「平和と人権」 「八重山」 情報 PT.1 アーカイブ

旧ブログ人で掲載された記事のアーカイブです。

「沖縄」60年前から一体、何が変わったのか③ 対日講和発効60+1年、「本土復帰 」40+1年

2013-05-09 14:42:50 | 平和

「琉球独立論」に危惧を抱く右派系紙、琉球の自決権を中国や日本が認める認めないの問題ではない。

Sankei2013_04131

6月13日の産経

400年前に明(中国)が薩摩の琉球侵攻を容認したとしても、ヤマトの琉球支配が正当化されるものではない。 

6月4日 八重山日報
琉球侵攻 公式に容認 明「皇帝が大赦」日本に帰属、400年前に同意

06041

明朝廷の議事録「皇明実録」(国立公文書館所蔵、赤染康久氏撮影)  江戸時代初期に起きた薩摩藩の琉球国侵攻と併合に対し、当時の明国高官が「皇帝が大赦(赦免)を行った」と述べ、公式に容認していたことが、長崎純心大学の石井望准教授の調査で明らかになった。中国共産党の機関紙、人民日報は5月、「琉球の帰属問題は未解決」という論文を掲載したが、歴史的には400年前、明国が琉球国の日本帰属に同意しており、大勢は決していたことになる。

薩摩藩は1609年、琉球国に侵攻した。石井氏によると、明朝廷の議事録「皇明実録」に薩摩の琉球侵攻と明国の反応について記述があり、日本の国立公文書館所蔵の写本で確認できる。
 
1617年、日本から福建省に渡航した徳川幕府の使者、明石道友に対し、福建省の海防と外交の担当者だった韓仲雍(かん・ちゅうよう)が、日本はなぜ琉球を侵奪したのかと質問。明石は、薩摩の琉球侵攻は家康の代で済んだことであり、この件は薩摩を追究してほしい、と答えた。韓仲雍は「汝(なんじ)の琉球を併する、及び琉球のひそかになんじに役属(えきぞく)するは、また皆、わが天朝の赦前(しゃぜん)の事なり」(日本の琉球併合と、琉球が日本に服属したことは、3年前の皇太后崩御時に明の皇帝が大赦を行った前の出来事だ)と発言。8年前の琉球侵攻は、皇帝による「大赦」の対象であるとして不問に付し、公式に容認した。
 
韓仲雍はさらに「まさにみずから、彼の國(琉球)に向かいてこれを議すべし」と述べている「みずから」は明とも日本とも解釈できるが、石井氏は「この問題は済んだことなので、明国も日本もそれぞれ勝手に琉球と談判しようという意味だろう。いずれにしても、明国が日本による琉球併合に同意していたことに変わりはない」と指摘した。

石井氏によると、琉球国の帰属問題をめぐり、明国が公式に日本帰属に同意していたことを論じた研究はこれまでにないという。石井氏は「明国は琉球人の案内によって使者が琉球に渡航していただけであり、琉球に援軍を送ることは不可能だった。高官が(琉球の領有同意を示す)『大赦』という言葉を使ったのも、なかばメンツのために過ぎない」と分析している。

6月5日と6日に掲載された、「琉球史新議 明は併合に公式に同意した」  「nippou060506.doc」をダウンロード

5月23日 八重山毎日
5月20日付の「沖縄タイムス」紙に、
 
5月20日付の「沖縄タイムス」紙に、進藤榮一筑波大学名誉教授が「主権回復、沖縄から」と題して寄稿しておられる。教授は78年夏、米国公文書館で、あの「天皇メッセージ」を発見された方である。

教授はまず、52年のサンフランシスコ条約は片面講和にすぎず、日本が戦争で最も被害を与えた中、韓、北朝鮮は講和会議に招請されず、またソ連やインドなどは署名せず、つまり、あれは米国の世界戦略に反対しない国とだけ結んだ条約であり、とても主権回復とは言えないと述べ。そして「天皇は、米国が沖縄を軍事占領し続けることを希望し」それは「日本に主権を残存させた形で、長期にわたって?25年から50年ないしそれ以上貸与(租借)するという擬制の上になされるべき」という天皇メッセージが米国の対日政策の転換と沖縄基地恒久化の契機となったことを実証。

最後に、70年代スコットランドがトライデント・ミサイル配備をめぐって英国からの独立運動を展開、今、自主権回復の過程に入っていることを紹介しながら、沖縄の独立運動を提言。ひいてはそれが日本の真の主権回復ともなると結ばれている。私は今月16日の沖縄の若い学者たちによる「独立総合研究学会」の発足などを思い、歴史のダイナミズムを深く感じた。

