怒涛の雑誌攻勢についていけない私。
インタビューも全部を熟読できていない。
それでも“違い”を感じることがある。
「送り手」である木村っちのクレバーさ。
単独インタビューなら、その雑誌の色にちゃんと染めて受け答えしている。
読者層を把握した上で答えているのがわかる。
同じ内容の質問をされているだろうに違いが出ている。
木村っちに単独インタビューできるのは特別なことらしい。
以前に雑誌の編集さんがいつもは合同だから緊張したって後記で書いていた。
その合同インタビュー。
『FLIX』や『スクリーン』等は合同インタビューのようだ。
それは20社にはなるらしい。
その中でも『FLIX』の記事が出色。
いちばん木村っちの受け答えを誠実にそのまま表現しているのではなかろか。
同じ話を聞いても、勝手に意味を脚色したり、
妙に自分の思い込みで口調を変えたりしている雑誌もある。
ライターさんは最初の「受け取り手」であり、
私達に対する「送り手」でもある。
まぁ中間業者、運搬者でもあるわけだ。
誠実で確実なお仕事をして欲しいもんだ。
「受け取り手」は読者である私もそうだ。
ここでも十人十色。
受け取り手によって意味がまったく違ったりする。
(それは仕方のないことなんだけどね…)
とりあえずじっくりと読んだ『CUT』のインタビュー。
ロッキング・オン色のある男性インタビュアーが素敵。
編集長さんなんだよね。
「負けず嫌いは才能」なんて言ってくれる男性で、
なかなかに木村っちを理解しようとしてるし、解釈の仕方も好き。
決して上に見ることもなく見下げることもなく。
同じ地面に立ってインタビューしている感がある。
俳優としての木村っちが好きだし、もっと映画に出て欲しいのだなって感じる。
かといって、俳優に集中するって宣言を導きたいわけでもないと思う。
(宣言できないワケも知っている編集長だろうし。)
このインタビューに歯がゆさを感じた人もいるみたいで驚いた。
俳優として意志が固まっていない。アイドルに固執していると思えるそうだ。
木村っちの凄く充実した確固たる意志を感じさせる答えなんだけどな。
アイドルではない、俳優としてやっていきたい。
そう宣言することに何も意味はないのに。
自分は俳優だとか凝り固まる方がずっと怖いし脆いと思う。
木村っちの柔軟な精神は「なんでもアリ」な役者としての証拠だろうし。
片足重心は辛いっすよ。
それに木村っちにとっては俳優は“出演部”というスタッフの中の一部。
自分が俳優で俳優としてやっていく決意宣言なんて意味ないっすよ。
しっかし、木村っちってまだ30代半ばなのに老成しているなぁ。
山田監督がおっしゃってた通りの印象を『CUT』のインタビューから受けた。
骨太なのに柔軟性がある。
あの若さでよくもここまで自分を俯瞰で見れるものだわ。
自分の発言の影響力もちゃんと理解しているし。
熱く俳優論を唱える俳優さんもいるけれど、
そんな風に凝り固まっていない方が私は好き。
でも、もちょっと我侭になっていいんだよって声をかけたくもなる。
まだまだ若いんだからね。
(追記)
「歌と踊りには限界がある。」って発言に対する皆様の反応がいろいろ。
限界までやってないじゃんとか、
“限界”なんて寂しいこと言わないで~とか、
歌を否定するのは止めてとか。
私の解釈では、意欲だとか好き嫌いの問題ではなくて、
ただ単に音域と体力(もしくは年齢的な運動能力)の限界の話だと思うっす。
どう訓練したって出ない音域はあるし、
今更そこを目指す特訓もないだろし。(オペラ歌手じゃないんだし。)
ダンスにしたってね…自分で体力的な衰えはちゃんと把握してるでしょ。
日頃のレッスンと鍛錬でステージではバッチリでもね。
やっぱりプロダンサーだって胸張れる程にはなれんでしょ?
要は歌とダンスは身体的な限界が絶対にある分野。
その点、演技はそれがない。
映画やドラマは「上限のない共同作業」。
そういうことを語っているのだと思うんすけど?
