みなさんこんにちは!もう8月も終わり。時の流れの早さに驚きます。今日は「ばぬあ通信no.68 一教育者の夢」で以前お伝えした丘の上の村での出張授業の様子とその結果をお伝えします。
私が出張授業をしたロアナップカメイ村は、タンナ島の中でも特に昔からのカスタムが色濃く残っている村で、多くの子どもたちが学校へ行っておらず、大人の中にも公用語のビスラマ語を話せない人がたくさんいます。その村で毎週木曜日の朝、5歳から8歳くらいの子どもたちを対象に算数と図工の授業を行うことができました。最初の交渉では「村で授業をさせて欲しい。」という私の申し出に、村のチーフたちは「教育は大切だ。来週から授業が出来るようにみんなに話しておくよ!」と快諾してくれていたのですが、実際約束の時間に村へ行ってみるとチーフの一人が「子どもたちの親の承諾が必要だ。」と言います。
バヌアツの独立は1980年。植民地時代、学費は無料で多くの人が学校へ行っていたそうですが、独立後は学費が必要になったため、多くの子どもが学校へ行かなく(行けなく)なりました。そのため私くらい年齢の人たちは、全く学校教育というものを受けていない、または学校教育が何かということを知らないという人がたくさんいます。その人たちが今の小さい子どもたちの親。「子どもを学校へ入れるとカスタムが廃(すた)れる。」これはタンナの村で時々耳にする言葉です。確かにそうのようなこともあるのかもしれませんが、私には学校へ行っていない彼らのアイデンティティを保つための言葉のような気もしました。
村で授業するための交渉にかかった時間はなんと5週間!その間もほぼ毎週、木曜日の朝はロアナップカメイ村へ行き、チーフと話したり村の人々に私がしようと思っていることを話したりしました。そこからわかったことは、ロアナップカメイ村の人々は「子どもが授業を受けたらお金を取られるのでは?授業をしたいと言っているヤツはいったいどこの誰?」ということを心配しているようだということがわかりました。そこで、私は日本のボランティアで授業はビジネス目的ではないこと、ロカタイ村に住んでいて教員であること、基礎的な算数が生活や村の外へ出たときに必要であることなどを村の人たちに話しました。ビスラマ語がわからない人たちの不安を取り除くため、簡単なものばかりですが村の言葉も覚えました。そして毎週日曜日に教会でチーフに私のことを話してもらったり、この村で活動しているピースコーの友人の協力を得て、ロアナップカメイ村での出張授業を実現することができました。
授業はビスラマ語とローカルラングレッジで行いました。中には「初めて鉛筆を持った!」という子も(^^)うれしいことに3回目の授業くらいから、今までは遠くからあいさつをするだけだった村の人たちが、私が村に入ったとたんローカルラングレッジで「先生がきたよ!先生がきたよ!」と私を迎えてくれるようになり、はだかん坊の自分の子どもに服を着せ「先生と一緒に行きなさい!」を送りだしてくれるようになりました^^(ここでははだかや下半身に布一枚という子どももめずらしくはありません。)村の入り口から授業をするチーフの家の軒下まで行く間に一人、また一人と子どもたちが増えていき、子どもたちが集まりきったところで授業開始!学校での授業と同じように一人ひとりにネームプレートをつくり、算数では数字の読み方、数え方、書き方練習。図工では折り紙や工作をしました。
今バヌアツでは来年から小学校が無料になるという話があります。この出張授業を機にロアナップカメイ村の人たちが教育に関心をもち、学校へ通う子どもが増えたらうれしいです。またこの私の挑戦は思わぬ成果を上げることもできました。それは現地教員が私のこの活動に興味をもってくれたということです。どの教員も多くの子どもが学校へ行っていないことを問題視してはいるのですが、こっちから村へ行って授業をするということは思いつかなかったようで、「それは素晴らしいことだ!」みな言ってくれました。子どもは等しく教育を受ける権利をもっている。今後現地教員もそれに目を向けてくれるかもしれません。
私の挑戦は私に貴重な経験とよろこび、そしてたくさんの笑顔を与えてくれました。ロアナップカメイ村での出張授業を通して、子どもたちがもつ小さな可能性の種に少し水をやることができたのではないかと思っています。きっと今日もロアナップカメイの私の小さな教え子たちは元気に楽しく過ごしているでしょう。
Impossible is nothing. You will make your own future !
