「平和と人権」 「八重山」 情報 PT.1 アーカイブ

旧ブログ人で掲載された記事のアーカイブです。

「沖縄」60年前から一体、何が変わったのか① 対日講和発効60年、「本土復帰 」40年

2012-04-29 03:02:24 | 平和

最新記事は 「主権回復の日」なんていらない!
沖縄60年前から一体、何が変わったのか③ 対日講和発効60年

http://blog.goo.ne.jp/teyata/d/20130313

6月26日 八重山毎日
平和祈念館 管理・運営に国の責任を、戦争マラリア遺族会が要請

八重山戦争マラリア遺族会(篠原武夫会長)は25日、県が管理している八重山平和祈念館の管理・運営への国庫補助を求めて、県八重山事務所や石垣市、市議会、竹富町、町議会に協力支援を要請するとともに、内閣府に同様の陳情書を送付した。平和祈念館は沖縄戦強制疎開マラリア犠牲者援護会の遺族補償に代わる慰謝事業として整備されたもの。現在は県が職員を常駐させ、県費で維持管理を行っている。
 
陳情書では「国の戦没者事業によって建立された施設の管理・運営は国の責任であり、国の支援が全くないことは極めて大きな問題だ」と指摘し、祈念館の維持管理費として1000万円の補助を求めている。要請で篠原会長は「沖縄振興策のように建物を建てるだけでなく、慰謝事業として、管理運営にも国の責任が見えるようにしてほしい。慰霊碑の建立などに感謝しているが、国の責任を明確にする有るべき姿を求めていかないと行けない」と要望。県八重山事務所の當間重美所長は「所管課や本庁と調整し、連携を取りながら検討していきたい」と述べ、宜野座葵分館長も「祈念館の重要性は認識しており、要請を真摯(しんし)に受け止めたい」と答えた。

中山義隆石垣市長は「戦争マラリアを風化させてはならず、国への要求にわれわれもしっかりと対応させてほしい」と述べ、川満栄長町長も「スジとしてその通りだと思う。県と連携していきたい」と述べた。また、要請に併せて前津栄信、佐久川勲副会長は「軍の命令で避難させられたところがどういう場所だったのか、避難所跡の標識を設置してほしい」「山中の避難場所で体験学習を行うことも平和学習につながる」と避難所跡地の標識設置を市や町に求めた。

6月26日 沖縄タイムス
八重山祈念館運営「国の責任」 管理費要請
       
八重山戦争マラリア遺族会(篠原武夫会長)は25日、国が「八重山地域マラリア死没者慰謝事業」で整備した石垣市新栄町の八重山平和祈念館について、管理運営費として来年度から毎年1000万円を国が補助するよう国や県などへ要請した。遺族会は、祈念館の運営は「国の責任」と考えており、類似する施設が国の補助で運営されている点も踏まえ、24日の総会で陳情することを決めた。

篠原会長ら遺族会役員は25日、當間重美・県八重山事務所長や中山義隆石垣市長、川満栄長竹富町長を訪ね、国の補助が実現できるよう協力要請。中山市長は「戦争マラリアを風化させてはならない。祈念館をしっかり運営し、伝えていく場にする必要がある」と前向きな姿勢を示した。慰謝事業は遺族でつくる「沖縄戦強制疎開マラリア犠牲者援護会」の遺族補償の要請に対し、国が補償に代わる措置として1995年12月に認定。96年以降、県が実施主体となり、慰霊碑や祈念館を建設した。

99年5月に開館した祈念館は、八重山の戦争マラリアに関する常設展のほか、「慰霊の日」に合わせた「児童・生徒の平和メッセージ展」など年に数回の企画展を実施している。祈念館や慰霊碑の建設後は県が管理、運営し、県費で賄われている。県は2011年度予算で同館の運営や展示活動などに関する経費約900万円を計上している。一方、同様に国の慰謝事業で建設された那覇市の「対馬丸記念館」は、国が毎年事業経費として約1000万円を補助しており、遺族会は「戦没者事業で建立された施設の管理、運営費は本来、国の責任で全額を負担するべきだ。箱物だけを造っておしまいではいけない」と訴えている。

