ばぬあ通信 ―バヌアツ共和国 青年海外協力隊活動記―

青年海外協力隊としてバヌアツ共和国タンナ島で小学校教諭として2007年から2年間活動しました。未知の世界をあなたへ☆

no.94 8.30 挑戦がもたらしたもの

2009-08-30 00:45:01 | Weblog
みなさんこんにちは!もう8月も終わり。時の流れの早さに驚きます。今日は「ばぬあ通信no.68 一教育者の夢」で以前お伝えした丘の上の村での出張授業の様子とその結果をお伝えします。

私が出張授業をしたロアナップカメイ村は、タンナ島の中でも特に昔からのカスタムが色濃く残っている村で、多くの子どもたちが学校へ行っておらず、大人の中にも公用語のビスラマ語を話せない人がたくさんいます。その村で毎週木曜日の朝、5歳から8歳くらいの子どもたちを対象に算数と図工の授業を行うことができました。最初の交渉では「村で授業をさせて欲しい。」という私の申し出に、村のチーフたちは「教育は大切だ。来週から授業が出来るようにみんなに話しておくよ!」と快諾してくれていたのですが、実際約束の時間に村へ行ってみるとチーフの一人が「子どもたちの親の承諾が必要だ。」と言います。

バヌアツの独立は1980年。植民地時代、学費は無料で多くの人が学校へ行っていたそうですが、独立後は学費が必要になったため、多くの子どもが学校へ行かなく(行けなく)なりました。そのため私くらい年齢の人たちは、全く学校教育というものを受けていない、または学校教育が何かということを知らないという人がたくさんいます。その人たちが今の小さい子どもたちの親。「子どもを学校へ入れるとカスタムが廃(すた)れる。」これはタンナの村で時々耳にする言葉です。確かにそうのようなこともあるのかもしれませんが、私には学校へ行っていない彼らのアイデンティティを保つための言葉のような気もしました。

村で授業するための交渉にかかった時間はなんと5週間!その間もほぼ毎週、木曜日の朝はロアナップカメイ村へ行き、チーフと話したり村の人々に私がしようと思っていることを話したりしました。そこからわかったことは、ロアナップカメイ村の人々は「子どもが授業を受けたらお金を取られるのでは?授業をしたいと言っているヤツはいったいどこの誰?」ということを心配しているようだということがわかりました。そこで、私は日本のボランティアで授業はビジネス目的ではないこと、ロカタイ村に住んでいて教員であること、基礎的な算数が生活や村の外へ出たときに必要であることなどを村の人たちに話しました。ビスラマ語がわからない人たちの不安を取り除くため、簡単なものばかりですが村の言葉も覚えました。そして毎週日曜日に教会でチーフに私のことを話してもらったり、この村で活動しているピースコーの友人の協力を得て、ロアナップカメイ村での出張授業を実現することができました。

授業はビスラマ語とローカルラングレッジで行いました。中には「初めて鉛筆を持った!」という子も(^^)うれしいことに3回目の授業くらいから、今までは遠くからあいさつをするだけだった村の人たちが、私が村に入ったとたんローカルラングレッジで「先生がきたよ!先生がきたよ!」と私を迎えてくれるようになり、はだかん坊の自分の子どもに服を着せ「先生と一緒に行きなさい!」を送りだしてくれるようになりました^^(ここでははだかや下半身に布一枚という子どももめずらしくはありません。)村の入り口から授業をするチーフの家の軒下まで行く間に一人、また一人と子どもたちが増えていき、子どもたちが集まりきったところで授業開始!学校での授業と同じように一人ひとりにネームプレートをつくり、算数では数字の読み方、数え方、書き方練習。図工では折り紙や工作をしました。

今バヌアツでは来年から小学校が無料になるという話があります。この出張授業を機にロアナップカメイ村の人たちが教育に関心をもち、学校へ通う子どもが増えたらうれしいです。またこの私の挑戦は思わぬ成果を上げることもできました。それは現地教員が私のこの活動に興味をもってくれたということです。どの教員も多くの子どもが学校へ行っていないことを問題視してはいるのですが、こっちから村へ行って授業をするということは思いつかなかったようで、「それは素晴らしいことだ!」みな言ってくれました。子どもは等しく教育を受ける権利をもっている。今後現地教員もそれに目を向けてくれるかもしれません。

私の挑戦は私に貴重な経験とよろこび、そしてたくさんの笑顔を与えてくれました。ロアナップカメイ村での出張授業を通して、子どもたちがもつ小さな可能性の種に少し水をやることができたのではないかと思っています。きっと今日もロアナップカメイの私の小さな教え子たちは元気に楽しく過ごしているでしょう。

Impossible is nothing. You will make your own future !

