「平和と人権」 「八重山」 情報 PT.1 アーカイブ

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★ 琉球新報・沖縄タイムスの4・28特集

2013-04-26 17:31:14 | インポート

4月24日 琉球新報
4・28「主権」を問う特集      
 
1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約の発効により、沖縄、奄美を含む南西諸島は日本から切り離され、米国の統治下に置かれた。日本は主権を回復する一方で、沖縄統治を米国に委ねた。日本の独立と引き換えに始まった米国統治によって沖縄は軍事要塞と化し、住民の命や人権、財産は脅かされた。

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4月25日沖縄タイムス
4・28あの時紙面では

講和と街の表情 疑問や願望秘め(1951年9月10日)
       

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1951年9月10日の紙面。奄美大島の状況も書かれている

海のはるか彼方で「講和條約」が調印された。これは戰争國が仲直りする平和回復の條約であり、今まで尾を曳いてつゞいた戰争状態に終止符を打つものである。われわれの頭上から砲弾のさく裂する音が消えて早や七年、國際的怪しい雲行の中にではあるが、今度こそわれわれの前に本格的平和の幕が展かれようとしている。

きのうの那覇の街は、講和條約が調印されたことにも表面無感動なとらえどころのない表情だ、と見うけられた戦火がおさまつて六年もの間、政府の施策や日常生活にも「暫定措置」だとか「仮建築」など、何かしらおちつかぬものを感じつゝ講和條約さえすめば、はつきりした目標のもとに復興の歩みが一段とすゝめられるだろうといわれ、こゝ数ヵ月は特に帰属問題の論議が盛んで、ひそうなまでに日本復帰運動がなされていた。

こうして迎えた一九五一年九月九日、であつたのだが「講和條約調印さる」といち早く貼られた街の速報ビラに立ち止る人はごく僅かなものだ、おヒル過ぎ開南附近では数人の若者が、速報に見入っていたが、國際劇場前は電柱に貼られたビラがだらりとさがつて、今にも風に吹き剥がされそうだつた。

バス停留所の速報にだつて視線を長く止める人は少い、バスに乗り降りする人ごみや道いく人この那覇の顔も動きも一見しただけではいつもと變りなく、國際間の微妙な空氣の間から生まれた「信託統治」という複雑な様相が、そのまゝ沖縄人の間にもちこまれたのか、すつきりしたモメントを〓することは難しいと思われた。この理由はいろいろあるだろうが。

連日の報道で信託統治は既定の事實として受けとられ、いまも米國の占領治下だから、大きな変化はないだろう、というもの、また、この結果が、身近に表われてくるのは、日米信託協定後で、いまのところ、雲を掴むようなものだから、もちまえの樂天性でお茶をにごすのだという見方等々がある。きのう、那覇のある圖書會社で居合せた書店主や教育者、劇場主に信託統治の話をもちかけたら。「主権は日本にある、と明示されたゞけでもホッとしますよ、教育面でも“従前通り”になりそうですから、戰前と殆んど變りないわけでしょうね」。「通称貿易をもつと自由にして貰わぬと、本の返本がきかないから滞蔵するばかりで!」。「そうですよ、私の商賣だつて、日本へ注文しても、船の積み荷に手間どつて、時期おくれになつたりする」。「一体金は弗を使わせるのですかねー」。いつまでたつても結論の出ない問題だけに、いつしか税の話に變つていつた。無感動にさえ見える人々の心の底にいは、こういつた疑問や願望が、まだまだ尾をひいてたたえられているのは拭いきれないものだといえよう

平良知事聲明 米琉の理解を深め 所期の目的達成へ

琉球人の運命を託する對日講和條約は昨暁午前三時五十五分歴史的調印終了によつてこゝに沖縄は信託統治と決定されたがこれについて平良沖縄群島知事はきのう次のような聲明を發し、全住民に對しその所信を瞭らかにした。

對日講和条約は大体に於て日本に好意的のものであると思われるが、琉球を信託統治に置くようにしたことは、日本國民としても遺憾に思うているだろうと察するが、とくに日本復帰を熱望してやまない大多数の琉球住民を失望させた事と思う。

しかしアメリカが、かゝる措置を採るに至つたのは専ら現下の國際情勢にかんがみ戰略的見地より出たものと思われる、されば信託統治下に置かれるにしても、これが實施面に於て日本復帰の要因をなしている住民の希望は最大限度に取り入れられるであろう事を期待するものである、琉球に對して日本が形式的の主権を持つということがダレス大使の演説で確認されたということであるが、これは琉球の將来に大きな示唆を與えたものだと思う。今後は益々米琉相互の理解を深め充分なる強力の下にわれわれの希望が達成せられるよう努力しなければならないと思う。

※平良知事 当時の沖縄群島政府知事の平良辰雄氏

信託統治と琉球 講和調印後の観測と希望(1951年9月10日)

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1951年9月10日の紙面

對日講和條約の調印に伴い一應琉球諸島がアメリカの信託統治下におかれる予想が確定的となつたが、信託統治下におかれた場合、琉球の將来はどう動いてゆくかに住民の關心も向けられている、一般的に「信託統治は國連の承認が必要で、たといこの提案がソ連により拒否されて正式に信託が成立しない場合でも當分アメリカの主権行使が認められ、行政、立法、司法ともにアメリカの行うところとなる、そしてその後に來る情勢に應じて新たなる協定の下に琉球と日本側との妥當な關係が考案されるだろう」と観測されているが何れにしてもアメリカの統治下におかれるだろうことは予想される、それでは、この講和を機として琉球はどう動いてゆくか、そしてどう云つた政策が要請されるか……こゝに次の問題点を拾つてみた

[政治]姿が判然とするのは米日間の信託協定 目前の關心 參議選挙
現在琉球統治の根本原則は昨年十二月五日付でスキャップより副長官宛送られた指令に述べられている琉球が米國の信託統治下におかれることが最終的に決定された場合新たに結ばれる信託協定によつて琉球の統治が行われることになるがこの協定がどう云つた性格をもち、右の指令内容がどう改廃されてゆくかに問題の焦点がある、右の指令の内容をなすものは國連憲章第十二章(国連信託統治制度)の第七十六條の精神に沿うたものであり、それ故に信託協定も、またそれからくる指令の改廃も基本方針においてこの線を出ないだろうとの見方が一般には強い

この想定の下に立つとき、さしあたつて中央政府の組織がどうなつてゆくかに政界の關心も寄せられているが、右指令では「民主々義の原理に基き立法行政、司法の三機關による自治」と明記され「能う限り速やかに中央政府樹立に關する規定を設けねばならぬ」と指示されている、即ち中央政府は立法、行政、司法の分立した三権を行使する機關を有し、これが民主々義の原則によつて設立されるわけで、近く立法院参議を公選するのもこの方針のあらわれとみられている

主席の公選? 二つの見方がある
こゝで問題となるのは主席の公選があるかどうかであるが、これには二ツの見方があるようだ、その一ツは三権分立の原則から主席も當然公選されるだろうとの見方で、これに對し、他の見方は他の民主國例えば英國や日本は議會が首相を選擧しているし、一方、米國が現在統治している地域即ちハワイ、アラスカ、グワム、ポリトリコでは統治國の任命となつている、更に軍は参議の公選を明示しているが、主席については差し控えている關係から、公選はないか或はあつても相當期間遅れるとの見方をとるものである

右に關連して一應関心がもたれているのは、群島政府の將来はどうなるかと云うことであるが、スキャップ指令では市町村單位の自治機構、地方単位の自治機構、及び中央政府の三段階となつている、こゝで今問題とされているのはこの地方的段階の自治機構と云う語であるが、地方必ずしも群島ではないという見方があることは一應注目されよう、こう云つた点は今後、論議の集中される問題だとみられるが、とにかく中央政府の権限が想像以上に大巾な自治へと擴大されてゆくことは、間違いないと見て差しつかえあるまい

