2017/8/30、109シネマズ木場。
3番スクリーンは304席と木場では最もキャパの多いスクリーン。
観客の年齢層はかなり高い。
これだけ年齢層が高いのは「剣岳、点の記」以来かもしれない。
原作は司馬遼太郎の「関ケ原」。
同氏の「戦国三部作」また「家康三部作」の一つと言われるそうだ。
現在販売されている文庫本は、上、中、下、三巻合わせ1577ページにわたる大作。
これを2時間半に収めようと言うのだからかなり大変であることは想像に難くない。
*
岡田准一、役所広司、平岳大、有村架純、東出昌大、滝藤賢一、中越典子、キムラ緑子、伊藤歩。
*
冒頭は関ケ原の戦い(慶長5年9月14日、西暦1600年10月21日)の前日。
翌日の決戦を前に、戦いの場となる関ヶ原を視察する石田三成(岡田准一)、島左近(平岳大)。
*
物語は、時を遡り、幼少の三成と秀吉(滝藤賢一)の出会いのエピソードを紹介。
秀次切腹事件に軽く触れた後、秀頼を溺愛する秀吉のせいで
正室の北政所(きたのまんどころ=関白の正室の称号、寧『ねい、ねね』、キムラ緑子)と、
淀殿(茶々『ちゃちゃ』、和田菜々)の反目を織り交ぜて進み、秀吉の死後、
天下取りを目論む家康(役所広司)と三成の勢力争いを丁寧に描いていく。
秀次の眷属(けんぞく、一族、親族)の斬首刑に絡んで、
三成と初芽(有村架純)と島左近(平岳大)の出会いが示され、
その後の三成と家康の心理戦、謀略合戦を描いていく。
そして、豊臣側の防波堤となっていた前田利家(西岡徳間)の死去によって、
事態が大きく動き出すことになる。
「関ヶ原の戦い」の結末自体は万人の知るところではあるが、新たな解釈の下
各武将、各人物の生きざまを描く。
*
石田三成ほど、題材によって違う評価で描かれる人物も珍しい、と
毎回書いているような気がする。
文献によっても書かれ方が違うようだ。
時代劇映画は歴史ドキュメンタリーではないので、監督/脚本家の独自解釈や
独自論理、設定があっても構わない。
たとえ史実と違う展開/結末であったとしても良いと思うし、
想像(創造)があっても良いと思う。
ただ、やはり歴史大作を2時間半に収めようとするのは多少無理があった。
丁寧に描きたいのは分かるが、焦点を絞って特に前段はもっと端折っても良かったかも。
例えば、秀吉と三成の出会いの茶の湯のエピソードを後段、当人たちの会話で示すのであれば、
序盤の寺のシーンは端折れた。
端折るにしてもナレーションを挟むやり方はどうなのかな、と思った。
原作者の心情などで映像にできない部分をナレーションにするやり方もいかがなものか。
3番スクリーンは304席と木場では最もキャパの多いスクリーン。
観客の年齢層はかなり高い。
これだけ年齢層が高いのは「剣岳、点の記」以来かもしれない。
原作は司馬遼太郎の「関ケ原」。
同氏の「戦国三部作」また「家康三部作」の一つと言われるそうだ。
現在販売されている文庫本は、上、中、下、三巻合わせ1577ページにわたる大作。
これを2時間半に収めようと言うのだからかなり大変であることは想像に難くない。
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岡田准一、役所広司、平岳大、有村架純、東出昌大、滝藤賢一、中越典子、キムラ緑子、伊藤歩。
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冒頭は関ケ原の戦い(慶長5年9月14日、西暦1600年10月21日)の前日。
翌日の決戦を前に、戦いの場となる関ヶ原を視察する石田三成(岡田准一)、島左近(平岳大)。
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物語は、時を遡り、幼少の三成と秀吉(滝藤賢一)の出会いのエピソードを紹介。
秀次切腹事件に軽く触れた後、秀頼を溺愛する秀吉のせいで
正室の北政所(きたのまんどころ=関白の正室の称号、寧『ねい、ねね』、キムラ緑子)と、
淀殿(茶々『ちゃちゃ』、和田菜々)の反目を織り交ぜて進み、秀吉の死後、
天下取りを目論む家康(役所広司)と三成の勢力争いを丁寧に描いていく。
秀次の眷属(けんぞく、一族、親族)の斬首刑に絡んで、
三成と初芽(有村架純)と島左近(平岳大)の出会いが示され、
その後の三成と家康の心理戦、謀略合戦を描いていく。
そして、豊臣側の防波堤となっていた前田利家(西岡徳間)の死去によって、
事態が大きく動き出すことになる。
「関ヶ原の戦い」の結末自体は万人の知るところではあるが、新たな解釈の下
各武将、各人物の生きざまを描く。
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石田三成ほど、題材によって違う評価で描かれる人物も珍しい、と
毎回書いているような気がする。
文献によっても書かれ方が違うようだ。
時代劇映画は歴史ドキュメンタリーではないので、監督/脚本家の独自解釈や
独自論理、設定があっても構わない。
たとえ史実と違う展開/結末であったとしても良いと思うし、
想像(創造)があっても良いと思う。
ただ、やはり歴史大作を2時間半に収めようとするのは多少無理があった。
丁寧に描きたいのは分かるが、焦点を絞って特に前段はもっと端折っても良かったかも。
例えば、秀吉と三成の出会いの茶の湯のエピソードを後段、当人たちの会話で示すのであれば、
序盤の寺のシーンは端折れた。
端折るにしてもナレーションを挟むやり方はどうなのかな、と思った。
原作者の心情などで映像にできない部分をナレーションにするやり方もいかがなものか。
本作は、後半の戦いの場面をあれほど力を入れて描いているのですから、もう少し丁寧に説明するようにして、見る者に戦いの進展ぶりがよくわかるようにしてもらえたらなと思います。その代わりに、おっしゃるように「前段はもっと端折っても良かった」という感じで、特に「序盤の寺のシーンは端折れた」感じがします。
寺のシーン、初芽との出会い、忍者同士の抗争は端折ってもいいかもしれません。
セリフが聞き取りにくいのが私だけじゃなくて安心しました。
はっきり言って、なんて言ったのかわからないこともしばしばでした。
所詮、歴史的に負けた側はよくは描かれぬものです。
忍者とのからみは必要以上に多い気がしました。
一般に親しみ易くしようとしたのでしょうね・・・。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」ですからね。
全体を丁寧に描こうとしてかえって散漫になった気がします。
初芽を忍者とした関係上、忍者同士の軋轢もどうしても入れたかったのでしょうが、忍者の会合など、なくても良かったかも。