これもタンナのみんなの理解と協力があったからできたこと。みんなどうもありがとう。素敵な週末を♪Ale!(^o^)/



写真は授業の様子です^^

no.93 8.14 震えた言葉

2009-08-14 18:43:05 | Weblog
みなさんこんにちは!タンナでの私の残り時間は11日になりました。まだ「ここを去るんだ」という気持ちにはなれていませんが、日々少しずついろいろなことが終わっていき、ゆっくりとタンナ最後の日が来るんだろうなぁと感じている今日この頃です。

今日(8/11)、山の上にある巡回先のラトゥーン小学校で算数ワークショップをしてきました。(算数ワークショップについては、ばぬあ通信no.70をご覧ください。)今日はラトゥーン小で行う最後のワークショップでした。今日のトピックは「分数」。バヌアツでは多くの先生が分数を正しく理解しておらず、間違った指導が行われることもめずらしいことではありません。2年前、私が赴任したときに参観したある小学校の授業でも、大きく間違った分数の指導が行われていました。しかしそのとき私はその間違いを指摘し、正すことができませんでした。赴任したばかりの私は「間違っている」と相手を否定し、正しい答えを言うことはできても、その理由や正しい考え方をビスラマ語で正しく伝えるだけの語学力がありませんでした。そしてそのとき「私が去るときまでにこの間違いを正そう!」と強く思ったのでした。あれから2年近い月日が経ち、今算数ワークショップの最後で「分数」を教えています。

今日のワークショップも和気あいあいとした雰囲気の中、現地教員は「忘れてたよ!」「そうなんだ!」と楽しそうです^^このラトゥーン小には私が誰よりも期待する若い先生「ヤブット」がいます。彼は仕事に対してルーズなところがなく、何よりも仕事に一生懸命。授業改善にも積極的。そして彼の授業はやさしい、温かい雰囲気をもっています。私は赴任したときから彼に魅せられ「彼に私の技術をすべて伝えたい!彼ならタンナを変えられるかもしれない!」と直感したのでした。ワークショップ中も彼は「和」を大切にしながら意見を出したり、みんなと相談してみんなの意見や質問をまとめて私に伝えてくれます。(この学校では現地教員同士はローカルラングレッジで会話しています)今日のワークショップの最後には「もし子どもに『(通分したあと)分数の足し算ではどうして分子は足すのに、分母は足さないのか』と聞かれたらなんて答えたらいいのだろう。」という、とてもいい質問を自然にしてくれました。ここバヌアツでは人前で質問することも大変なこと。「やっとここまでの関係を築けたんだ。」と感動すらしました。私はうれしく感じながらビスラマ語でその説明をしました。

今現在、彼は算数の分野において決して秀でてはいません。しかし、私は彼のやる気と内に秘めた情熱、そこから生まれる大きな可能性をいつも感じます。私は彼の真面目さと人柄に魅せられ、彼に対して精一杯の技術移転をしてきました。そして彼は今日、私にこう言ってくれたのです。「僕はテツヤから算数についていろいろ教わって、とても算数に興味が出たんだ。だから来年1年間、南太平洋大学の算数コースで勉強したいと思ってる。行けたらだけどね!」

・・・震えました。言葉になりませんでした。大学で勉強するには高い学費がかかるので、もしかしたら彼の進学は難しいかもしれません。でもそんなことよりも、現地教員が算数に対して、教育に対して向上心をもってくれた。そしてそれを行動に移そうとしてくれた。それだけでも十分うれしかった。目頭が熱くなりました。今日のこの感動は言葉にすることができません。私がバヌアツでまいた種が、早くも小さな芽を出そうとしている。そう遠くない将来、ヤブットは教員としてのスキルを高め、この国の教育を支える大きな木になってくれるでしょう。みんなに愛される大きな木に。私も負けてられない!もっともっと頑張るぞー!(^o^)/

国籍が違っても、言葉が違っても、熱い思いは必ず届く。

今私は、私を、そして私の活動を理解し、支えてくれている人々への感謝でいっぱいです。残り任期タンナで11日、バヌアツで1ヵ月半。この感動と感謝を胸に最後まで走り抜けます!ではまた!Imam!(^o^)/



