みなさんこんにちは!今日のタンナは朝から曇りですが、涼しい風が気持ちよく吹いています。私は学校の敷地内に住んでいるのですが、週末は私しかいないので静かな時間を過ごすことができます。今回はno.38にしてやっとバヌアツのジェネラル インフォメーション(バヌアツの概要)についてお伝えします。「今更かいな(^^ゞ」とお思いの方もいると思うのですが、私としてはガイドブックに載っているような情報だけではなく実際にバヌアツで生活してみて、バヌアツを感じてからお伝えしたかったので今の時期になってしまいました。これから数回に分けてバヌアツの概要をお伝えいたします^^
[正式国名] バヌアツ共和国 Republic of Vanuatu
[面積] 1万2189㎢(83の島からなり、新潟県とほぼ同じ面積)
[人口] 約22万人(そのうち約20%が首都ポートビラに住んでいます)
[首都] ポートビラ(国内ではVila(ヴィラ)と呼ばれています)
[住民] メラネシア人がほとんど。他に中国人、ベトナム人、イギリス人、フランス人など。
[通貨とレート] 通貨単位はVT(バツ)、1vtは約1.1円。
[言語] ビスラマ語(ピジン英語)、英語、フランス語
[宗教] 主にキリスト教。タンナには貨物船を信仰の対象とするジョン・フラムがあります。
[気候] 乾季と冬季。今は雨季で季節は日本と逆になります。11月から3月が夏。6月から9月が冬。
[時差] 日本との時差はプラス2時間。日本が12時のとき、バヌアツは14時。
[識字率] 52.9%
[平均寿命] 男60.3歳、女63.2歳
[乳幼児死亡率] 60.8‰(2003)ちなみに日本は3‰
※ 出展・参考資料 外務省ホームページ、百科事典 マイペディア
バヌアツの日本での知名度は決して高くないと思います。私自身、赴任国の書いた書類が送られてきたとき「バヌアツ」という文字を見て「???」となったのを覚えています。バヌアツは日本から見ると赤道を越えた南太平洋に位置し、オーストラリアの東、フィジーとニューカレドニアの間、と説明するのが一番わかりやすいのではないかと思います。1878年からイギリス・フランスの共同統治(植民地)が行われ、独立は1980年(私と同い年です!)。独立前の名前は「ニューへブリデス」で、イギリス人の探検家ジェームス・クック(キャプテン・クック)が名づけたといわれています。バヌアツは火山島で、現在も9つの火山が活動中なのだそうです。その中でも最も有名なのが私の住むタンナ島にある世界で一番火口に近づける火山、ヤスール火山です。すでに4回ほど見に行きましたが、噴火活動が活発なときは思わず後ずさりしてしまうほどの迫力があります。また年末から活動が活発化していて、今は注意勧告が出ています。(とは言っても入山は各自の判断です)バヌアツといえば、人食い!という方もいらっしゃると思います。実際バヌアツではキリスト教が入る前は部族間闘争が絶えることがなく、首狩、人を食べるということも普通に行われていたそうです。特に私の住むタンナ島の男を「マンタンナ」と呼び、勇敢で強い(裏を返せば単純で野蛮)とバヌアツ国内でも一目置かれています。(マンタンナ=野蛮、賢くないと首都などでは差別的に見られることもあります。)そんなタンナ島では聞くところによると最近まで人食いが行われていたようです。私が計算したところによると30から35年前までそれは行われていたと考えられます。つまり、今の私の父親くらいの世代は人肉を食べたことがあるということです。その理由いかんは詳しく聞くことができませんでしたが、バヌアツ唯一の歴史書によると、以前は部族間闘争が絶え間なくあり、また村と村の友好関係は贈り物をし合うことで保たれていたそうで、例えばAの村がBの村を襲い人肉を得たら、それを友好関係にあるCの村へ贈る。村の関係は贈り物を贈りあうことで保たれるので、Cの村はお返しをしなくてはならず、もしそれができないとAの村と敵対関係となってしまう。そのため、Cの村はDの村を襲い人肉を得て、それをAの村へ贈る。それの繰り返しが行われていたということです。バヌアツには食料は豊富にあるので、飢餓などから人食いに走ったのではないと考えられます。一つの野蛮な「文化」だったと言えそうです。もちろんキリスト教の宣教師もその対象になり、記録があるだけで約600人の宣教師がバヌアツを訪れ食肉となったそうです。先月、チーフズデーという祝日に村であったセレモニーの中でも、
「(私を指差しながら)以前はホワイトマンがいたら食べた。しかし、今はそんなことはしない。」という話がありました^^;どうやら人食いは事実として最近まで行われていたようですね。ちなみに、バヌアツは青年海外協力隊の派遣国の中でも辞退率(派遣が決まってから辞退する率)が高い国だそうです。その理由は・・・もちろんこの「人食い」文化なのでしょうか(>_<)野蛮だといわれる「マンタンナ」のタンナ島ですが、住んでみると気候もよく、島のみんな気さくでとてもいいところなんですよ(^^)v島でも首都でも、私もタンナに住んでいるのでみんなに「マンタンナ」と言われます。私はそれを誇りに思っています☆
