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ITニュース、ほか何でもあり。by KGR

ITニュースの解説や感想。その他、気になる話題にもガンガン突っ込む。映画の感想はネタばれあり。

ジャンクとダウ船とティー・クリッパー

2008-02-15 13:26:25 | 趣味
昨日、放送大学のアジアの移民関連の授業の話を書いた。

その中で、列強植民地時代以前のアジア交易についての講義があった。

すなわち(講義では時代について触れられなかったが)
中国とインドそしてアラビアとの交易だ。

古くから交易の中継地として、アラビア半島の南端のアデン、
マレー半島のマラッカが発展していたらしい。

アラビアと中国間は夏冬の季節風を利用して進むのだが、
半年では行きつけないため、次の(翌年の)風待ちが必要で、
結局、片道1年半近くかかったと言うことだった。

配布された資料に、中国のジャンク、東アフリカのダウ船の写真があり、
どう見ても帆走性能が悪そうだったので、
ジャンクでせいぜい横風、ダウ船に至っては追手しか走れんだろう、
と言ってしまった。

ところが、資料写真のジャンク船やダウ船は長い歴史の中のほんの一例のようだ。

ダウ船は本来、ラテンセイル(三角帆)で、
現在使われているダウ船の写真を見る限り、横風でも十分使えそうだ。
しかも、その起源は紀元前と言われ、
8世紀ごろからアラビアと東は東南アジア、中国、南はアフリカ南部まで
交易をしていたらしい。
当時は季節風を「ヒッパルコスの風」と呼んでいたと聞けば、
ああ、聞いたことがあるな、と思う方もおられるかも知れない。

一方のジャンクは漢字では「戎克」と書かれるが、これは当て字で
もともと中国語の「船」が訛ったものだそうだ。
多くの種類があるようで河川や沿岸用から外洋航海可能なものまで幅広い。
また、13世紀には沖縄からインドネシアまでをカバー、
14世紀にはインド、アラビア半島からアフリカまで航海し交易していたようだ。

当時の交易ルートは「海のシルクロード」と呼ばれ港市国家の発展ももたらした。

このころ、東西に行き来に1年以上かかっていたのは事実のようで、
後に登場するティー・クリッパーなどの高速帆船とは比較にならないほど遅いが、
それでも陸路よりは高速、安全、大量に物資を運べたようだ。

ついでに言うとカティ・サークで有名なティー・クリッパーは、
インドからお茶を運ぶ船で、もともとはアメリカの高速帆船が始まり。
当時、南米をぐるうっと回ってアメリカの東西海岸を行き来していた船が、
大陸横断鉄道の開通によって衰退し、インド洋貿易に使われ始めた。

これに、刺激を受けて多くのイギリス製の高速帆船が作られた。
最も有名なのは、最速と言われたサーモピレーと、
それと死闘を演じた最後の高速帆船カティ・サークである。

これらのクリッパーたちはティ・クリッパー登場前、
1年半から2年かかっていたインド-イギリス間を
4か月足らずで行けたらしい。

その後は、スエズ運河ルートの蒸気船に押されて衰退し、
オーストラリアからのウール・クリッパーとして活躍したが、
オーストラリア-イギリス間を2ヶ月半で航海し、
蒸気船より速かったという。

ダウ船とジャンクについて
もう少し事前に調べておけばよかった。


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