写真は私が作ったTetsuya's Small MATHS Workshopの修了証を手にしたラトゥーン小の先生たちと最後の記念撮影をしたときのもの。私が首からかけているバスケットはラトゥーン小の先生たちからいただきました!左から私、ヤタ、ヤブット、アニー、ルートゥ。みんな、どうもありがとう\(^o^)/

no.92 8.12 Peace Corpsとのコラボレーション

2009-08-12 18:38:21 | Weblog
みなさんこんにちは!みなさんはピースコー(Peace Corps)というアメリカの団体をご存知でしょうか。ピースコーはケネディ大統領のニューフロンティア政策の一つとして1961年に誕生した国際協力団体で、発展途上国の人的資源の開発や経済発展のためにボランティア活動を行っています。国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊(JOCV)事業はこのピースコーをモデルに作られました。

先日タンナのミドルブッシュと呼ばれる地域でピースコーが行った2泊3日の青少年育成プログラムワークショップにロカタイ小学校の8年生二人を連れて私も同行してきました。このワークショップはリーダー養成が目的で、ティーンネイジャー(十代後半)の男の子に対して行われました。その中では「望ましいリーダーとは」「男女付き合い方」などの話し合いや、「料理」「ゲーム・レクリエーション」「性教育」も行われました。「望ましいリーダーとは?」という話し合いは、日本の学校で行われている道徳の授業に近い感じで進み、男女の話や性教育に関しては始めはみんな恥ずかしがって話し合いになりませんでしたが、ピースコーのメンバーがアメリカの話を、私が日本の話をしていくうちに参加者の若者もほぐれ、活発な議論と正しい知識の共有が行われました。

このワークショップで強く感じた意外なことがあります。それはアメリカ人の日本への関心の高さです。みな私にいろいろな質問をしてきました。文化、経済、暮らし、男女の付き合い方、などなど。そして一番関心があったのは宗教でした。その中でも特に仲良しのピースコーのティモシーは大の親日家で「もっと日本のこと教えてよ!」といろいろと聞いてきます。一番驚いた質問は「家族の名前は?」というものでした。「うちの親父の名前は勝行だよ。」というと「カツュユキ!」とうれしそうに何度もくり返しています。私が「(゜゜)???」と思っていると一言。「おれ、日本人の名前が大好きなんだ!」・・・そうなのね(^^ゞ

毎日ほとんど雨だったので寝ていたら顔に雨が・・・なんていうのは毎晩のこと!電気やガスなどの近代的なものが全くないミドルブッシュでの生活とピースコーとの協働はJOCVの活動の新しい可能性を感じさせてくれました。同じ世界平和を志す仲間としてピースコーとJOCVが協力することができたら、さらにたくさんの人々を笑顔にすることができるような気がしました。アメリカ人だからできること。日本人だからできること。それぞれの得意分野を合わせることができたら、今までは想像もしなかったことができるかもしれません。

帰宅後にピースコーのみんなへの感謝の意を込めて日本についてのレポートを英語でつくり、後日渡したらみんなとてもよろこんでくれました。「自国の文化に精通してこそ、真の国際人になれる。」これは私の持論です。それを現実させるためにも、これからもっともっと日本について勉強するぞ♪(^^)vそれにしても完全アメリカ英語の中の2泊3日は正直きつかった!(+_+)でもその後数日間、少しだけ私の英語の発音がよくなったような気がしました^^♪これが「習うより慣れろ」なんですね!ではまた。Ale!(^o^)/



写真は最終日の夜の様子。この夜はゲーム大会になり盛り上がりました。この日一番の盛り上がりを見せたのは「テツヤ、日本の歌歌って!」という無茶ぶりに対して私が「上を向いて歩こう」を熱唱したときでした(^^♪

no.91 8.10 仕事への誇り

2009-08-10 18:35:06 | Weblog
みなさんこんにちは!お変わりありませんでしょうか?ロカタイ小学校には学校の畑があり、今はえんどう豆や大根、ラディッシュ(赤カブ)が食べごろです。しかし、どうやら村の人はラディッシュや大根を作ってはみたものの食べたことはないようで、「テツヤ、これってどうやって食べるの?」と大真面目に聞いてくるので、「そのまま食べるよー♪」とラディッシュをその場でかじって見せたらみんなに「えー!!」と驚かれてしまいました(^^ゞ今日もロカタイ村は平和です♪