何れにしても近く参議の公選が行われることは既定の事実となつている、社大黨ではこの参議選擧を相當重視し、人民黨またこれに對する對策を眞剣に講じているようであるが各黨とも参議選には全力を傾けることが予想され、日を経つに従い、その動きも活発にしてくることは充分予想される

[貿易]今後の復興には日本との自由交易
信託協約による正式決定を見る迄は合衆国議會は統治に關する基本的な法律をつくることは出來ないであろうから幣制等の面からの貿易の變化は當分ないと見てよかろう

信託決定後と雖も對外決済には米弗が用いられようが國内用としては米弗爲替にリンクした獨特な通貨を採用する見通しが強いようだ。そうなれば琉球は米國の國内經済に包含同化されることなく對米取引も外國貿易の型態をとることになろう對日取引が米弗を介して行われるとこは現在と同じで仮りに一部円建が併用されることがあつてもそれは何らかの方便として補助的一時的な意義しかもちえないであろう。講和後重要なことは日本が自主性を回復すること並に琉球が一應正式に日本から切離されることである。この二つの要素は我々の貿易の上に相反する見透しを与える。

孤立自足の昔はいざ知らず琉球の日本へのつながりには經済的必然的なものがあり琉球經済の日本への依存度は講和後と雖も何ら變りはない。必需品の大部分は日本に仰がなければならないし我々の物産も日本に市場の限られたものが断然多くそれを買つて貰わないことには産業の復興はあり得ない。日本と水いらずの經済關係を回復することは自立経済の前提条件である。それなくしては幾ら貴重な弗の援助を受けても軍作業で弗を稼いでもその場限りの喰潰しになり自立に向つての前進は案外捗らない。戰後ガリオアと軍労務のお陰で我々は飢餓から免れたばかりでなく生活を或る程度豊かにしさえしたのであるが自立經済の復興という面から見た場合未だ道遠しの感が深い。資本蓄積の貧困、消費經済の盛行、農村の疲弊、離農の続出等の現象は弗が單にそれだけでは万能薬ではないことを示している。この点米國の援助を返上し耐乏し生産し輸出して破産状態から立上つた英國人に感服せざるをえない

戰前全生産高の六割餘を日本に出すことによつて經済を維持していた琉球であつてみれば今後の基礎的復興も恒久的繁榮も日本との自由な拘束のない交易によつてのみ可能であることは明らかである我々の最大の懸案は採算がとれ実需がある限りはいつても何でも日本と賣り買いが出來る戰前同様の關係にもつていくことである。

日本から切離されることによつて關税の免除その他の特恵的な措置が取止められ外國並の扱いをされることになっては大變である。そんなことはありえないと私は信じている。むしろ講和により日本が自主性を回復することは日琉の不可分な經済関係を回復する上に欠くことの出來ない大きな基盤が出來ることを意味する。これは我々の久しく待望していたことであつた。終戰以來日琉間を隔てゝいた柵を取り拂う努力には講和を機として大きな進展があるものと期待してよかろうと思う。(瀬長浩氏談)

[金融]どうなるB円の整理 発券銀行誕生か「ドル」の自主運營が鍵
講和條約の調印によつて米國を唯一の施政権者とする信託統治下に置かれた場合經済界に如何なる變動を齎らすか、以下消息筋の観測……

信託統治と決定しても直ちに急激な變動は予想されない、各國の批准を経て條約が発効するのは明春の予想でありそれまでに日米間に信託統治協定が締結されることも考えられるので相當の時間的餘裕がある、併し現在既に米軍の統治方針によつて信託統治の形態が整えられつゝあることは周知の通りで條約調印によつて政策具体化のテンポが促進されることは間違いないだろうと見られている

經済界の大きな變動は先ずB軍票が如何に整理されるかということである、現在のB軍票は戰時中の暫定通貨でこれを對外価値のある通貨に切り替えねばならない、米國の信託統治下ではドルの裏付のある通貨が採用される可能性が大きいとされている、この場合最も関心を惹くのは通貨価値がどう變化するかと言う点であるがB円価値の切下げ、日本円との三對一の比率はもっと縮まるだろうとの見方が強い

通貨整理に伴つて中央銀行制度が確立され今まで軍が握つている發行権の民移譲が考えられる、最近問題となつている市中銀行の創設が講和と關連した措置であるかは明らかでないが、民間では琉銀を中央銀行に新銀行を市中銀行として金融分野の確立を圖れとの聲もある、經済政策の中枢をなすのは金融政策であり經済復興を軌道に乗せて推進するためには通貨發行権の民移譲が實現されねばならないとしている、現況の下では金融委員會の設立も大きな意義はないとされている

次に實現が要望され叉強力な統合政府が発足した場合可能性が強いのは見返資金と商業ドル資金の管理運営を移譲することである この問題はこれまで再々陳情もされているが實現していない、これは現政治機構の下では時機が熟していないとの見方も成立するが、中央政府の發足とともに漸次移管され自主的な運営に委されると見ている、これまでの民の經済政策に總合性がなくこれと言つた成果をあげていないのは單に頭脳の貧困に起因するのではなく以上の三権限にタツチ出來ない制度上の大きな欠陥であると指摘しており信託統治がその住民の自治能力を尊重し、自主的に經済復興を指導促進するよう要望している

軍用地の地代、對日債権の決濟等
次に具体的に解決されていく大きな經済問題として豫想されるのは軍用地の地代支拂、國際水準を勘案した軍勞働賃金の設定、不在地主の土地管理を中央政府に移管して適正な地代を徴収し適正な地租を課して財源に充當する、恩給保險貯金予金などの對日債権の早急な決済などである

[人口と勞力]移民送出の時至る
戰前、勞働力の七十四パーセント以上が農業に投下されていたが、戰後の今日では農民は約五十パーセントに減り軍作業、土建、商業、運輸等の従業者が増えたが、これは米軍の駐屯によつて發生する經済事情を背景として産業が發展し、職業構造が組み變えられたことを意味する、従つて今後はかゝる現象の中から政策の要素が生れることを念頭におくべきであると思う

勞働經済雇用の面から先ず次のことが要請される。現在の軍労務者の賃銀は平均時給九セント(十一円)で米人最低給の十分の一以下、比島人最低給の四分の一以下、日本の三分の一以下と推定される、かゝる低賃銀は社會政策的見地からも早急に修正されることを望む

更に大きいのは労力と人口の問題であろう、既に報じられたように沖縄の人口構成は二十才以下の占める割が高く正常の形に復しかつてない繁榮型を示している、職業は前述のように恒常性のない軍労務に依存している、これは時勢の變動で失業人口を続出させる休火山的要因を孕んでいるとも云える

移民問題は民政府當時から叫ばれてきたが國際問題ともから實現出來なかつたが、講和調印を機として、經済力とバランスしない労力の移出即ち移民問題こそ今後の最大の政策としてとりあげることが強く要請されねばならぬと思う(座間味眞氏談=群島政府勞働課職員)

講和條約調印さる(1951年9月10日社説)

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1951年9月10日の社説

大波乱を豫想されて居た桑港講和會議はソ連側の反撃的態度が思つた程の反響もなく議事は豫定のプログラムを追うて進行し、八日講話條約の調印が行われた、まさに世界史の轉換である。