Yae2013_05234

5月23日の八重山毎日紙面 西表(竹富町)の方より

「5・15県民大会」 5月20日の地元紙報道

Times2013_05291

5月20日の沖縄タイムス

5月20日 琉球新報
平和の思い、今こそ 県民大会、豪雨の中3500人誓う    

Img51997278c71ba

全国から参加した約3500人が豪雨の中、憲法改悪や県内新基地建設反対などを訴えた5・15平和とくらしを守る県民大会=19日、宜野湾海浜公園屋外劇場
 
沖縄の本土復帰41年目に合わせ「5・15平和とくらしを守る県民大会」(5・15平和行進実行委員会、沖縄平和運動センター主催)が19日、宜野湾海浜公園屋外劇場で開かれた。全国から約3500人(主催者発表)が参加した。垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの追加配備や辺野古新基地建設に反対、橋下徹大阪市長の慰安婦容認および在沖米軍への風俗業活用発言に抗議し、脱原発社会実現を訴えて自民党政権の改憲に反対する「5・15平和とくらしを守る県民大会宣言」を採択した。
 
平和行進は11日に宮古コース、15日に八重山コースが行われ、17日に始まった沖縄本島3コースは、19日に最終日を迎えた。約1300人が参加した。主催者代表で崎山嗣幸実行委員長は「沖縄では爆音被害による生活破壊が常に起きている。日本は果たして主権国家なのか。今後も平和への思いを高めていこう」と呼び掛けた。 旧日本軍の慰安婦にさせられた韓国の金福童(キム・ボクトン)さんも登壇。日本政府の謝罪と補償を求めた金さんは「戦争で国の力が弱ければ、皆さんも必ず被害に遭う。力を合わせ、戦争のない世界をつくろう」と語り掛けた。

5月20日 沖縄タイムス
5・15県民大会:橋下発言を強く非難
       
平和行進の参加者が宜野湾海浜公園に集まり、3日間の日程を締めくくった19日の「復帰41年 5・15平和とくらしを守る県民大会」。安倍政権による憲法改正の動きや、橋下徹大阪市長から「従軍慰安婦」容認発言が飛び出す中、登壇した市民団体の代表らは戦争想起や差別を助長させる政治家の発言を一斉に非難した。沖縄の民意を一顧だにしない政府に対しても発信力を高め、連携して基地撤去に向けた運動を強化することを確認した。

第3次嘉手納基地爆音差し止め訴訟原告団の新川秀清団長は「戦後68年、復帰後41年。踏みにじられてきた沖縄の実情は何ら変わっていない。米軍機の爆音も昼夜にわたっていまも続いている」と憤りをあらわにした。在日米軍に対し、米海兵隊員による風俗の活用を提案した橋下発言を「言語道断」とバッサリ批判。「今も基地で苦しんでいる沖縄に風俗営業を示し、さらに米兵の利用を勧める発言は、戦後の沖縄を無視した発言で政治家として絶対に許してはならない」と訴えた。

ヘリ基地反対協の安次富浩共同代表は、米側で普天間飛行場の名護市辺野古移設を困難視する見方やオスプレイを含め普天間部隊の豪州移転案が浮上していることを挙げ、「反対運動など沖縄の闘いの結果がアメリカ内部に(そういう)動きをつくった」と強調した。「今後も沖縄の民意を無視する政府を突き上げながら辺野古新基地建設を止め、普天間の即時閉鎖を勝ち取りたい」と運動を強化する考え。平和行進で東コース団長を務めた沖教組の下地哲治さんは3コース代表であいさつ。行進を終えて集まった3500人(主催者発表)の参加者に向けて、「ここに結集した皆さんの平和への思いを一つにまとめ大きな輪をつくろう」と呼び掛けた。「自分が平和行進を通して経験したことをこれからの子どもたちに伝えていく義務があると感じた」と力強く話した。

Sinpou2013_05202

5月20日の琉球新報

5月20日 沖縄タイムス
金さん、慰安所の実態証言 5・15大会

Pickh20130520_a0029000100500004_r

紹介を受け、立ち上がる韓国人の元「従軍慰安婦」の金福童さん(右)=19日、宜野湾市の宜野湾海浜公園

「国家による性暴力に遭い、人権を踏みにじられた少女のことを知ってますか」。韓国人の元「従軍慰安婦」、金福童(キムボクトン)さん(87)が、舞台の上から「慰安所」での生活を語り始めると、会場は静まり、地をたたく雨の音が響いた。
金さんが14歳のころ旧日本軍に連行された場所には、複数の部屋を備えた慰安所があったという。金さんは「日本政府は民間人が慰安所をつくったとしているが、(戦時下の)民間人があのような慰安所を準備できただろうか」と軍の関与を指摘。「日本政府はうそをつかず、公式に謝罪してほしい」と訴えた。