7月の第3週第4週と日本の友人が来タンナしてくれました。一組は高校時代の陸上部の友人、もう一組は都教員時代の友人です。二組ともタンナに滞在した時間は2・3日と短かったのですが、活発に噴火するヤスール火山を見ることもできたし、夜は我が家に友人プラス全タンナJOCVが集結し、食べて飲んで歌っての楽しい時間を過ごすことができました^^♪友人たちから今の日本の話を聞き、景気が思った以上に思わしくないことやこの2年で自分が「浦島太郎」になりかけていることがわかりました(^^ゞしかし、友人と話していて一番感じたことは日本人の「仕事への誇り」の高さでした。

なぜ日本が経済大国になったのか。なぜ経済大国になることができたのか。「その答えはこれなんだ。」と思いました。みんなが自分の仕事に誇りをもって働く。これこそが今の日本をつくったのだと思います。お金をもらって働くということは、その道のプロであるということ。日本人はきっと個人差こそあれど、この気持ちが強いのではないかと思います。この思いが生む「向上心」や「こだわり」が世界一の「ものづくり大国日本」を作り上げたと思うし、日本の高い教育水準を支えているのだと思います。どんなに楽しくふざけていても仕事の話になったら真剣になる。友人たちのその目にはプロとしての誇りと自信がみなぎっていました。

仕事に誇りをもつということは、自らの生き方に誇りをもつということ。自らに誇りをもって生きるということ、それは幸せに生きることともいえるのではないかと思います。1ヵ月半後には私は帰国し、日本(の予定(^^ゞ)です。帰国が目の前になり「帰国後どうしようかな?」という漠然とした不安を感じることもあります。今、人間として、日本人として、教育者として、青年海外協力隊員としてすべきこととは何か。日本から来てくれた友人たちと一緒に過ごしたことで、私が帰国後何をすればいいのかが少し見えたような気がしています^^

この約2年間、日本人の代表として国際協力のプロになれるようにと日々努力してきたつもりです。最近やっと国際協力とは何かということが見えかけてきたような気がしてきたのになぁ・・・。残り任期は1ヵ月半。まだまだ学ぶべきことがたくさん私を待っています^^!泣いても一日、笑っても一日。一日一日を大切に活動していきたいと思います。みなさんも素敵な一日を!Ale!(^o^)/





写真はタンナで子どもたちと使おうと思って日本から持ってきたとびなわです。左に一本だけあるものは、私が小学校4年生のときから大切に使っているものです。もちろん今も現役です。20年前に100円で購入したこのとびなわは、つくった人のこだわりを歳月を超えて伝えてくれます。さすがJapan made !!自動車をはじめ、外国で活躍している日本製品はいつも私を勇気付けてくれました(^^)

no.90 8.8 うれしい出来事

2009-08-08 18:31:32 | Weblog
みなさんこんにちは!2年間で100号を目標にみなさんにお送りしてきたこの「ばぬあ通信」は何と今回で90号!こうしてタンナで活動できているのはみなさんの理解と応援があってのものです。改めて、どうもありがとうございます(^^)

今日はある日の夕方の「うれしい出来事」についてお伝えします。そう、それはある普通の日の普通の夕方。「そろそろカバでも飲みに行こうかな~」と思っていると、誰かがドアをノックしました。「ん!?誰かな?」と思ってドアを開けるとそこにはロカタイ小の5・6年生の担任の女性の先生が。(ロカタイ小の5・6年生は複式学級なので、2学年で1クラスです)なんだかモジモジしているので「どうしたの?」と聞いてみたら、「テツヤにお礼が言いたくてきたの。」というではありませんか。「んん?なんのお礼?」と思っていると「クラスの子どもたちの学力が最近すごく伸びたのよ。特に文章題に対する理解力が大幅に伸びたの。だからテツヤに一言お礼が言いたくて・・・」と言うではありませんか!

