ミャンマーですが、目的は医療調査団です。
医療調査ですから、向こうの厚生省あたりとも話をしなければなりません。 当時ミャンマーは軍事政権下で、観光ビザならすぐに出るのですが、調査を警戒してかビザがなかなか出ない。 前年にも企画したそうですが、ビザが出ずに中止になったとのこと。 今年も、軍事政権が首都ヤンゴンを他に移転していて、複雑な国内事情の様で、日本国から頼んでいるのに、やはりビザが出ない。 1週間前になってやっとビザがおりて、出発することに決まりました。
出発は大阪から2名と、東京から3名の5名がタイのバンコクの空港で落ち合い、そこからミャンマーのヤンゴン空港に向かいました。
顔ぶれは、団長、旅行の世話をするM事務員と、臨床検査のM先生、リハビリ関係のS先生、そして放射線技師の私です。初対面の人もいたのですが、いよいよミャンマーに出発です。
ミャンマーです。 首都がヤンゴンですが、前述の様に軍が首都を移転してどこかよくわからないのですが、どこの国の大使館も移転先の首都には行かずにヤンゴンに残っています。 実にややこしい話ですが、軍事政権が独自に行うことはよくわかりません。
私たちはヤンゴンに行った後に、マンダレー(ミャンマー第2の都市)にも行きますので、カタカナで書き加えました。
先日の地震で大被害を受けたマンダレーです。
ミャンマーは昔はビルマという名前でした。 私が行った時にもアメリカはミャンマーを承認していないので、ビルマと呼んでいました。 日本でも年寄りはビルマといった方がわかりやすいと思います。
「ビルマの竪琴」という小説がありました。 とても有名な小説です。
太平洋戦争の後、ビルマで捕虜になった日本兵たちが、日本に帰れることになった。 皆大喜びなのですが、その日本兵を送りに来たビルマの僧の顔が水島上等兵に似ている。
土産に買ったビルマの僧ですが、こんなイデタチをして、手には竪琴(船の形をしたハープの様なもの)を持っているのは水島上等兵に違いない。
そこで、みんなで、水島いっしょに日本に帰ろう!! と呼ぶのですが、その僧は皆を見送るだけで、なにもしゃべらずに過ぎ去ったという涙ながらの話である。 多分、水島上等兵はビルマでの戦いで戦死したたくさんの日本兵の菩提を弔いたかったのかもしれません。
ということで、日本からタイのバンコク、そしてヤンゴンへと飛行機を乗り継いで行きました。
バンコクからヤンゴンは近いです。 ヤンゴンからマンダレーの線も描いています。
多分、関空です。タイ航空の飛行機でバンコクに行きました。
うなぎが付いてました。 なかなか良い食事です。
バンコク空港で乗り換えの掲示板です。 上の文字が異国に来たという感じ。
バンコクからミャンマーもタイ航空です。
こちらの食事、 時間が短いので軽食ではありますが、うーん、やはり日本食とはかなり違う。
タイ航空のアテンダント、やっぱり私はスチュアデスと呼びたいんだけれど。 客室乗務員なんてなんと味気のない呼び方だろうか。
? この頃はまだスチュアデスと呼んでいたかもしれません。
ほぼヤンゴンに到着しています。
つづく
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