風に吹かれて

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花里(松茸料理)

2010-09-26 08:42:43 | インポート
友達から9月は松茸食べに行きたいねとリクエストがありました。

丁度タイミング良く情報誌に上大岡の「花里」の広告が出ていて「松茸料理コース」が出ていました。
上大岡の「花里」はずぅーと昔に2,3回行った事が有りました。

普通の住宅をレストランにしたお店でお庭を眺めながらのお食事は気分が良く料理も素材を吟味して身体に良さそうな料理でしたが、料理の内容から見ると値段が高い気がして、疎遠になっていました。

でも、あれから10年以上も経っているのにいまだに営業していると言う事は、やはり良いお店なのかな?と今回はそこに決めました。

素敵なお庭を眺めながら料理も美味しく値段もまあまあでした。
これなら、又来ても良いかな。と思いました。






お庭のこんな景色を見ながらのお食事は気分が良いです。



前菜




今回はテーブル席でしたが前回はここから見える和室でした。



コメント (6)
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鎌倉「宝戒寺」と「和さび」

2010-09-22 06:44:18 | インポート
お寿司屋さんの「和さび」は3年前に鎌倉にお勤めの知人から教えてもらって以来私の一番好きなお店です。
何回か行きましたがいつもお昼でした。

知人からも夜のお任せコースは良いよと聞いていたのですが夜鎌倉まで行くのは・・・と今まで行った事がありませんでした。

前回行った時にはご主人から是非夜来て見て下さいと言われました。
何回か一緒に行った仲間にご主人にそう言われたと話したら「是非行きましょうよ」と言う事になり今回行って来ました。

美味しいお通しや一品料理が握りの前に出てきて握りだけのお昼とは又違った美味しさで満足でした。

折角鎌倉に行くのだから行く前に「宝戒寺」の萩を見てから行かないと言う友達の案で八幡様からゆっくりと歩いて宝戒寺へ行き12000歩歩きました。



先日倒れた大イチョウが根っこの部分を移植されて元気に根付いていました。



もとの場所には残った根っこからひこばえが育っていました。



「宝戒寺」の萩




たち葵



ジンジャーの花・・・とても良い匂いがしていました。



「和さび」の前菜・・・いいだこ、ほや、つぶ貝、まぐろの酒盗、あん肝


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恵林寺(えりんじ)(山梨)

2010-09-08 21:37:26 | インポート
先日スカイツリーを見に行った時に寄った甘味処「船橋屋」でそう言えば何か応募して来ました。
当たったのは山梨県の日帰りバスツアーです。

今までにも山梨の日帰りの旅は抽選に当たって2度ほど行きました。(1回はクリーニングやさん、2回目はスーパー)
もう3度目だし行くところの宝石工場やわさび漬けセンター、ワイン工場等はもう行きたくないので行くのはやめようかなと思いましたが、たったひとつまだ行っていないところが含まれていました。

それが武田信玄の菩提寺「恵林寺」です。

お寺は大きな木が有るし好きな場所です。

それ以外にも昇仙峡、影絵の森美術館はまあ何回行っても良いかなと言うところですし・・・
なにしろ、ただですから、バスの中では居眠りをして日頃の寝不足を解消すればいいし・・・・
思いきって行って来ました。

集合場所から現地に着くまでは小雨が降っていましたが、現地では歩く時は殆ど曇りで連日の猛暑も影を潜めて観光に支障はありませんでした。
帰って来てニュースを見てびっくり!
こちらは結構大雨だったようですね。

恵林寺も良かったし昇仙峡の仙ヶ滝も水量が多くて見応えがあったし影絵の森美術館はファンタジックで素敵な絵を堪能しておまけに竹久夢ニや山下清の懐かしい絵も展示されていて良い時間が過せました。

歩行数・・・・16000歩


四脚門<国重要文化財>
黒門を入り参道を上がると四脚門(赤門)が現れます。
この赤門は織田信長により全山焼かれた後、徳川家康によって
再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。



「安禅不必須山水減却心頭火自涼」
(あんぜんかならずしもさんすいをもちいず
しんとうめっきゃすればひもおのずからすずし)
快川和尚の遺偈(ゆいげ)が掛けられている門が、
県の文化財に指定される三門です。
武田氏を滅ぼした織田軍は恵林寺に押し寄せ、潜伏保護されていた者達を
引き渡すよう快川和尚に命じましたが拒否され、怒った信長が三門に
快川和尚はじめ約百人の僧侶らを封じ込め火を放ちました。
天正十年(1582年)快川和尚、壮絶な火定(かじょう)遂げた際の一句です。



三重の塔



昇仙峡の仙ヶ滝


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