日本の第三の敗戦からの復興はない。社会で起こっているいろいろな事件、会社の変貌、そこに働いている人たちの状況を見ていると、本当にうなずける話であった。

 上田氏は、この状況を打破するためには、今回の大震災を契機にし、他の社会的弱者にしわ寄せが行かないような配慮の下で徹底的に被災者の救済が必要と説く。そして、その救済を日本の未来を背負う、子供達に見せていくことが我々の使命だそうだ。

 良い種をまけば、必ず芽を出し、明日咲くかは分からないが、いつかは花が咲く!頑張ろう、日本!

p.s. 講演の後、この本『「肩の荷」をおろして生きる』を買った。上田氏のサイン入り。まだ、読み終わってませんのであしからず。

   昨日の5月14日(土)のつぶやきは、こちら  

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