八重山戦争マラリア 
沖縄戦時の八重山で、日本軍が住民をマラリア有病地帯の石垣島や西表島の山間部へ強制的に疎開させ、マラリアで3000人余りが死亡した。戦後、補償を求める遺族の声が高まり、国は1996年度、県に対し八重山地域マラリア死没者慰謝事業の助成を実施した。

関連記事

復帰40周年企画展「資料にみる八重山のあゆみ」 石垣市・八重山平和祈念館で
5月13日 石垣市の八重山平和祈念館で復帰40周年企画展
http://youtu.be/LoH8NJgwmQI
5月11日 沖縄タイムス 八重山の「復帰」 資料で振り返る

Yae2012_05173

西表(竹富町)の方より、5月17日 八重山毎日への黒島健さんの投書「天も泣いたその日の沖縄、そして八重山 」
先には「4.28沖縄デーの風化を憂う 」を転載させていただきました。

沖縄タイムス「沖縄を返せの闘い 復帰協40年後の証言」 

西表の石垣金星さん  

Times2012_05121

Times2012_05122

5月17日 沖縄タイムス
アイヌ言葉で戦没者供養 糸満 

20120517_0940_1hdnxrvp_r      
アイヌ民族の儀式で沖縄戦戦没者のみ霊を慰める「イチャルパ」=糸満市真栄平・南北の塔前

沖縄戦に動員され戦死したアイヌ民族の日本兵を含む全戦没者を追悼する供養祭「イチャルパ」が15日、市真栄平の南北の塔前で開かれた。伝統にのっとる様式で火の神に酒などを供え、アイヌの言葉でみ霊を慰めた。

川村アイヌ民族記念館館長(北海道)の川村シンリツ・エオリパック・アイヌさん(61)らが砂の上で火をたき、酒をささげアイヌの言葉で「仲間みなが繁栄し、幸せに暮らせるように神の国から守ってください」などと祈願した。川村さんは復帰40年に触れつつ「沖縄だけに基地を押しつけ続ける現状はおかしい。基地をなくさなければ平和な世はこない。北と南で連帯し訴えていきたい」と話した。

アイヌ民族と連帯する沖縄の会」主催で、「5・15平和活動」の一環として毎年この時期に実施している。13回目の今年は北海道を中心に県内外から約50人が出席した。

5月17日 八重山毎日
不連続線: 5月15日、日本復帰40周年

5月15日、日本復帰40周年である。14日の新聞は、米軍が公道を使ってPAC3展開訓練を始めたと報道している。沖縄の現状の象徴であろう。よく「本土に復帰して良かったと思うか、悪かったと思うか」というようなアンケートが行われるが、これは本来なら無意味な調査であるべきであった。特に今年のような復帰後40年もたっておれば、沖縄の人間がごく普通にこぞって「本当に良かった」と思えるような場面があふれていなければならなかったはずである。 

40年前の復帰記念式典を思い出す。私は東京でテレビを見ていた。屋良琉球政府主席は東京での式典には参加していなかった。式典の終わりに突然、当時の佐藤栄作首相が「テンノーヘイカ、バンザーイ」と大声一発、高々ともろ手を上げたのには実に驚いた。彼の頭の中には、どんな形であれ、沖縄を日本に取り戻したという領土意識しかなかったのであろう。

その天皇は敗戦後すぐ連合国最高司令官マッカーサーに対して「米軍が沖縄を長期間占領し自由に使用することは日米両国の利益にかなう」と申し出た当人である(いわゆる天皇の沖縄メッセージ)。式典当日、沖縄ではどしゃ降りの雨だったという。その雨が今も降り続いているのか。いや、雨以上の何かが今もなお、重く重く降り続けているのだ。