過去六ヵ年間敗戰國として連合國の管理下におかれ、その指導のもとに民主化への新しい道を歩いてきた日本は條約の発効と共に獨立の主権國家としてアジアの一角に新生の輝かしい日を迎えるのである。が、日本の占めて居る政治的戰略的地位と強靭なる工業潜存力と八千三百餘万の人的資源は敗戰から起ちあがつたばかりとは言え優にアジアの大國たるの資格を失わしめるものではない。日本と提携することによつてアジアに安定勢力を築くことが出來るという事実が日本に“和解と理解”の講話を與えたのである。

講和後の日本が經済的に幾多の困難が予想され叉過剰人口の處理には深刻なる苦悩を内包して居るに拘わらず、その前途は光明に満たされて居るのも國際情勢の一大變化によつて齎されたるものであつて誠に幸運に惠ぐまれて居たと言えよう。

講和會議に於ても米ソの對立は鋭い様相を以て現われ、講和即ち平和とは言えない甚だ遺憾極まる印象を與えられたのであるが、開會式劈頭の演説に於てトルーマン大統領は“あらゆる國の國民は今何ものにもまして「たゞ一つのもの」を切望して居り、これをあくまで獲得する決意を固めて居る。かれらが望んで居るただ一つのもの、それは「平和な世界」である。すべての人すべての國にとつて正義と自由の通用する世界である。此處にこの會議に代表を送つた國々の國民はいずれも吾々がこの目標に到達するため出來る限りの手段をとることを要求して居るのである”と平和の實現を唯一の目標として居ることを指摘して居る。

これは日本との講和條約の成立によつて平和を回復するというだけのことを意味して居るのではない。日本との講和が成立することによつて世界の平和を築きあげて行く、即ち「ただ一つのもの」平和への一歩前進を意味するものであることを強調したのである。

朝鮮事變は國連軍側も共産軍側も自説を固執して停戰交渉は難航し前途は予断を許さないものがあるが、しかし双方とも和平妥結の望みは捨てゝ居ないのであるから最惡の事態を豫想することは當を得たものではないであろう。

自由諸國間の利害調整にも錯綜があり、これが調整にも多くの困難がある上に米ソ両陣営の對立は容易に解けそうもない世界の現状に於て平和を「ただ一つのもの」としてその實現に努力することの如何に困難なるものであるかは言を俟たないのであるが、そうかと言うてこれに對する努力が緩められるようなことがあつてはならない。世界人類の幸福は平和と自由の中に於てのみ與えられるものであり、平和と自由を確保するのが政治である。謙虚なる忍耐心と戰争を絶滅するの確信こそ平和を齏來する要素であり、世界の政治家に期待するのも此の点である。

講和條約は日本に新しい道を開いてくれるのみでなく、世界人類の幸福を増進するために偉大なる貢献をなすものでなければならぬ。此の意味に於て吾々は桑港の歴史的會議が人類の進歩發展に大きな足跡を残してくれることを信じ、この會議を成功裡に終らしめた米國の努力に對し感謝せずには居れない。

講和條約の發効と琉球(1952年4月28日)

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1952年4月28日の紙面。「逐次日琉一体の実を」の見出しで、琉球政府の比嘉秀平主席のメッセージも掲載された。

講和發効後の日琉の関係は、琉球政府設立式典に於けるリツジウェイ大将の挨拶や日本政府が初代駐日大使として二十八日着任予定のマーフィ大使との交渉内容に示されている通り、軍事的に必要でない旅行、通信、通商などの自由が大巾に認められる気運にあるが、政策面で具体的に現われてくるまでには、相当の時間的余裕があり、発効後直ちに急激な変化は予想されていない

日琉間の制限が取除かれた場合、様々大きな影響を与えるのは經済面であり、特に経済復興に必要な輸出の伸長およびそれに伴う基本産業の復興が期待されている

五十一年九月に条約が締結されて以来、関心の的となつているのは通貨がどう変るかの点であるが、今までの所民政府あたりでも何らかの準備もないもようである。日本の行政権がどの程度およぼされるかによつて、日本通貨との切換えも考えられるが、当分の間は従来通りB円が流通し、対外決済はすべてドルを仲介として行われるとの見方が強い。貿易面の内国扱いは近く実現するとの見通しがついているが、これはあくまで貿易手続の簡易化が主体となつている。恩給、金融機関の債権の解決など沖繩事務所の設置によつて促進され経済界に好影響を及ぼすものと期待されている

人民の幸福は日本復歸
(人民党書記長瀬長亀次郎氏) 外国の統治下におかれることは、そのナマエが如何に近代的味覚をそゝるような代物でも、所謂植民地である。琉球人を愛し、日本に復帰することによつてのみ、人民の幸福が得られることを信じているあらゆる層の力を組織し、われわれはこの島の反植民地闘争への先頭に立つて、闘うことを、対日平和条約発効の今日、全日本の人民に誓うものである

米琉相互の理解 信頼
(社大党委員長平良辰雄氏) リツジウェイ長官は軍事的必要以外は日琉の旅行、通信および通称上の不要な制限を取り除くことを明らかにしている、これはわれわれが率直に意志を表明に米国がこれを理解してきたからである対日講和条約が発効した今日われわれは琉球がおかれている国際的地位を充分の認識し米琉相互の理解と信頼を深めわれわれの希望を達成せしめるよう努力することが大事である

歴史の峠に立ちて(1952年4月29日社説)

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講和条約が発効した翌日、1952年4月29日の社説

講和条約が発効して国際社会へ復帰した祖国日本の慶事を、われわれ琉球住民は無量の感慨をこめて祝福したい。

それにしても取残された嘆息が深く、もがいたところでどうともならぬ諦めがわれわれの胸を締めつける。しかし感傷に浸つてばかりもおれぬ厳しい境位におかれたわれわれ琉球住民だ。祖国日本の独立を契機として、われわれも亦心機一転、住民総起ち上りの誓いを固めなくてはならぬ。講和発効後果してわが琉球に如何なる変化がもたらされるかの関心が真つ先に抱かれる。

アメリカが望めば信託統治になる訳だが、このところそんな気配はない。そこで「琉球諸島の領域および住民に対して、行政、立法、司法の権力の全部及び一部を行使する権利を有する」として現在通りの統治方針が続くかも知れぬ。処が例の軍事基地以外の制限撤廃が、米、日、琉三者の理解と友愛によって、どの程度大幅に認められ、日・琉の関係を一体化しうるが今後の努力点である。残存主権が日本にあるから、将来日本へ復帰することは既定の事実であり、その線に沿うて日・琉の関係が一層近づきはしても、遠のく恐れはあるまい。そこにわれわれの明るい希望がある。旅行通信及び通商上の不必要な制限が一つ一つ取のぞかれること自体が、日本復帰に近づく前進過程である。そうした日・琉の関係を効顕して、われわれ琉球住民の恒久的生活向上に役立てる政治、経済、文化の運営が、琉球の指導者層並に全住民に負わされた使命と思われる。

が然し、祖国日本への過大評価は禁物である。完全復帰後ならとにかく、過渡時代における日本依存の行過ぎは、恐らくわれわれに失望を与えるのみであろう。占領すでにおわり、輝かしい国際社会へ復帰したとはいうものの、今後の日本の前途は手放しの楽観を許さない。国土の大半を失い、経済は米国その他の援助にまつ状態にあり、軍事力はおろか、国土の防衛さえ、日米安全保障条約に依つて米国の力に頼る有様であるといわれている。だから日本復帰は嫌だという事大主義を唱えるわけではない。日本の厳しい現状を直視して、日本への依存心を自戒すべきだと言いたいのである。日本独立の朗報にすつかり気をよくして、今後の日・琉関係の好転が、琉球の復興を一際目立つて促進するかも知れぬという、楽観がいささかでも抱かれたら、悔を将来に残す恐れなしとしない。勿論米国への依存も自戒しなくてはならぬ。米国当局から自立経済の努力を要請されたことを改めて銘記すべきである。と言うても、戦災地琉球が自力のみで起ち上れぬことは自明である。米・日両国の援助を待つ実情にあることは誰もが認める通りだ。が然し琉球住民にとつて「天は自らを助くる者を助く」の信条が第一である。その信条に生きてこそ、日本の厳しい現実に和すことが出来、日本復帰への前進を早めもする。

