みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

固有の文化と国際理解

2019年04月02日 | 俳句日記

大濠公園の初夏の空

4月2日〔火〕 快晴 西風やや強し

先日テレビのインタビューに女学生が「元号」なんて必要ないと応えていました。
「あらら、ここにも戦後教育の犠牲者がいる」
この方は国際社会では通用しません。

人類と動物の違いは「原語」の有無に有ります。
直立歩行により前足が変化して手となり、手を使う事で脳が発達して伝達原語を手に入れた。
原語は次第に語彙を増し「ことば」となった。

ここまでは小学校までに習いますよね。
そして「ことば」はより複雑な事象の伝達をする為に「思考」の領域を広げます。
つまりは「概念」の組立てを始めるのです。

すると認識出来る時空が一挙に広がり、「文字」
による共通認識と記録による伝承が行われます。
それがその集団の固有の「思惟方法」として定着して行くのです。

「思惟方法」とは考え方のクセみたいなもので、
それに基づき固有の「文化」が生み出されます。
「宗教」も文化の一つですから同じ教義でも地域
性が生じて、厄介な事になっているのです。

無理に変えようとすると血が流れることを歴史が証明しました。
「伝統や道統」と言われるほどに長く続いて来た「文化」は一朝一夕には変わらないのです。

その事を欧米の知識人は嫌という程知りました。
元々彼等は自国の歴史と文化を語れない欧米人を相手にしません、知識人の資格がないのです。
我々カラーは最初から埒外でした。

20世紀末はその価値観が変わって来たのです。
レヴィ・ストロース博士の「野生の思考」の貢献は凄いものがありました。
ある意味日本は博士によって救われたのです。

世界のどの様な国も自国の歴史と文化を堂々と語れる時代が進行しているのです。
そんな時の「譲位」と「元号」なんですから日本人はこの機会に大いに日本を語るべきです。

日本人は偏向報道と偏向教育により自信を失って来ました。
今取り返さなければ世界の知識人に置いていかれますよ。

明日はこの文脈で「元号」の効用を書きます。

〈西風に 耐えて誉の 桜かな〉放浪子
季語・桜(春)





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