堀江氏「来襲」の波紋 テレビ界への挑戦状 (朝日新聞) - goo ニュース
今回の件で、なぜ私が既存TV局に批判的な立場をとるのか、自分なりに整理してみる。
ニュース番組の(バラエティでニュースを扱うものも含めて)視聴率はどれくらいだろう。
仮に簡単のために、25%とすると(そんなにはないだろうけど)
1/4の人が見たということになる。
とすると、3/4の人は見てないわけだから、重要なニュースは繰り返しやる必要がある。
単純に言って、同じ内容を4回やっても初めて見る人がいることになる。
また、背景の複雑なもの、新しい用語などでは、ニュースだけでなく、その解説も何回もやる必要がある。
また、他局でやっていても自局でやっていなければやらざるを得ない。
時間帯も考えて扱う内容、扱い方を変えて繰り返しやる。
ニュースは、(面白くないから、視聴率が取れないから、広告代を安くせざるを得ないから)枠が限られるので、短時間の中に効率よく入れるとともに本数もしぼらざるを得ない。
どうしても関心の高い、話題になりやすい、手っ取り早いものに集中しがちとなる。
かくして、「サー」とか「まぶしー」とか本質を外れたニュースばかりがオンエアーされる。
その結果、見たいときに見たいものが見られない。
例えば、昨日から今日のスポーツニュースで、松井秀樹の連続ホームランを何度見たことか、
朝青龍が岩木山のぶちかましを受け止めて寄り切るシーンは何回見たか。
でも田口はどうだったか、高津は、只野は。
イチローのインタビューも(あったはずだが)流さない、いや流せない。
琴欧州は、白鵬は、高見盛の取り組みが見たくてもいつどこのニュース番組でやるか判らない。
人気力士ですらこうだ。
自分のひいき力士は、地元出身力士は、新聞で見るか、わずかにNHKで放送されるのを見るか。
今流れているものがダメとは言っていない。
ニュース全体の時間配分を考えると皆が見たがるもの、放送する時点で話題性の高いものに限られるのはしょうがない。
結果として、同じものが繰り返し放送される割りには、欲しい時に欲しいものが得られない。
誰が見るか判らないものを、どんな時でも流せるわけがない。
多くの人が見るもの、見たがるものを流す、それが放送だ。
まさに、それこそが特質であり、それこそがマスメディアの限界なのだ。
ニュースだけでなく、ドラマもバラエティも同じようなテーマで同じような内容になる。
これは今の放送局のビジネスモデルのスキームに留まる限り、宿命的なものだ。
水戸黄門や朝の連ドラといった(良い意味での)マンネリズムが生活の規範にはならない。
TVが生活のパターンを提供していく、といった考え方では衰退する。
これで、デジタルになり、音が良くなり、画面がきれいになって、局数が増えても、見る人は増えん。
多種多様な趣味、好み、興味、見たい時間帯、見たい内容に合わせて情報提供できる、しかも安く。
それがネットの強み。
ネットは、マスコミュニケーションではない、単なるニッチなメディアではない。
マスコミは、一歩先、二歩先どころか、足元を良く見ないと転ぶよ。
今回の件で、なぜ私が既存TV局に批判的な立場をとるのか、自分なりに整理してみる。
ニュース番組の(バラエティでニュースを扱うものも含めて)視聴率はどれくらいだろう。
仮に簡単のために、25%とすると(そんなにはないだろうけど)
1/4の人が見たということになる。
とすると、3/4の人は見てないわけだから、重要なニュースは繰り返しやる必要がある。
単純に言って、同じ内容を4回やっても初めて見る人がいることになる。
また、背景の複雑なもの、新しい用語などでは、ニュースだけでなく、その解説も何回もやる必要がある。
また、他局でやっていても自局でやっていなければやらざるを得ない。
時間帯も考えて扱う内容、扱い方を変えて繰り返しやる。
ニュースは、(面白くないから、視聴率が取れないから、広告代を安くせざるを得ないから)枠が限られるので、短時間の中に効率よく入れるとともに本数もしぼらざるを得ない。
どうしても関心の高い、話題になりやすい、手っ取り早いものに集中しがちとなる。
かくして、「サー」とか「まぶしー」とか本質を外れたニュースばかりがオンエアーされる。
その結果、見たいときに見たいものが見られない。
例えば、昨日から今日のスポーツニュースで、松井秀樹の連続ホームランを何度見たことか、
朝青龍が岩木山のぶちかましを受け止めて寄り切るシーンは何回見たか。
でも田口はどうだったか、高津は、只野は。
イチローのインタビューも(あったはずだが)流さない、いや流せない。
琴欧州は、白鵬は、高見盛の取り組みが見たくてもいつどこのニュース番組でやるか判らない。
人気力士ですらこうだ。
自分のひいき力士は、地元出身力士は、新聞で見るか、わずかにNHKで放送されるのを見るか。
今流れているものがダメとは言っていない。
ニュース全体の時間配分を考えると皆が見たがるもの、放送する時点で話題性の高いものに限られるのはしょうがない。
結果として、同じものが繰り返し放送される割りには、欲しい時に欲しいものが得られない。
誰が見るか判らないものを、どんな時でも流せるわけがない。
多くの人が見るもの、見たがるものを流す、それが放送だ。
まさに、それこそが特質であり、それこそがマスメディアの限界なのだ。
ニュースだけでなく、ドラマもバラエティも同じようなテーマで同じような内容になる。
これは今の放送局のビジネスモデルのスキームに留まる限り、宿命的なものだ。
水戸黄門や朝の連ドラといった(良い意味での)マンネリズムが生活の規範にはならない。
TVが生活のパターンを提供していく、といった考え方では衰退する。
これで、デジタルになり、音が良くなり、画面がきれいになって、局数が増えても、見る人は増えん。
多種多様な趣味、好み、興味、見たい時間帯、見たい内容に合わせて情報提供できる、しかも安く。
それがネットの強み。
ネットは、マスコミュニケーションではない、単なるニッチなメディアではない。
マスコミは、一歩先、二歩先どころか、足元を良く見ないと転ぶよ。
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