みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

自然崇拝の神道と解脱の仏教

2018年09月04日 | 俳句日記


古墳に関する私のブログを読んで、旧知
の読者から韓国の西南部にある前方後円
墳の画像が送られて来ました。
半島にもあるではないか⁈と。

私は、こう回答しました。

『日本史年表の3.4Cを開いて下さい。
369年倭国の大軍、百済と同盟して新羅
と戦い任那支配を確立するとあります。

391年、応神天皇は百済が離反したので
再び出兵して百済.新羅を下し臣とする。

421年、倭王讃(応神天皇)、宋の武帝から安東将軍倭国王の称号を受けます。
安東将軍とは宋の東、即ち半島を安んじ
る軍司令官という意味です。

更に451年、倭王済(反正天皇)は宋の特使
から、倭.新羅.任那.加羅.辰韓.慕韓六国の
諸軍事の称号が与えられます。
諸軍事とは鎮守府という意味です。

478年、武(雄略)は六国の大将軍となる。
さらに格上げされたのです。

つまり、この時代には日本は高句麗を除
く朝鮮を、軍事的に安定させる役割を宋
から期待されていました。
宋にとって都合がよかったのでしょう。

当然、皇族を長として駐屯軍がいます。
その方々の関係する墳墓だと言われ、だ
から一代限りの古墳群なのです。
築年も5C後半〜6C初めと一致します』

どうやら、彼はそれで納得してくれたよ
うですが、韓国は色々と説を立てて認め
ていないようです。
慰安婦問題と一緒です。

閑話休題、ここで気になるのが墳墓の事
ですので祭祀にまつわる宗教観です。
前方後円墳が倭国統一のシンボルであっ
たことは明白な事実です。

ならば、埋葬祭祀の宗教的背景はどうだ
ったのでしょう、気になりませんか?
ここのところに論を絞った書物に、私は
まだ出会っていません。

明日からその辺りを探って見ましょう。
久々にレヴィ=ストロース博士にご登場
頂き「野生の思考」と宗教観を展開する
ことになるかも知れません。

8月4日〔火〕 晴れのち曇り 台風の余波
午前中は秋晴れの空が広がり、
台風の影響か程良く風があった。
部屋を通り抜ける風がこれまでになく
心地よく調べものが捗った。

昨日買ったレモンをキッチンの籠に
入れていたら、風が幽かに香を運ぶ。
「あれま!」と嬉しくなった。

〈檸檬香を 幽かに運ぶ 風は友〉放浪子
季語・檸檬(秋)