今回はこの辺で。次回はキリスト教の布教活動の歴史とイギリス・フランス共同統治についてお勉強しましょう♪では、また!!Imam!(^o^)/
写真は噴火するヤスール火山、ふもとから見たヤスール火山です。
[正式国名] バヌアツ共和国 Republic of Vanuatu
[面積] 1万2189㎢(83の島からなり、新潟県とほぼ同じ面積)
[人口] 約22万人(そのうち約20%が首都ポートビラに住んでいます)
[首都] ポートビラ(国内ではVila(ヴィラ)と呼ばれています)
[住民] メラネシア人がほとんど。他に中国人、ベトナム人、イギリス人、フランス人など。
[通貨とレート] 通貨単位はVT(バツ)、1vtは約1.1円。
[言語] ビスラマ語(ピジン英語)、英語、フランス語
[宗教] 主にキリスト教。タンナには貨物船を信仰の対象とするジョン・フラムがあります。
[気候] 乾季と冬季。今は雨季で季節は日本と逆になります。11月から3月が夏。6月から9月が冬。
[時差] 日本との時差はプラス2時間。日本が12時のとき、バヌアツは14時。
[識字率] 52.9%
[平均寿命] 男60.3歳、女63.2歳
[乳幼児死亡率] 60.8‰(2003)ちなみに日本は3‰
※ 出展・参考資料 外務省ホームページ、百科事典 マイペディア
バヌアツの日本での知名度は決して高くないと思います。私自身、赴任国の書いた書類が送られてきたとき「バヌアツ」という文字を見て「???」となったのを覚えています。バヌアツは日本から見ると赤道を越えた南太平洋に位置し、オーストラリアの東、フィジーとニューカレドニアの間、と説明するのが一番わかりやすいのではないかと思います。1878年からイギリス・フランスの共同統治(植民地)が行われ、独立は1980年(私と同い年です!)。独立前の名前は「ニューへブリデス」で、イギリス人の探検家ジェームス・クック(キャプテン・クック)が名づけたといわれています。バヌアツは火山島で、現在も9つの火山が活動中なのだそうです。その中でも最も有名なのが私の住むタンナ島にある世界で一番火口に近づける火山、ヤスール火山です。すでに4回ほど見に行きましたが、噴火活動が活発なときは思わず後ずさりしてしまうほどの迫力があります。また年末から活動が活発化していて、今は注意勧告が出ています。(とは言っても入山は各自の判断です)バヌアツといえば、人食い!という方もいらっしゃると思います。実際バヌアツではキリスト教が入る前は部族間闘争が絶えることがなく、首狩、人を食べるということも普通に行われていたそうです。特に私の住むタンナ島の男を「マンタンナ」と呼び、勇敢で強い(裏を返せば単純で野蛮)とバヌアツ国内でも一目置かれています。(マンタンナ=野蛮、賢くないと首都などでは差別的に見られることもあります。)そんなタンナ島では聞くところによると最近まで人食いが行われていたようです。私が計算したところによると30から35年前までそれは行われていたと考えられます。つまり、今の私の父親くらいの世代は人肉を食べたことがあるということです。その理由いかんは詳しく聞くことができませんでしたが、バヌアツ唯一の歴史書によると、以前は部族間闘争が絶え間なくあり、また村と村の友好関係は贈り物をし合うことで保たれていたそうで、例えばAの村がBの村を襲い人肉を得たら、それを友好関係にあるCの村へ贈る。村の関係は贈り物を贈りあうことで保たれるので、Cの村はお返しをしなくてはならず、もしそれができないとAの村と敵対関係となってしまう。そのため、Cの村はDの村を襲い人肉を得て、それをAの村へ贈る。それの繰り返しが行われていたということです。バヌアツには食料は豊富にあるので、飢餓などから人食いに走ったのではないと考えられます。一つの野蛮な「文化」だったと言えそうです。もちろんキリスト教の宣教師もその対象になり、記録があるだけで約600人の宣教師がバヌアツを訪れ食肉となったそうです。先月、チーフズデーという祝日に村であったセレモニーの中でも、
「(私を指差しながら)以前はホワイトマンがいたら食べた。しかし、今はそんなことはしない。」という話がありました^^;どうやら人食いは事実として最近まで行われていたようですね。ちなみに、バヌアツは青年海外協力隊の派遣国の中でも辞退率(派遣が決まってから辞退する率)が高い国だそうです。その理由は・・・もちろんこの「人食い」文化なのでしょうか(>_<)野蛮だといわれる「マンタンナ」のタンナ島ですが、住んでみると気候もよく、島のみんな気さくでとてもいいところなんですよ(^^)v島でも首都でも、私もタンナに住んでいるのでみんなに「マンタンナ」と言われます。私はそれを誇りに思っています☆
今回はこの辺で。次回はキリスト教の布教活動の歴史とイギリス・フランス共同統治についてお勉強しましょう♪では、また!!Imam!(^o^)/
写真は噴火するヤスール火山、ふもとから見たヤスール火山です。