さらに、当分どつちつかずの境位におかれる過渡時代に対処するわれわれ琉球住民の在り方を自覚すべきだろう。米国は琉球住民に対し行政、立法、司法の権力の全部或はその一部を行使する権利をもつが、米国の統治方針が、民主々義の育成にあることは周知の通りである。琉球政府並に立法院の発足がそのことを如実に証左する。

琉球の政治、経済、文化の総てが民主主義を指向して住民自体の意志に基いて運営されることを米国は強力に勧奨している。有難いことだと思う。琉球のそれは、国際的孤児としてのよちよち歩きではあるが、それにしてもわれわれは希望の灯をかかげて真の民主々義を学びとる誠心と自負を持つべきである。将来日本へ復帰するにしても、琉球住民の民主々義的成長が何よりの先決だと言えよう。琉球住民の在り方をその一点に集中し、殊に精神の拠り処をそこに求むべきである。その努力さえあれば、当分の国際孤児時代も決して無駄にはならぬ。而して民主々義は個人の完成に究極の目標がおかれ、その完成した個々の集団社会或は国家への到達が理想である。

そこで、われわれ琉球住民の個々が、或は琉球全体が健かな民主的成長を遂げる為には、徒らな孤児意識を捨て、国際社会人としての成長を念願しなくてはならない。われわれの視野を世界にひろげ、世界平和のなかに生きる琉球たらしめる望みを抱いて、われわれの政治、経済、文化を創造する高まいな理想をもつべきである。米国にしろ、日本にしろ、その他民主々義諸国にしても、そうした理想を目標に、個の完成と国家の民主々義的完成に努力し、延いては国家と国家の繋りを親近させて、世界の恒久平和を希求している。そのための過渡的現象としての、いまのけわしい国際情勢と解すべきである。とにかく明るい希望を失わずに、平和と自由を求めて、祖国日本とわが琉球の健やかな民主的成長を祈りつつ、日本の独立復帰を祝福することにしたいものである。

講和発効から10年(1962年4月28日社説)

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1962年4月28日の社説

講和条約が発効して、ちょうど十年になる。条約の発効で祖国である日本は、国際社会復帰の第一歩を踏み出したわけだが、沖縄はその喜びから取り残されてしまった。一方においては日本の独立を祝福し、他方では諦めともつかぬ気持ちを訴えたものである。しかし、感傷にひたってばかりいたのではない。本土から分離はされたものの、潜在主権がある以上、復帰を既定の事実として受け取り、本土との接近を促進し、民主的成長に努力すべきことを主張してきた。

十年後の現在、わたくしたちの希望や主張は、曲折したコースではあったけれども、たゆまざる努力によって、しだいに実現しつつある感じを受ける。しかし、施政権は依然として米国がにぎり、究極の目標である復帰には、いっそうの努力とねばり強い折衝が要請されているのが実情である。

過去十年間には、とにかく、いろいろのことがあった。土地問題はそのさいたるものであったし、基地の存在から派生する人権などの諸問題は、本土でもかなりの反響をよんだ。それはすべて、講和条約第三条が根源になっていたといえるのである。土地接収が相次いで強行されていたころ、立法院では、そういう権利まで米国に与えているのか、という第三条問題がくりかえし論議された。しかし、第三条後段には絶対に近い権限が規定されていたのである。第三条の目的はむろん、沖縄の信託統治にあった。が、米国は信託統治を提案する意思のないことを表明している。沖縄が信託統治の対象になるかどうかも疑問であるし、基地との関連もあって、いろいろ


米軍再編と、自衛隊の配備強化が進む沖縄、オスプレイ配備を許すな。⑨

2013-04-09 00:25:09 | 平和

5月31日 琉球新報
ヘリ8機普天間配備 在沖米海兵隊来月初旬から      
 
在沖米海兵隊は30日、6月初旬から海兵隊員170人とヘリコプター8機を県内に配備すると発表した。発表によると、配備されるのは数個の航空分遣隊。第3海兵遠征軍下に組み込まれ、6カ月ごとの単位で定期的に県内に駐留する。8機は米軍普天間飛行場に配備される見込みで、基地周辺住民の負担増につながる可能性も懸念される。
 
配備されるのはCH53E、AH1Wヘリコプターがそれぞれ4機ずつ。普天間基地所属のCH53Eヘリは4月に韓国北部で1機が墜落している。イラク、アフガニスタン戦争などへの出兵で海兵隊航空機の配備機数は2003年以降減少した。だが、今回の発表では「今後海兵隊は米国の駐留地から日本へのローテーション部隊配置を徐々に再開していく」としており、現状よりも県内に配備される機数が徐々に増える可能性を示した。
 
今回の駐留は「部隊配置計画(UDP)」の一環。追加される海兵隊員は家族を伴わず、基地内に滞在することから「(日本への)影響を最小限にする効果的な方法だ」としている。県や宜野湾市には配備方針は通知されていない。宜野湾市の比嘉秀夫基地政策部長は「(配置計画により負担が)減るならまだしも、現状より増えるなら厳しい状況だと言わざるを得ない」と懸念を示した。県の又吉進知事公室長は「(沖縄の)負担軽減を進めるとしていた論理との整合性を見極めなければならない」と述べた。

5月31日 琉球新報
社説:F15飛行再開 軍のおごり許されない      
 
この判断は大きな過ちだ。米空軍は、嘉手納基地所属のF15戦闘機の訓練飛行を30日朝から再開した。28日の墜落事故からわずか2日。原因究明どころか、事故の詳細に関する説明や再発防止策も一切示されないままだ。県は「一歩間違えば人命、財産に関わる重大事故につながりかねない」(仲井真弘多知事)とし、原因が究明されるまでの訓練中止を強く求めていた。29日は自民党県連をはじめ県内政党の抗議行動が相次ぎ、市民集会も開かれた。
 
米側は「嘉手納基地のF15全機の点検が終了したため」と訓練再開を説明するが、県民の切実な要望を歯牙にもかけないばかりか、反省のかけらも感じられない。飛行訓練の再開は、墜落の危険にさらされる住民感情を著しく逆撫(さかな)でする。もはや暴挙を通り越して、県民の人権などなきに等しいと宣告するようなものだ。これが民主主義国家を自認する米国の行動原理かとあきれるほかない。
 
今回の墜落事故は、幸いにも海上だったため大惨事には至らず、パイロットも無事に脱出して救助された。米軍は機体に何らかの不具合が起こったとの認識を示したが、わずか1日の点検で同様な不具合が市街地上空で起こらないという保証ができるのか。深い疑念と同時に強い憤りを禁じ得ない。
 
2007年11月に米ミズーリ州でF15が空中分解して墜落した際には、嘉手納基地を含め、少なくとも1カ月半近く、全てのF15の飛行停止措置が取られた。主要構造材に亀裂が見つかったためで、パイロットの緊急脱出もままならない重大な構造的欠陥だと米軍が判断したからにほかならない。県内での拙速すぎる飛行訓練再開とは対応に雲泥の差がある。軍の論理を優先するあまり、地域住民の生命・財産は二の次と考えているとしか思えない。こうした二重基準は直ちに廃すべきだ。
 