この5・6年生の担任は赤ちゃんがいるので、時々クラスを空けることがあり、そのときに私が変わりに授業をもつことが最近何回かありました。確かに他の学年と比べて授業をした回数は多かったのですが、もともと彼女のクラスは学級経営がしっかりしていたので指導しやすい学年でした。私自身も5・6年生には手ごたえを感じていましたが、それを担任も感じ、わざわざお礼を言いに来てくれるなんて!そのときは「ありがとう!おれもうれしい!二人で協力した成果だね!」と二人で盛り上がりましたが、少し時間が経ち今はしみじみと「あぁ、よかった・・・。」と思います。もう昔のことはあまり覚えていませんが、昨年は悩み、苦しんだ日々だった・・・ような気がします(^^ゞしかし今、活動の終わりを目前にして「私がタンナへ来た意味が少しはあったかな」とやっと思えるようになりました。現地教員対象の出張算数ワークショップもうまくいっているし、やっと、本当に終わりを目前にして、やっとのことで自分の存在意義を見いだせるところまでくることができました。

あぁ、タンナヘ来てよーかったぁー!\(^o^)/

「道は私たちの前にはなく、歩んだ後にできるもの、そして評価はその道が歴史の一コマになったときに下されるもの」これは私の尊敬する大切な人が私にくれた高村光太郎の詩の一節。私が歩んだ道がいつか誰かの人生を助けることになったらJOCVとしてこれ以上の幸せはありません。よーし最後の最後まで歩みきって・・・いや、こうなったら小走りで・・・よっしゃー!思いっきり走りきるぞ~^^♪

みなさんも素敵な週末を♪ではまた!Ale!(^o^)/


写真は5・6年生に手伝ってもらって3年生の図工をしたときのものです。5・6年生はみんな立派に助手を務めてくれました^^

no.89 8.6 割礼のお祭り

2009-08-06 18:21:55 | Weblog
みなさんこんにちは!お変わりありませんか?タンナはまだ朝夕冷えますが、日本は夏真っ盛りなんでしょうね^^うらやましい!

6月から8月にかけてタンナでは割礼の儀式が村々で行われます。タンナでは割礼のお祭りを「ゴウリ」と呼びます。タンナの割礼は5歳から7歳の男子にのみ行われ、割礼を行った子どもはカスタムスタイル(裸にナンバス[ペニスサック])で約1ヶ月村のナカマルで生活します。その間、母親はもちろん女性と会うことはできず、村の長老などと寝食を共にし、村のカスタム(決まりや掟)を学びます。そして、無事にその修行?を終え、初めて女性の前に姿を現すとき盛大なお祝いが行われます。それが「ゴウリ」です^^

今年はすでに三つの集落の割礼のお祭りに参加しました。今日はそのうちの一つ、イパイ村でのお祭りの様子をお伝えします。今年イパイで割礼を行った子どもは2名。イパイは私が巡回指導を行ったラトゥーン小学校の近くでロカタイ村から歩いて40分程度の丘の上にあるのですが、今でも強いカスタムが残っている地域です。そのイパイ出身の友人ヤブットに「7月3日に来てね!」と言われていたので、3日に行ったところ村のナカマルは準備の真っ最中。「あれま。ずいぶんのんびり準備してるなぁ。間に合うのかな?」と思っていたら、ヤブットが一言。「ごめん。日付間違っちゃった♪3日じゃなくて4日だった(^^ゞ」なーるほど!おっけーまた明日ねー♪と言うわけで、4日に出直してみるとヤブットに「こっちこっち!」と誘われブッシュの中へ・・・。そこには儀式へ向けて衣装やメイクをしている男たちが。気がついたら私は割礼をした子どもの親族に仲間入りし、親族としてお祭りに参加することになっていました!9時始まりの予定が実際に儀式が始まったのは4時間遅れの13時(^_^;)村のチーフ、割礼を終えた子どもと父親、村の男たちと一緒に列を作ってナカマルへ入場。そして村の人たちとカスタムダンス。ヤブットのおかげですっかりイパイの一員になることができました^^あとで聞いてみたところ、どうやら私はロカタイ村の代表としてこのお祭りに参加していたようです。観光目的ではない本当の文化に触れることができること自体貴重な経験なのに、親族としてこのお祭りに参加することができるなんて思ってもいなかったのでとてもうれしかったです。

さて、ちょっとした疑問。なぜタンナでは割礼をするのか??どんな意味があるのか??子どもは割礼をすることによって親の一部ではなく一人の人間としての権利を得ることができるのだそうです。また一定期間親元を離れて男だけの世界で生活し、村のカスタムを学ぶことによって男の子は「村の男」になっていくのだと思いました。まさに「かわいい子には旅させよ」ですね!古くからのカスタムを今も守り続けている。これがマンタンナの強さの秘訣かもしれません。ちなみに女の子のお祝いは初潮を迎えたときに海で行うそうです。

