みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

昭和天皇の願い

2017年09月17日 | 俳句日記

もう、26年も前の事だから、写真の光景をテレビで目の当たりになさった方は、
30才を超えていらっしゃるはずだ。
湾岸戦争勃発のバクダッド上空である。

昭和天皇は、戦後最大の課題であった東
西冷戦の終結を、見定められるようにし
て御隠れになられた。
東西冷戦の構造を心配なさってらした。

事の起りはゴルバチョフの登場である。
昭和60年3月、チェルネンコの突然の
死によって、彼は54才という若さで、
ソビエト連邦の指導者となる。

彼が掲げたグラスノスチ(公開の意味)は
軍備競争を終結に導く施策であった。
第一歩として、就任早々彼はレーガンに
首脳会談を呼び掛けて対話が始まる。

会談は難航するが、ゴルバチョフは2年
後の昭和62年11月、公然とスターリン批
判を表明して、12月、米ソの中距離弾道
ミサイル全廃条約の締結に漕ぎ着けた。

背景には、軍備競争の疲れがある。
だが、スターリン批判のその日に鄧小平が、総書記を降りた事を考えると、中共
への根回しもあったはずだ。

もしかしたら、レーガンがゴルバチョフ
に対して条約締結の条件として、全共産
国家に送るよう指示したメッセージ及び
踏み絵であったのかもしれない。

翌年5月ソ連はアフガンから撤退した。
すると、次から次と世界の至る所で冷戦
構造の崩壊が始まった。
この時、世界人類は肩の荷を降ろした。

その翌年1月に 天皇は防御される。
6月、中共では学生達が民主化運動を起
すが、中共軍に押し潰されて数万の犠牲
者を出した。(天安門事件)

8月、ハンガリーの鉄の壁が撤去されて
東ドイツの国民がオーストリアへ逃る。
11月、ベルリンの壁が崩壊、12月に米ソ
は冷戦の終結を世界に宣言した。

共産国家と、自由主義国家の力の対決は
無くなったかに思えた。
ところが、それまで大国の影に隠れてい
た独裁国家が蠢き始める。

平成2年6月、リビアのカダフィは自国
の研究者に核とミサイルの開発を指示。
イラクのフセインは、石油の利益を求め
て、クエートに進行する。

国連は、直ちに無条件撤退を通告。
イラクが無視したので、対イラク武力容
認決議を採択するに至る。
撤退期限切れのその日、空爆を開始。

1991年、平成3年1月17日未明、湾岸戦
争が勃発した。
のちカダフィもフセインも殺された。
今の北鮮の状況に良く似ている。

〈無情とは 思えど世間の 秋は秋〉放浪子
季語・秋

9月17日〔日〕雨
台風は知らぬ間に通り過ぎたらしい。
半島の騒動もそうであって欲しい。
もう寝る。