日本政府の対応も理解に苦しむ。原因究明までの飛行停止を米側に求めることを、なぜためらうのだろうか。仮に墜落事故が自衛隊機であったとして、2日後の飛行再開を認めるだろうか。そもそも国民世論が許すはずがない。対米追従は今に始まったことではないが、主権国家としての主体性を著しく欠いている。原因究明を怠ったままの訓練再開は到底許されない。F15の飛行を即刻停止すべきだ。

5月31日 沖縄タイムス
米軍機墜落:本土と沖縄で対応に落差
       
同じ墜落事故でも、米軍は本土では沖縄に比べ丁寧に対応している。昨年7月、三沢基地(青森県)所属のF16戦闘機が墜落した事故では、司令官が市役所を訪れて陳謝。事故概要を報告し、8日後に飛行を再開した。説明もないまま、2日後に再開された嘉手納基地の周辺からは「二重基準は許せない」と怒りの声が上がる。三沢市によると、昨年7月の事故発生後、市長が基地に出向いて抗議したり、逆に司令官が来訪したりして、「ほぼ連日、事故の状況について報告があった」という。最終的には市長も飛行再開を了承した。

米本国で2007年、F15が空中分解して墜落した事故では、飛行再開は24日後。航空自衛隊は11年、那覇基地のF15が操縦士の意識喪失で墜落した事故で、15日後に再開した。一方、沖縄の米軍は06年のF15墜落でも今回と同様、一方的に「点検が終了した」と発表し、2日後に飛行を再開した。

航空評論家の青木謙知さんは今回の事故について、「操縦士の証言や交信内容から、機体でなく人的要因だと判断した可能性がある」とみる。「そうであればなおさら、住民の不安を取り除くためにも公表してから飛行再開すべきだ」と指摘した。三沢と嘉手納の対応の落差については「米軍内部に規定がなく、司令官の判断に左右される。あってはならないことだが、三沢市の友好的な姿勢も影響しているのだろう」と分析した。

嘉手納町議会で現職最多の8期目の田仲康榮議員(副議長)は、「事故後に司令官が謝りに来た記憶はない」と、三沢での対応に驚く。「沖縄の住民の命や暮らしは無視されている。対応の違いは絶対に許せない」と憤った。

5月30日 沖縄タイムス
F15墜落:県、米軍に飛行中止要請
       
米軍嘉手納基地所属のF15戦闘機の墜落事故を受けて、県の又吉進知事公室長は29日、同基地で第18任務支援群司令官のオルマン大佐と会い、事故原因究明までF15を飛行中止し、再発防止と安全管理の徹底を求めた。同基地は、F15全機の安全点検のため29日の訓練を中止したが、30日以降は未定としている。2006年の墜落事故では安全点検後、事故から2日後に訓練を再開しており、今回も近く飛行再開する可能性もある。

今回の墜落事故を受け、県議会の米軍基地関係特別委員会(新垣清涼委員長)は31日に委員会を開き、日米両政府に対する抗議決議と意見書を審議することを決めた。全会一致で可決される見通し。軍特委で可決されれば、県議会は6月初旬に臨時会を開き、抗議決議と意見書を本会議で可決する方向で調整している。また、嘉手納町議会(徳里直樹議長)と北谷町議会(宮里友常議長)も31日の臨時本会議で、F15の飛行訓練中止や原因究明を求める抗議決議と意見書を可決する見通し。

県の又吉公室長の要請に対し、オルマン氏は「調査委員会を立ち上げて、安全点検と原因究明に努めている。手続きの点検のため28、29両日の訓練を中止している」と説明したが、点検期間には言及しなかった。又吉氏は「原因がはっきりしない中での航空機運用は常識からあってはならない」と述べ、事故原因や具体的な再発防止策を県民に説明するよう求めた。

又吉氏は在日米軍沖縄事務所も訪ね、応対したデタタ所長(大佐)は「地元に不安を与え遺憾だ」と述べ、F15の安全再点検を行っていると説明した。又吉氏は29日、沖縄防衛局と外務省沖縄事務所にもそれぞれ申し入れた。武田博史局長は「原因が究明された際には早急に公表することを求めたい」とし、松田賢一副所長は「米軍の調査結果は当然日本政府にも示されると認識している。まずは米軍の対応を注視したい」と述べた。

5月30日 沖縄タイムス
F15墜落:怒りの拳「撤去を」「平和な空を」

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F15墜落に抗議し、米軍嘉手納基地に向けてこぶしを突き上げる集会参加者=29日正午すぎ、嘉手納町・「安保の見える丘」

米軍嘉手納基地所属のF15戦闘機墜落を受け、市民団体や労組は29日、嘉手納町の「安保の見える丘」で、緊急抗議集会を開いた。事故翌日のこの日、F15は訓練しなかったが、その他の機種はいつも通り飛び回った。約150人(主催者発表)の参加者は爆音にさらされながら、「墜落訓練をやめろ」「嘉手納基地を返せ」とシュプレヒコールを上げた。

沖縄市から参加した大浜節子さん(66)は、墜落の一報をラジオで聞いた。すぐに市役所に問い合わせたがなかなか詳しい情報が入らず、やきもきした。「畑で作業をしていると、頭上をよく米軍機が飛ぶ。悔しいから、そのたびにノートに記録を付けている」という。嘉手納基地の元従業員。「何度も事故が繰り返されてきた。基地撤去まで掲げないと、この現実は変わらない」。9年ほど前まで勤めていた“古巣”に向かい、抗議の声を上げた。

1961年にジェット機が墜落、2人が死亡したうるま市川崎からは、自治会長の國場長信さん(51)が「居ても立ってもいられない」と参加した。実家は現場のすぐ近く。事故当時は生まれて半年で、祖母に抱えられて難を逃れた。「澄み切った空に、とんでもない危険が潜んでいる」。爆音が響く夏空を見上げ、「これが当たり前ではない。自分たちではなく、米軍が出ていくべきだ」と力を込めた。

第3次嘉手納基地爆音差し止め訴訟原告団の佐久川智恵美さん(52)は、川崎の隣のうるま市昆布から駆け付けた。陸軍貯油施設のそばで暮らし、事故は人ごとではない。「事故があるたび、命が危険にさらされている。それを意識したら過ごしていけないし、落ちたと聞くと余計に怖さが倍増する。爆音だけでなく、基地の撤去を求めるしかないのでは」と怒りを込めた。集会は沖縄平和運動センター、中部地区労、爆音訴訟原告団の主催。あいさつはたびたび爆音にかき消され、平和センターの崎山嗣幸議長は「沖縄の空を何だと思っているのか。墜落を繰り返す米軍機を許すわけにはいかない」と批判した。

5月30日 琉球新報
相次ぐ発着やまぬ爆音 米F15墜落      

「事故を許すわけにはいかない」。米軍嘉手納基地所属のF15戦闘機が墜落してから一夜明けた29日。県や政党、市民団体らは、集会や要請などを通して日米関係機関に抗議の声をぶつけた。この日、F15は訓練しなかったが、県側が求める原因究明までの飛行中止が実現する見通しは立っていない。沖縄を覆う不安をよそに、他の所属機がわが物顔で空を行き交う「普段通り」の日常が際立ち、県民の不安と怒りが一層高まった。

沖縄平和運動センター、中部地区労、第3次嘉手納爆音訴訟原告団らは29日、嘉手納町屋良の通称「安保の見える丘」で、「米軍F15戦闘機墜落事故糾弾! F15・オスプレイの即時撤去を求める緊急抗議集会」を開いた。約150人の参加者が嘉手納基地に向かい抗議の声を上げた。
 
