美術の学芸ノート

中村彝、小川芋銭などの美術を中心に近代の日本美術、印象派などの西洋美術。美術の真贋問題。広く呟きやメモなどを記します。

小川芋銭の「かひ屋」と『古文真宝』

2019-06-22 22:55:00 | 小川芋銭
芋銭は『古文真宝』を読んでいたのだろうか。
 
芋銭の『草汁漫画』41頁に「かひ屋」の一文がある。飼屋とは、蚕を飼うための小屋の意である。この本の春の部、その目次の題目では「蚕飼」となっている。
 
「かひ屋」の絵には、「何の日そ蠶生るる月かしら」の句が添えられているが、この句は北畠健氏の研究によると、芋銭の句でない。
 
ところで、「かひ屋」の文には、「満城綺羅者是蠶を養ふ人にあらず」と書かれている部分がある。これは、『古文真宝』に見られる蚕婦詩に対応している。
 
『古文真宝』に出てくる無名氏の詩、「蚕婦」に「遍身綺羅者 不是養蚕人 」とあるからだ。
芋銭では「満城」となっているが、これを「遍身」とすれば、全く同一の語句と言ってよい。しかも、この詩と並んで『古文真宝』には、李紳の「憫農」が見出されるが、これも芋銭は、画賛として用いている作品を残している。
 
芋銭は、先に掲げた語句に続けて、こう言っている。
「三越白木に出入り貌の都乙女は、よも蠶婦の苦労を知り給はぬなるべし」。
 
『古文真宝』の蚕婦の詩の作者は、実は、作者不詳ではなく、丹羽博之氏によれば、張兪であると今日では知られている。
そして、芋銭のこの一文は、張兪の蚕婦と同様に、綺羅者、すなわち芋銭の場合、「三越白木に出入り貌」と、蚕を養う人とを対比させているのは明白であろう。
 
芋銭の蔵書に『古文真宝』があったかどうかは、私はまだ未確認であるが、このような一文が『草汁漫画』にあることからすれば、その可能性も斟酌していいと思う。芋銭の蔵書について既にどなたかご存知なら、ご教示頂きたい。
 
(『古文真宝』には、他にも芋銭がその作品で用いている詩句があるが、張兪の「蚕婦」と同様、これらが、この書からの直接的な引用であると、私は主張するものではない。他の書からの引用であることも、もちろん考えうる。重要なことは、芋銭が張兪の「蚕婦」を明らかに知っていたということである。)

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