私は学校での授業があるのでそのすべてには参加しませんでしたが、このお祭りはこのあと3日間続き、毎夜朝までカスタムダンスを踊り続けます。先週末には我がロカタイ村でも「ゴウリ」が行われ、こちらでも一緒に入場しカスタムダンスをしてきました。カスタムダンスは力を入れて足踏みをくり返すので、2時間以上踊るとさすがに足の裏が痛くなります。村の行事に参加し、村の人と一つになれる瞬間は何よりも楽しい時間です。いやー楽しかった\(^o^)/

8月になり、タンナはそろそろ寒さとはお別れかな?私の出タンナは8月23日の予定です。ということはあと3週間弱!最後まで頑張るぞ~^^/どうぞみなさまも健康第一で。Ale!



写真はイパイ村での儀式の様子とフェイスペイントの様子です。主役はさすがに疲れちゃってます(^^ゞ鮮やかなオレンジの顔料は昔は木の実からとっていたそうですが、今では市販されているものを使っているそうです。

no.89 8.6 画像

2009-08-06 18:00:27 | Weblog
小さな子どもは最後にペイントします。理由?最初にやってあげても遊んでいるうちに取れてしまうから。その辺は日本と同じですね^^

no.88 8.3 タフェア・カナキー アートフェスティバル

2009-08-03 18:17:57 | Weblog
みなさんこんにちは!ここ数日のタンナはすっきりしない天気が続いています。タンナでは風邪が流行っていて風邪気味の人がたくさんいます。今のところ私は元気です。健康あっての活動。残り任期1ヵ月半、元気に乗り切ります^^

今日は7月20日から25日までタンナで行われた空前絶後のお祭り「タフェア・カナキー アートフェスティバル」についてお伝えします。タフェアとはタンナ島がある州の名前で、カナキーとはニューカレドニアの先住民の俗称です。このお祭りはタンナのホワイトグラス空港とニューカレドニアのヌメア空港をつなぐ国際線の開通をお祝いして行われ、費用はすべてニューカレドニア政府が負担。このお祭り期間中は学校は休みになり、島をあげてのお祭りモード。会場はタンナの商業の中心のレナケルで行われ、首相や各大臣などもタンナ入りして大々的に行われました。その内容はヤムいも収穫祭にカスタムダンス、マンタンナVSカナキーのサッカーエキシビジョンマッチ、バレーボール大会、ボクシングマッチなどなど。そして夜のスタジアムは野外ダンスホールと化し、夜通しダンス!(゜゜)!

お祭りの期間はどこへ行っても人・ひと・ヒト!新しいお店ができていたり、急に道が整備されていたりしてまるで知らない土地へ来たようでした。とはいえ、やっぱりここはタンナ。お祭りが始まっても会場は出来上がっていなかったし、初日の開会式の始まりは朝9時予定だったのに、実際始まったのはなんと夕方4時!^^;また7月30日はバヌアツのインデペンデントデイ(独立記念日)なので、25日にアートフェスティバルが終わっても引き続きお祭りムード・・・のはずなのに、あらら?どうやらみんな疲れてしまったようで、アートフェスティバルが終わった後のインデペンデントのお祭りはこじんまりしていました(^^ゞ

島に溢れていた人も今はみな帰り、「フェスティバル つわものどもが 夢の跡」。このお祭りを機にタンナは一気に近代化するのかな?と心配していたのですがどうやら取り越し苦労だったようです(^^;おとといの夕方、ひろさんと二人閑散としたレナケルを歩きながら「いつものタンナに戻ったね~やっぱりこの感じがいいよね~♪」と話しました^^古きよき暮らしを続け、自然と共に生きる。やっぱりタンナはこうでなくっちゃ!ところで、あのお祭りのとき以来ヌメアからの飛行機は来ていないのですが・・・?どういうことだ?う~ん、やっぱりタンナってミステリアス☆^^

次回は割礼のお祭りについてお伝えします!お!雨が降ってきました!この雨でレインタンクの水が溜まるかな~♪明日洗濯しよーっと!ではまた!Ale!(^o^)/




写真はヌメアからの飛行機が到着したときの空港の様子です。