集会で沖縄平和運動センターの崎山嗣幸議長は「沖縄の空をなんだと思っているのか。(墜落場所が)住宅地上空でないからと安心してはいけない。事故を許すわけにいかない」と憤った。爆音訴訟団の新川秀清団長は「住民が危険にさらされている。安全という言葉は沖縄には通用しない。特効薬は基地撤去しかない」と訴えた。沖縄国公労の白石幸嗣委員長は「なぜわざわざ自衛隊が米軍を救助したのか。自衛隊が米軍に完全に組み込まれ、事故があれば自衛隊が米軍の救助部隊になるよう想定していたのではないか」と疑問を呈した。
 
集会中、同基地ではAV8Bハリアー攻撃機やP3C哨戒機などが相次いで離着陸し、スピーカーを通した声が聞き取りづらくなることが度々あった。参加した反住基ネットの大浜節子さん(66)=沖縄市=は、F15墜落の一報を聞いて「怒りがこみ上げた」と声を震わせる。「米軍の演習の在り方に疑問を感じる。嘉手納基地は過密化しているという危機感を持った。基地撤去を求めて行動したい」と話した。

5月29日 琉球新報
社説:秘密保全・調査 空恐ろしい個人情報収集だ      
 
秘密保全法ができれば、この国は国民の人権が二の次の「監視社会」になってしまうのではないか。安倍晋三首相が機密情報漏えいを防ぐため、罰則規定を盛り込む「特定秘密保全法案」の整備に意欲を示す中、表現の自由、思想・信条の自由が、国家権力の深い闇に絡め取られるような空恐ろしい事案が明らかになった。
 
防衛省が職員を対象に宗教・政治団体や交友関係など、プライバシーに関わる情報を調査している。「身上明細書」と題する調査書は、私生活にも踏み込み、交友関係がある友人・知人についても、氏名、生年月日、勤務先などを記す欄がある。防衛省職員に機密情報を扱う適格性があるかの判断に用いられているが、職員の友人・知人の個人情報を本人の意思確認の段取りも踏まず、国が一方的に収集できる仕組みになっている。憲法が保障するプライバシー権や、個人情報を制御する権利を侵害する行為だ。秘密保全法制定と表裏一体の動きであり、国民監視の危険な第一歩と位置付けねばならない。
 
この身上調査を実施する根拠となる法律はない。それなのに、長く調査を実施してきた防衛省にならい、外務省や警察庁など23機関に「秘密取扱者適格性確認制度」の適用が広がっている、という。適法性に疑問符が付く個人情報の収集が国家機関の独断で拡大している状況はあまりに危うい。秘密保全法制は前民主党政権が国会提出を目指したが、「知る権利を制限する」と批判され、断念した。保全すべき特別秘密として、「国の安全」「外交」「公共の安全と秩序の維持」を挙げていた。国が決められる「公共の安全」という概念を理由に特別秘密に指定すれば、国に不都合な情報を国民から隠せるようになる。
 
法案を検討した有識者会議は対象者を公務員に限らず、業務委託を受けた民間人にも拡大するよう求める一方、「運用を誤れば、国民の重要な権利を侵害する恐れがないとは言えない」と指摘していた。恣意(しい)的な運用の危険性を、今回の「身上調査」が裏打ちしている。防衛省は過去にも、情報公開請求した人のリストを作り、住民基本台帳から市民の情報を得ていた。国のためなら個人情報を勝手に利用していいという考えが底流にある。民主主義を破壊しかねない秘密保全法は、到底容認できない。

内閣調査室にもスパイ部門を配置

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5月29日の産経

2011年には空自のF15が墜落1人死亡

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5月29日の八重山毎日紙面 西表(竹富町)の方より

5月29日 琉球新報
米F15、本島東沖墜落 機体に「不具合」    

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訓練を終えて嘉手納基地に帰還するF15戦闘機。海上に墜落した戦闘機と同型機=28日午前10時28分、米軍嘉手納基地上空

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米空軍嘉手納基地所属のF15戦闘機1機が28日午前8時43分ごろ、国頭村安田の東南約59キロ沖合の海上に墜落した。搭乗していた乗組員は1人で、墜落前にパラシュートで脱出し、午前10時9分ごろ航空自衛隊のヘリコプターが救助した。けがなどはなかった。嘉手納基地は機体に何らかの不具合が起こったとした上で「原因はまだ究明されていない」と説明している。県は29日、米軍に事故原因究明まで同型機の飛行中止と再発防止を要請する。
 
米軍F15戦闘機の墜落は嘉手納配備以来9回目で、復帰後の米軍機墜落事故は44件目。第11管区海上保安本部によると、午前9時ごろ在沖米軍から墜落の通報があった。11管の固定翼機や巡視艇が確認したところ、墜落現場の南西約2・6キロの海面に長さ500メートル、幅50メートルの油の流出が見られた。現場海域周辺で同機のエンジンとみられる残骸が発見されている。
 
沖縄防衛局によると墜落した海域は米軍のホテル・ホテル訓練区域で、2006年1月にも同区域で戦闘訓練中のF15が墜落している。県が航空自衛隊に確認したところ、午前8時45分ごろ、緊急脱出をする際の信号を受信したという。空自は午前9時50分にヘリコプターと航空機2機を現場に派遣。救命具につかまっていた乗組員を救出し海軍病院に搬送した。米軍は「パイロットの状態は安定している」と説明した。
 
ホテル・ホテル訓練区域は県などが返還を求めており、民主党政権下の11年5月に政府との沖縄政策協議会の部会で訓練区域の一部返還が話し合われている。仲井真弘多知事は「一歩間違えば人命、財産に関わる重大な事故につながりかねない。日常的に米軍基地と隣り合わせの生活を余儀なくされている県民に大きな不安を与えるものだ」とのコメントを発表した。菅義偉官房長官は28日午後の記者会見で、外務省北米局長から在日米国大使館に対し、事故の原因究明と再発防止を求める申し入れを行ったことを明らかにした。今後の日本政府の対応については「関係省庁で引き続き情報収集に努め、米軍に再発防止を求めるなど適切に対応していく」と強調した。

5月29日 琉球新報
基地許容量の限界 米軍F15、漁師頭上で「空中戦」    

米空軍嘉手納基地所属のF15戦闘機の墜落事故は、沖縄における基地の許容量の限界をあらためて示すものと言える。特にF15は2006年にも嘉手納の米軍機が墜落しているほか、11年には航空自衛隊那覇基地所属機が墜落しており、構造的な欠陥も疑わざるを得ない状況がある。
 
米軍のF15は1994年に嘉手納弾薬庫内の黙認耕作地に墜落・炎上するなど復帰後、海域を含めて県内周辺で計9回、10機が墜落している。嘉手納に常時配備された1979年から約3・7年に1度の頻度で墜落しており、自衛隊のF15機事故も含めると、さらに頻度は上がる。復帰後の県内での米軍による航空機墜落事故は今回で44件目を数え、年間1回を超える頻度で米軍機は墜落していることになる。
 
米軍のF15戦闘機の墜落事故は沖縄本島東海岸に集中しており、82年には今回墜落したとみられるホテル・ホテル訓練区域で2機が空中戦闘訓練中に墜落し、1人が死亡した。同訓練区域周辺には漁業関係者が利用する魚礁が点在しているが、その上空では戦時下の空中戦を想定した激しい訓練が繰り広げられており、漁師たちは危険な「基地との共存」を強いられている。今回は墜落した機体とともに数機が嘉手納から離陸しており、戦時下を想定した同様な訓練を目的としていた可能性が高い。日米両政府は事故発生のたびに、「人為的ミス」として問題を矮小(わいしょう)化するかのような説明を繰り返すが、事故が多発する状況では県民を納得させることは到底できない。事故原因の調査過程で構造的な欠陥も含めた厳密な調査と結果の公表が求められる。

