唐招提寺を訪ねた後、奈良公園の方に向かい興福寺に行きました。阿修羅(Asura)
の像に対面したかったのです。


北側の産道から入っていきましたが、先ず見事な五重塔に眼を見張りました。
木造の五重塔では、京都の東寺のものに次いで二番目の高さだそうです。焼失
などを繰り返され5回も再建されてきたそうです。



小雨が降っていましたから雨にけぶって黒ずんで見えます。
五重塔は何故五重なのか分かりませんが、三重の党や七重の塔もありますから、
奇数が使われることが多いようです。
境内は、2010年の平城京遷都1300年に向けて中金堂の修復工事が始まり
まだ建築されていないので、寂しい感じでした。南金堂を望む写真です。
右側に中金堂が再建されます。

興福寺は平城京遷都710年に藤原不比等が建設した奈良四大寺の一つです。
不比等は藤原家の祖といわれる人です。

修復に向けて境内の図面も掲げられていました。明治元年の神仏分離令により、
廃仏毀釈が始まり興福寺も大変な打撃を与えられ奈良公園の一部とされるなど
の暴挙にあったそうです。人間のやることの恐ろしさを感じます。五重塔も
売りに出されたとか・・

国宝館に入り待望の阿修羅の像にご対面。阿修羅は古代インド語のAsuraから
来ていて、Asu(生命)を与えるもの(Ra)の意味であったり、非(a)
天(sura)にもなったり、全く異なった性格になる神のようです。

ううむ複雑。人間の複雑性を現しているのかな。像は三面六臂。顔は魅力的で
確かに善に見えますが、悪の形相に変化する予感も感じました。見事な像です。

国宝館には阿修羅像以外にも多くの国宝が陳列されていて、眼を楽しませてくれ
ました。小さな像ですが、有名な鬼の像二体です。持っている灯の重量さえ感じる
筋肉表現の素晴らしさに感動しました。阿吽の仁王像も見事でした。

興福寺を後にして参堂を戻ると鹿のいる公園です。雨に濡れながら静かに佇む
鹿の姿に平穏を感じました。今回の天平の甍を感じる奈良はこれでお終い。
また、今年の年末訪ねようと思います。


<<Tiger Fun Japan Culuture>>

の像に対面したかったのです。



北側の産道から入っていきましたが、先ず見事な五重塔に眼を見張りました。
木造の五重塔では、京都の東寺のものに次いで二番目の高さだそうです。焼失
などを繰り返され5回も再建されてきたそうです。




小雨が降っていましたから雨にけぶって黒ずんで見えます。

五重塔は何故五重なのか分かりませんが、三重の党や七重の塔もありますから、
奇数が使われることが多いようです。
境内は、2010年の平城京遷都1300年に向けて中金堂の修復工事が始まり
まだ建築されていないので、寂しい感じでした。南金堂を望む写真です。
右側に中金堂が再建されます。


興福寺は平城京遷都710年に藤原不比等が建設した奈良四大寺の一つです。
不比等は藤原家の祖といわれる人です。


修復に向けて境内の図面も掲げられていました。明治元年の神仏分離令により、
廃仏毀釈が始まり興福寺も大変な打撃を与えられ奈良公園の一部とされるなど
の暴挙にあったそうです。人間のやることの恐ろしさを感じます。五重塔も
売りに出されたとか・・


国宝館に入り待望の阿修羅の像にご対面。阿修羅は古代インド語のAsuraから
来ていて、Asu(生命)を与えるもの(Ra)の意味であったり、非(a)
天(sura)にもなったり、全く異なった性格になる神のようです。


ううむ複雑。人間の複雑性を現しているのかな。像は三面六臂。顔は魅力的で
確かに善に見えますが、悪の形相に変化する予感も感じました。見事な像です。

国宝館には阿修羅像以外にも多くの国宝が陳列されていて、眼を楽しませてくれ
ました。小さな像ですが、有名な鬼の像二体です。持っている灯の重量さえ感じる
筋肉表現の素晴らしさに感動しました。阿吽の仁王像も見事でした。


興福寺を後にして参堂を戻ると鹿のいる公園です。雨に濡れながら静かに佇む
鹿の姿に平穏を感じました。今回の天平の甍を感じる奈良はこれでお終い。
また、今年の年末訪ねようと思います。



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