八重山毎日 「変わる八重山の姿」 自衛隊問題①-⑪

1 2

34

5 6

7 8

9 10

11

Photo

5月15-25日の八重山毎日紙面 西表(竹富町)の方より

石垣で5.15平和行進、白保小から新栄公園。 集会には200名が。

Yae2012_0516

5月16日の八重山毎日紙面 西表(竹富町)の方より

5月16日 八重山毎日
八重山から反戦平和訴え 5・15平和行進
労組や市民ら120人が参加復帰40周年

Cb995bc1478cfbf8b8186d26e803daca

沖縄の本土復帰40周年にあたる15日、歩いて平和を訴える「5・15平和行進」(同実行委員会主催)が白保小学校グラウンドから新栄公園までのコースで行われ、約120人の各労働組合代表や一般市民が参加し、反戦平和や先島への自衛隊配備反対を訴えた。引き続き午後6時からは新栄公園で「5・15平和とくらしを守る八重山地区集会」も開かれ、世界平和を求めたアピール文と「自衛隊の八重山配備を許さず、全住民で反対しよう!」などを盛り込んだ11項目のスローガンを採択した。

同行進は、平和な沖縄を子孫に残していこうと、沖縄が本土復帰した歴史的な意義を考えることなどを目的に毎年行われている。復帰から40年の節目を迎えた今年、政府が与那国町への自衛隊配備に向け、10億円の予算を付けるなど、先島への自衛隊配備が現実味を帯びてきたことから、今月6日には与那国町で初めて「5・15平和行進」を実施している。

出発式では上原均実行委員長が「県内6カ所での平和行進の締めくくりとなる八重山地区。平和の願いを訴え、みんなの気持ちをひとつに行進していきましょう」と呼びかけた。八重山地区での平和行進は午後1時、横断幕を先頭に白保小グラウンドをスタートし、宮良、磯辺、大浜、産業道路、桃林寺西通りから新栄公園までを行進。沿道の市民に自衛隊の先島配備反対や県内米軍基地の無条件・全面撤去を訴えた。

5月16日 沖縄タイムス
新基地建設反対 石垣で平和行進
20120516_0939_3bgjuiz7_r_2       
5・15八重山地区実行委員会は15日、石垣市内で平和行進と「平和とくらしを守る八重山地区集会」を実施した。参加者は時折、激しい雨に見舞われながら、約12キロの道のりを「与那国への自衛隊配備反対」「平和憲法を守り抜こう」とシュプレヒコールを上げながら行進した。

新栄公園で開かれた集会には約200人が参加。北朝鮮の長距離弾道ミサイルの発射実験に備え、国が先島地域へ地対空誘導弾パトリオットを配備したことを「南西諸島への自衛隊部隊配備の素地づくり」と懸念し、米軍も含めた県内への新基地建設に反対する趣旨のアピールを採択した。

実行委の上原均委員長は「復帰から40年たっても米軍基地は県内に居座っている。与那国への自衛隊配備など、八重山が軍事化されつつある今が正念場。基地建設に対し危機感を持って臨もう」と呼び掛けた。

那覇では夜、40年前を思い起こさせる土砂降りの中、沖縄平和運動センターが与儀公園で集会

5月16日 沖縄タイムス
県内各地 変わらぬ基地に抗議集会
20120516_0941_qg7vqgtp_r_2      
15日午後6時、那覇市・与儀公園
復帰後40年たっても変わらない基地被害に抗議する集会が15日、県内各地で開かれた。40年前に約1万人の県民総決起大会が開かれた与儀公園では、沖縄平和運動センターが「5・15県民集会」を開いた。

参加者約250人(主催者発表)は、「沖縄の現実は何も変わらない」「県民は復帰式典に怒っている」と拳を突き上げた。「政府の軍事優先、植民地的施策に抗議し、目に見える基地撤去を要求する」との集会宣言を採択した。

米軍普天間飛行場ゲート前の広場では、普天間爆音訴訟団が「オスプレイ配備を断じて許さない怒りの県民集会」を開催。石垣市では、5・15八重山地区実行委員会が平和行進と集会を通じ、自衛隊配備などに反対の声を上げた。

Img_07461

Img_07431

-->


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
復帰40年を前に (黒島 健)
2012-05-05 06:44:17
復帰40年を前に
あの日あのころを思いをいたしていたところ
不詳 私の投稿に・・
改めて復帰の内実を正し続けたいと思います
返信する

コメントを投稿