これもタンナのみんなの理解と協力があったからできたこと。みんなどうもありがとう。素敵な週末を♪Ale!(^o^)/
写真は授業の様子です^^
私が出張授業をしたロアナップカメイ村は、タンナ島の中でも特に昔からのカスタムが色濃く残っている村で、多くの子どもたちが学校へ行っておらず、大人の中にも公用語のビスラマ語を話せない人がたくさんいます。その村で毎週木曜日の朝、5歳から8歳くらいの子どもたちを対象に算数と図工の授業を行うことができました。最初の交渉では「村で授業をさせて欲しい。」という私の申し出に、村のチーフたちは「教育は大切だ。来週から授業が出来るようにみんなに話しておくよ!」と快諾してくれていたのですが、実際約束の時間に村へ行ってみるとチーフの一人が「子どもたちの親の承諾が必要だ。」と言います。
バヌアツの独立は1980年。植民地時代、学費は無料で多くの人が学校へ行っていたそうですが、独立後は学費が必要になったため、多くの子どもが学校へ行かなく(行けなく)なりました。そのため私くらい年齢の人たちは、全く学校教育というものを受けていない、または学校教育が何かということを知らないという人がたくさんいます。その人たちが今の小さい子どもたちの親。「子どもを学校へ入れるとカスタムが廃(すた)れる。」これはタンナの村で時々耳にする言葉です。確かにそうのようなこともあるのかもしれませんが、私には学校へ行っていない彼らのアイデンティティを保つための言葉のような気もしました。
村で授業するための交渉にかかった時間はなんと5週間!その間もほぼ毎週、木曜日の朝はロアナップカメイ村へ行き、チーフと話したり村の人々に私がしようと思っていることを話したりしました。そこからわかったことは、ロアナップカメイ村の人々は「子どもが授業を受けたらお金を取られるのでは?授業をしたいと言っているヤツはいったいどこの誰?」ということを心配しているようだということがわかりました。そこで、私は日本のボランティアで授業はビジネス目的ではないこと、ロカタイ村に住んでいて教員であること、基礎的な算数が生活や村の外へ出たときに必要であることなどを村の人たちに話しました。ビスラマ語がわからない人たちの不安を取り除くため、簡単なものばかりですが村の言葉も覚えました。そして毎週日曜日に教会でチーフに私のことを話してもらったり、この村で活動しているピースコーの友人の協力を得て、ロアナップカメイ村での出張授業を実現することができました。
授業はビスラマ語とローカルラングレッジで行いました。中には「初めて鉛筆を持った!」という子も(^^)うれしいことに3回目の授業くらいから、今までは遠くからあいさつをするだけだった村の人たちが、私が村に入ったとたんローカルラングレッジで「先生がきたよ!先生がきたよ!」と私を迎えてくれるようになり、はだかん坊の自分の子どもに服を着せ「先生と一緒に行きなさい!」を送りだしてくれるようになりました^^(ここでははだかや下半身に布一枚という子どももめずらしくはありません。)村の入り口から授業をするチーフの家の軒下まで行く間に一人、また一人と子どもたちが増えていき、子どもたちが集まりきったところで授業開始!学校での授業と同じように一人ひとりにネームプレートをつくり、算数では数字の読み方、数え方、書き方練習。図工では折り紙や工作をしました。
今バヌアツでは来年から小学校が無料になるという話があります。この出張授業を機にロアナップカメイ村の人たちが教育に関心をもち、学校へ通う子どもが増えたらうれしいです。またこの私の挑戦は思わぬ成果を上げることもできました。それは現地教員が私のこの活動に興味をもってくれたということです。どの教員も多くの子どもが学校へ行っていないことを問題視してはいるのですが、こっちから村へ行って授業をするということは思いつかなかったようで、「それは素晴らしいことだ!」みな言ってくれました。子どもは等しく教育を受ける権利をもっている。今後現地教員もそれに目を向けてくれるかもしれません。
私の挑戦は私に貴重な経験とよろこび、そしてたくさんの笑顔を与えてくれました。ロアナップカメイ村での出張授業を通して、子どもたちがもつ小さな可能性の種に少し水をやることができたのではないかと思っています。きっと今日もロアナップカメイの私の小さな教え子たちは元気に楽しく過ごしているでしょう。
Impossible is nothing. You will make your own future !
これもタンナのみんなの理解と協力があったからできたこと。みんなどうもありがとう。素敵な週末を♪Ale!(^o^)/
写真は授業の様子です^^