5月29日 琉球新報
社説:嘉手納F15墜落 沖縄の空に欠陥機飛ばすな      
 
米空軍嘉手納基地所属のF15戦闘機が沖縄本島東方沖海上に墜落した。墜落したホテル・ホテル訓練区域の周辺海域では、県内漁協のパヤオ漁が実施されている。今回も訓練水域外の周辺で漁船が操業していた。漁船に被害が出た可能性も否定できず、海上ではなく、陸上だったら大惨事となっていた。いつまで県民は危険な空の下で暮らさなければならないのか。
 
嘉手納基地所属のF15戦闘機は2006年にも墜落事故を起こしている。11年には航空自衛隊那覇基地所属機も墜落している。同機は1979年に嘉手納に常駐配備されており、これまでの34年間で9回、10機が墜落している。約3・7年に1度の頻度で墜落している計算だ。同機が欠陥か。操縦士が問題か。いずれにしても県民にとって危険極まりない航空機と言わざるを得ない。
 
墜落しているのはF15だけではない。72年の復帰後に発生した県内の米軍航空機墜落事故は今回を含めると44回だ。毎年1回以上、墜落していることになる。さらに航空機関連事故全体をみると、2012年12月末現在で、540件発生し、34人が死亡している。異常な状態ではないか。今回は墜落場所が海上だっため県民の被害はなかった。しかし、過去には陸地に墜落する事故は何度も起きている。1959年6月30日には石川市の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落し、児童ら18人の命を奪った。2004年8月13日には海兵隊普天間基地所属のCH53輸送ヘリが沖縄国際大学に墜落した。学生や住民にけが人が出なかったことは奇跡と言われた。
 
普天間基地には昨年10月から垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ12機が常駐している。県知事、全市町村長が反対を表明している中、沖縄の民意を踏みにじる形で強行配備された。そのオスプレイは開発段階から昨年までに7件の墜落事故を起こし、36人が死亡している。欠陥機の疑いが拭えない。今年夏にはさらに12機の配備を強行する計画だ。日米で定めた運用ルールや安全確保策を守らぬまま、日常的に危険な航空機が飛行を続けている現状を放置しておきながら、日米両政府は県民の生命の安全をどう保証できるというのか。F15だけでなく、オスプレイも含め安全性の担保のない機種は無期限に飛行禁止とすべきだ。さもなければ県民は安心して暮らせない。

5月29日 沖縄タイムス
F15墜落:嘉手納と北谷、抗議決議
       
米軍嘉手納基地所属のF15C戦闘機1機が沖縄本島東の海上に墜落した事故で、嘉手納町議会(徳里直樹議長)と北谷町議会(宮里友常議長)は29日、それぞれ基地対策特別委員会を開き、31日に臨時会を開いて事故の原因究明などを求める抗議決議、意見書の両案を提案することを決めた。

5月29日 沖縄タイムス
社説:[米軍機F15墜落]不安解消の具体策示せ
       
嘉手納基地所属のF15戦闘機が28日、国頭村安田の東南東約60キロの海上に墜落した。操縦士はパラシュートで緊急脱出し、航空自衛隊那覇基地のヘリが救助した。第11管区海上保安本部によると、現場海域に長さ約900メートル、幅50メートルにわたって油膜が浮いていたという。

住民に直接的被害がなかったからといって、問題を軽くみたり、「またか」という一言で片付けるようなことがあってはならない。米軍機の事故は復帰後も多発しており、重大事故発生の懸念が消えないからだ。県によると、復帰後、米軍機の関連事故は2012年12月末までに540件発生している。06年1月には嘉手納基地所属のF15が国頭村安波の東約54キロの海上に墜落した。02年にも嘉手納基地所属のF15が本島の南約100キロの海上に墜落している。今年4月には米韓合同演習に参加していた普天間基地所属のCH53Eヘリが訓練中、韓国北部で墜落した。

県民が米軍機事故に敏感なのは、重大事故を何度も経験しているからだ。復帰前の1959年、石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍のジェット戦闘機が墜落し、児童ら17人が死亡した。65年には読谷村で、落下傘を取り付けた米軍のトレーラーが目標地点をはずれて落下し、小学校5年の女児が死亡した。住民の不安は漠然とした不安などではなく、歴史体験に根差したリアルなものだ。不安を和らげるためにも、原因究明までF15の飛行訓練を中止すべきだ。

米軍基地の過重負担は一向に改善されていないにもかかわらず、政府の基地政策は十年一日のごとく変わらない。本土の世論も「沖縄の問題を自分たちの問題として考える」という姿勢が急速に薄らいでいる。沖縄の声が無視され続けてきたこの数年の動きは、少数派切り捨て、という意味ではまさに「民主主義の危機」というほかない。

沖縄の人たちがなぜ、執拗(しつよう)にオスプレイ配備に反対するのか。その理由も、オスプレイの訓練が予定されている地域を除けば、本土側に十分に伝わっているとは思えない。米軍機からの部品落下事故は、枚挙にいとまがない。だが、この種の事故は本土では、ほとんど報じられない。地元メディアの報道に対して、本土在住者からは、しばしば「また沖縄が大騒ぎしている」との意見が寄せられる。

だが、安全地帯に居る人にとっては小さいかもしれないが、縦横無尽に米軍機が飛び交う沖縄では、小さな事故であっても、見過ごすことができない。「いつかは大きな事故が起きる」という歴史体験に根差した連想が働き、そうした連想が現実化した例が少なくないからだ。沖縄に膨大な基地を押し込め、米軍に自由使用を認めていては、県民の生命・財産は守れない。従来のような政策手法では、問題を糊塗(こと)することはできても、解決することはできない。

5月28日 沖縄タイムス
米F15 国頭沖墜落 乗員は救助

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米軍嘉手納基地報道部は28日、同基地所属のF15戦闘機1機が同日午前9時ごろ、沖縄本島の東約130キロの海上に墜落したと発表した。パイロットは「安全に緊急脱出した」という。事故機に何らかの不具合が生じたとしているが、詳しい事故原因は「調査中」としている。同報道部は、パイロットの名前や所属は明らかにしていない。

同午前8時50分ごろ、航空機の遭難信号を海上保安庁がキャッチ。米軍は午前9時ごろ、「パイロットは脱出して救命いかだにつかまっている」として救助を要請し、第11管区海上保安本部の巡視艇や航空機が現場に向かった。11管によると、墜落地点は国頭村安田の東南東約60キロ沖という。航空自衛隊那覇基地のUH60ヘリコプターが午前10時9分ごろ、那覇の東約130キロの海上で、パラシュートで緊急脱出した墜落機の操縦士を救出した。11管の航空機が上空から確認すると、現場海域で長さ約900メートル、幅50メートルにわたり油が浮いているのが見つかった。沖縄防衛局や県も情報収集を急いでいる。

菅義偉官房長官も28日午前の記者会見で、F15戦闘機が本島東海上に墜落したとの情報を受けていると明らかにした。「人的被害はない。(戦闘機は)訓練空域にいたと聞いている。詳細については現在、情報収集中だ」と述べた。県漁連などによると、県内の漁業関係者に影響があったとの情報はない。県警や11管に被害報告はないという。嘉手納所属のF15は2006年1月17日、国頭村安波の東約54キロの洋上で墜落した。パイロットは緊急脱出したが、現場周辺の海域には油が流出した。