インタビューも全部を熟読できていない。
それでも“違い”を感じることがある。
「送り手」である木村っちのクレバーさ。
単独インタビューなら、その雑誌の色にちゃんと染めて受け答えしている。
読者層を把握した上で答えているのがわかる。
同じ内容の質問をされているだろうに違いが出ている。
木村っちに単独インタビューできるのは特別なことらしい。
以前に雑誌の編集さんがいつもは合同だから緊張したって後記で書いていた。
その合同インタビュー。
『FLIX』や『スクリーン』等は合同インタビューのようだ。
それは20社にはなるらしい。
その中でも『FLIX』の記事が出色。
いちばん木村っちの受け答えを誠実にそのまま表現しているのではなかろか。
同じ話を聞いても、勝手に意味を脚色したり、
妙に自分の思い込みで口調を変えたりしている雑誌もある。
ライターさんは最初の「受け取り手」であり、
私達に対する「送り手」でもある。
まぁ中間業者、運搬者でもあるわけだ。
誠実で確実なお仕事をして欲しいもんだ。
「受け取り手」は読者である私もそうだ。
ここでも十人十色。
受け取り手によって意味がまったく違ったりする。
(それは仕方のないことなんだけどね…)
とりあえずじっくりと読んだ『CUT』のインタビュー。
ロッキング・オン色のある男性インタビュアーが素敵。
編集長さんなんだよね。
「負けず嫌いは才能」なんて言ってくれる男性で、
なかなかに木村っちを理解しようとしてるし、解釈の仕方も好き。
決して上に見ることもなく見下げることもなく。
同じ地面に立ってインタビューしている感がある。
俳優としての木村っちが好きだし、もっと映画に出て欲しいのだなって感じる。
かといって、俳優に集中するって宣言を導きたいわけでもないと思う。
(宣言できないワケも知っている編集長だろうし。)
このインタビューに歯がゆさを感じた人もいるみたいで驚いた。
俳優として意志が固まっていない。アイドルに固執していると思えるそうだ。
木村っちの凄く充実した確固たる意志を感じさせる答えなんだけどな。
アイドルではない、俳優としてやっていきたい。
そう宣言することに何も意味はないのに。
自分は俳優だとか凝り固まる方がずっと怖いし脆いと思う。
木村っちの柔軟な精神は「なんでもアリ」な役者としての証拠だろうし。
片足重心は辛いっすよ。
それに木村っちにとっては俳優は“出演部”というスタッフの中の一部。
自分が俳優で俳優としてやっていく決意宣言なんて意味ないっすよ。
しっかし、木村っちってまだ30代半ばなのに老成しているなぁ。
山田監督がおっしゃってた通りの印象を『CUT』のインタビューから受けた。
骨太なのに柔軟性がある。
あの若さでよくもここまで自分を俯瞰で見れるものだわ。
自分の発言の影響力もちゃんと理解しているし。
熱く俳優論を唱える俳優さんもいるけれど、
そんな風に凝り固まっていない方が私は好き。
でも、もちょっと我侭になっていいんだよって声をかけたくもなる。
まだまだ若いんだからね。
(追記)
「歌と踊りには限界がある。」って発言に対する皆様の反応がいろいろ。
限界までやってないじゃんとか、
“限界”なんて寂しいこと言わないで~とか、
歌を否定するのは止めてとか。
私の解釈では、意欲だとか好き嫌いの問題ではなくて、
ただ単に音域と体力(もしくは年齢的な運動能力)の限界の話だと思うっす。
どう訓練したって出ない音域はあるし、
今更そこを目指す特訓もないだろし。(オペラ歌手じゃないんだし。)
ダンスにしたってね…自分で体力的な衰えはちゃんと把握してるでしょ。
日頃のレッスンと鍛錬でステージではバッチリでもね。
やっぱりプロダンサーだって胸張れる程にはなれんでしょ?
要は歌とダンスは身体的な限界が絶対にある分野。
その点、演技はそれがない。
映画やドラマは「上限のない共同作業」。
そういうことを語っているのだと思うんすけど?