「台湾、中国などの慰安所を回り、1日に数十人の相手をさせられた」という金さん。日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長が「慰安婦は必要だった」と発言したことに「政治家が暴言を吐くことができないよう、皆さんが力を合わせてください」と参加者に求めた。大会後の取材に対し、24日予定の橋下市長との面談について「何を言うか、相手がどう答えるかは会ってみないと分からないが、私と彼との気持ちが合わなければ、闘いが始まる」と語った。沖縄での米兵による性犯罪には「軍事基地があるから、性暴力の危険性が高まることは歴史が物語っている」とし、基地撤去の必要性を強調した。

Sinpou2013_05201

5月20日の琉球新報

一方「右派」系は1,300人が「祖国復帰祈念大会」 佐喜真宜野湾市長出席

Sinpou2013_05204

5月20日の琉球新報

5月19日 琉球新報
3500人、改憲に怒りの拳 5・15県民大会

Img519881f38b562

全国から参加した約3500人が豪雨の中、憲法改定や県内新基地建設反対などを訴えた5・15平和とくらしを守る県民大会=19日、宜野湾海浜公園屋外劇場

復帰41年目を迎え「5・15平和とくらしを守る県民大会」(主催・5・15平和行進実行委員会、沖縄平和運動センター)が19日、宜野湾海浜公園屋外劇場で開かれた。全国から約3500人(主催者発表)が参加した。同日昼ごろから、沖縄本島3コースで17日に始まった平和行進団が同会場に合流した。午後2時の開始間もなく雨が降り出し、やがて豪雨となった。降りしきる雨の中、参加者は自民党政権が進める憲法改定や県内への新基地建設、オスプレイ配備に反対した。さらに橋下徹大阪市長の慰安婦容認発言や在沖米軍への風俗業活用提案に怒りの声を上げた。大会では「平和とくらしを守る5・15県民大会宣言」案を採択した。

主催者を代表して崎山嗣幸実行委員長は「沖縄では爆音被害による生活破壊も常に起きている。この国は果たして主権国家と言えるのか。今後も平和への思いを高めていこう」と連帯を呼び掛けた。韓国から迎えた日本軍の慰安婦被害者キム・ボクトンさんも登壇し、「過去の戦争で、私たちの国は弱かったから被害を受けた。皆さんも国が弱ければ必ず戦争の被害に遭う。力を合わせ、戦争のない世界をつくっていこう」と会場に語り掛けた。

5月19日 沖縄タイムス
基地強化に反対 宜野湾で5・15県民大会      

Imag2013051902577_imh_05_r

沖縄の置かれた現状にシュプレヒコールで抗議する大会参加者=19日午後2時すぎ、宜野湾海浜公園野外劇場

「復帰41年 5・15平和とくらしを守る県民大会」(主催・5・15平和行進実行委員会、沖縄平和運動センター)が19日、宜野湾海浜公園屋外劇場で開かれた。雷がとどろき雨が降りしきる中、県内外から3500人(主催者発表)が参加し、米軍基地の強化、拡大に反対し、日米地位協定の抜本的改定などを訴えた。11日の宮古コースを皮切りに始まった平和行進は、全行程を終了。県外からの1300人を含む6千人が参加した。

復帰41年 5・15平和とくらしを守る県民大会

P515

3,500名が参加、沖縄平和運動センター山城博治さんの司会でシュプレヒコールで始まり、崎山嗣幸沖縄平和運動センター議長の開会の挨拶、 町村長を代表して、新垣邦男北中城村長の挨拶など。

途中豪雨のため発言予定の人たちは紹介のみに変えて、済州島海軍基地建設に反対する団体「開拓者たち」ソン・ガンホ代表、橋下大阪市長に抗議のため来日された元「従軍慰安婦」金福童さんの挨拶。最後に八重山平和行進代表の挨拶。

Img_37471

シュプレヒコール

Img_37531

韓国からソン・ガンホさん、金福童さん

Img_37551

山嗣幸沖縄平和運動センター議長

Img_37591

新垣邦男北中城村長

Song

ソン・ガンホさん

Kim

金福童さん

Img_37641

八重山から

Img_37651

シュプレヒコール

復帰41年 5・15平和とくらしを守る県民大会
http://youtu.be/9rNPo7mUEVc

5・15平和行進

2日半にわたる平和行進、東コース、西コースが普天間基地大山ゲート前に到着。宜野湾海浜公園に向け最後の行進。

Img_37021

途中の警備や交通整理は警察官ではなく青年団などの青年たちが行っていました

Img_37161

「開拓者たち」ソン・ガンホさんら

Img_37231

先頭には山城博治さん

-->


最新の画像もっと見る

コメントを投稿