5月28日 琉球新報
社説:オスプレイ「無違反」ざる法もここに極まれり      
 
このような実態が容認されるなら、ざる法もここに極まれりだ。防衛省が、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの沖縄での飛行実態に関する調査で、日米間で合意した安全確保策に照らして違反だと県が指摘する318件について「明確な違反は確認されなかった」とまとめる方向だという。多くの県民が目の当たりにしている違反を否定するのでは、飛行実態の追認が最初から決まっていた結論だとしか思えない。おためごかしの調査は税金の無駄遣いだ。政府は、沖縄の空で米軍の自由使用を許しており、日本には制限する権限も意図もない、と白状した方がいい。
 
昨年、日米両政府が合意したオスプレイの安全確保策は、病院、学校、人口密集地の上空を避けて飛行経路を設定するとうたっている。その病院、学校、人口密集地の上空を当然のように連日、わが物顔で飛んでいる実態を目の当たりにすると、もはやそんな合意があったことすら信じられない。回転翼を真上に向けるヘリモードでの飛行は米軍基地内に限定していたはずだ。固定翼モードからヘリモードに切り替える途中の「転換モード」も、「時間を可能な限り短くする」と規定していた。政府の調査はそれが順守されているという。噴飯ものだ。
 
那覇や中部の市街地でも真上に向けた飛行が目撃されているが、政府は転換モードだと言いたいのだろう。わずか1~2度、傾きが違えば許されると言うのなら、何のための「安全確保策」か。前述の人口密集地上空飛行の回避も、「可能な限り」という前置きがついていた。最初から逃げ道が用意されているので「違反ではない」と言うのだろう。姑息(こそく)な言い逃れと呼ぶほかない。砂利道で砂利を跳ね飛ばして飛行する例もある。ビルやマンションをかすめるように飛ぶのも日常化した。政府は、県民がそんな危険な事態に慣れるのを待っているのだろう。嘉手納・普天間の爆音防止協定も有名無実化している。過去の経緯から、政府はこのような合意が額面通り守られるはずなどないことを、知り尽くしていたはずだ。本土では市街地飛行を避けている様子がうかがえる。とすれば「安全確保策」は本土での対応で、沖縄は適用外なのか。沖縄では日本の「空の主権」など存在しないことが、これではっきりした。

5月28日 沖縄タイムス
オスプレイ飛行、県指摘に国「違反なし」
       
防衛省は27日までに、米軍普天間飛行場に配備されている垂直離着陸輸送機オスプレイの県内での飛行について、県が運用ルール違反として調査を求めていた318件について、明確な違反はなかったことを確認した。検証結果を正式にまとめ次第、県に報告し、米軍に対しても運用ルールに基づいた飛行を求める方針。

オスプレイの飛行について、県と市町村が独自で目視調査した昨年10、11月の2カ月間と同時期に、沖縄防衛局が目視した結果や写真3千枚を基に調査。県が指摘した内容について、1件ずつ照合した結果、日米合同委員会で合意した運用ルールに明確に違反する飛行はなかったと判断した。

同委員会は昨年9月、オスプレイの飛行について(1)できる限り学校や病院を含む人口密集地域上空を避け、移動時は可能な限り水上を飛行する(2)午後10時から午前6時までは運用上必要と考えられる活動に制限する(3)ヘリモードは米軍基地内に限定-などを柱とする運用ルールを合意。

県などの目視調査で違反と判断したのは11市町村の318件(61・5%)で、このうち315件を「学校や病院を含む人口密集地上空での飛行」と指摘していた。日米両政府は今夏にも普天間へオスプレイ12機の追加配備を合意しており、正式配備までに県に報告し、地元の理解を得たい考え。ただ、飛行実態を目の当たりにしている県民から、ルール順守や配備への批判の声が高まることも予想される。

防衛省が「明確な違反は確認されなかった」としたことについて、仲井真弘多知事は27日、「(防衛省から)正式な報告を受けていない」と断った上で「僕らはそうじゃないと思っている」と反発。高良倉吉副知事は「実際の飛行実態を反映した調査結果なのか」と疑問を呈し「米軍基地の提供責任は国にある。防衛省は正確にオスプレイの飛行データを調査して、米側に伝えるべきだ。オスプレイに対する安全性への県民の不安は払拭(ふっしょく)されていない」と述べた。

5月27日 琉球新報
オスプレイ運用違反なし 防衛省、沖縄県に伝達へ      
 
防衛省は27日、米軍新型輸送機オスプレイをめぐり沖縄県が日米間で合意した運用ルールに違反すると指摘した318件について、いずれも「明確な違反は確認されなかった」との調査結果をまとめた。近く同県に伝えるとともに、米軍へ引き続き運用ルールを守った飛行をするよう申し入れる方針だ。同省は、沖縄県が提出した資料と、沖縄防衛局が米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)周辺で撮影した約3千枚の写真などを照合して分析した。その結果、県から指摘された時刻の飛行や、人口密集地上空での低空飛行は確認されなかったと結論づけた。

5月27日 琉球新報
社説:公務中米兵犯罪 まかり通る不条理を正せ       
 
交通事故などを起こしてけが人を出してしまえば、法に従って相応の刑事罰が科される。仕事中でも私的な時間でも、法治社会の下では当然のことである。日米地位協定で守られる米軍人にはこうした常識が通用しない。被害に遭った国民からすれば、不平等感を抱かずにはいられまい。
 
公務中の米軍人が2009~11年に起こした死亡・傷害事件事故188件のうち、被害者が全治4週間に満たないけがを負った事例で、3人が「処分なし」とされていた。残りの185件は全て懲戒処分で済まされた。被害者が死亡、もしくは全治4週間以上の重傷を負った事案を含め、刑事裁判を意味する軍法会議にかけられた例はないほとんどが交通事故とみられるが、国内で起きた事件・事故であるにもかかわらず、公務中という理由だけで刑事事件を起こした在日米軍人が特別扱いされている。「処分なし」の理由について、外務省は「米軍との信頼関係」を挙げて明らかにしていない。国民への説明責任を放棄している。自らの罪に向き合う機会となる法廷で裁かれることなく、米軍内での懲戒や免許停止などの行政処分だけが科されたのだろう。これが主権国家・日本の現実である。
 
国会で理不尽な状況が報告されたのと同じ日、那覇地検はことし3月に北谷町の県道で貨物車を運転してバイクと衝突し、運転していた県民を死亡させた米海軍の3等軍曹を不起訴処分とした。日米地位協定の定めで、第一次裁判権が米側にあるためだ。日本の法律で容疑者が裁かれず、遺族は無念の思いを強めているだろう。米軍人が基地外で事件・事故を起こした場合、公務中であるか否かを判断する権限は米軍が握る。1956年には飲酒運転で事故を起こしても、公務中の催事の帰りなら日本側が裁けないという驚くべき秘密合意が交わされていた。飲酒運転は全て「公務外」と是正されたのは55年後の2011年だった。公務中であろうがなかろうが、米兵が起こす事件・事故は日本の法律で裁かれるべきだ。不平等、不公正がまかり通っている。基地の過重な負担の軽減に手をこまねいて、日米地位協定が抱える不条理も放置している国は主権国家を掲げることをやめた方がいい。外務省は公務中の免罪を改める対米交渉に踏み出すべきだ。

5月25日 沖縄タイムス
[認可外園の防音]国は対策を急ぐべきだ
       
子どもたちが通う公立・認可保育園と、認可外保育園で差があってはならない。騒音は施設を選ばない。国の防音対策事業で、公立・認可保育園が補助対象となる一方で、認可外保育園は対象から外れている。不平等というしかない。米軍基地が存在するが故の騒音である。認可外保育園の子どもたちが騒音にさらされているのは理不尽だ。しかも何の手だても施されず、長期間にわたって続いている。