[博多山笠]
3月25日 早朝出勤して事務所内の整理に掛かる。思えば22年間の戦いの跡である。
この事務所が三代目の根拠地であった。創業したのは平成7年阪神大震災の年の9月、
思いでは尽きない。友人からの起業のさそいがキッカケであった。
何事も独立創業というと勇気がいる。幸い私には応援してくれる先輩や仲間がいた。
それでも、一人になると風荒ぶ原野に裸で立っているような気がしたものである。
四十も半ば近くになっての独立であった。しかも畑違いの越し方からの転身でもある。
それまで事業を起こすなどとは思いもしないところにいた。
手にするものそれぞれに記憶を呼び覚ます魔力がある。概ね格闘の跡である。手を止め
ると意識が引きずり込まれるような感覚に襲われるが負けてはいられない。負けると記憶と
共にその時の疲れがどっとよみがえることを知っているからである。「断捨離」とは
よく言ったものだ。また歩き出すには何事も捨てるに限る。
そんな中でも、楽しい思い出の品には見入ってしまうことがある。博多山笠の「赤手拭」と
「八番山 中洲流」の掛札が出てきた。私は、二十代の後半から八年間、この山笠に参加
させてもらった。鎌倉時代から800年近く続く、国の重要無形民族文化財であり、
ユネスコの無形文化遺産登録の博多の夏の風物誌である。
「赤手拭」は「あかてのごい」と発音する。掛け声は「おっしょい」という。
「おっしょい」がこれまた「日本音の風景100選」に選ばれている。いずれも方言である。
この祭りを博多商人たちは、それぞれの町内に「流れ」という社中をつくり、代々守って
きた。すべて自治の働きである。男達はたとえ遠方に住んでいてもこの時は帰ってくる。
帰ればステテコに流れごとの長法被をはおり、雪駄ばきで往来を闊歩する。手には
信玄袋が小物入れとしてぶら下げられる。長法被は伝統模様に染められていて、流れ
の制服であり、いわば正装であるから6月1日から7月15日までの山笠の期間中は
どのような行事でも、これ一つで参列できる。山笠が終わると博多は梅雨が明ける。
山笠の様子はネットで詳しく紹介されているから是非見て欲しい。「山笠があるけん
博多たい!」というお菓子の宣伝があるが、その通りである。この祭りで博多は活気づく。
博多の男達はこの祭りで大人になっていく。日本が存続する限りこの祭りも続いて行くに
違いない。私は博多の生まれではないが、この祭りで大人になったような気がする。
<芽立どき 人それぞれの 祭り哉> 放浪子
四月七日(金) 雨のち晴れ
帰って六日目、母より小包
下着届く、大正の女は強い。
ライン操作にようやく慣れる。
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