ばぬあ通信 ―バヌアツ共和国 青年海外協力隊活動記―

青年海外協力隊としてバヌアツ共和国タンナ島で小学校教諭として2007年から2年間活動しました。未知の世界をあなたへ☆

no.100 1.7 最終回 輝く未来へ

2010-01-07 23:21:33 | Weblog
あけましておめでとうございます。または寒中お見舞い申し上げます。2010年になり一週間が経ちました。いかがお過ごしでしょうか。

青年海外協力隊の隊員として2007年9月にバヌアツに派遣され「ばぬあ通信 no.1」を書き始めてから早2年3ヶ月、今日ついに100号を迎えることができました。みなさんの理解と応援があったからこそ2年間の任期を全うすることができ、このばぬあ通信も100号まで送ることができました。本当にどうもありがとうございました!

23歳のときに初めて行った海外旅行のオーストラリアで、現地の小学校に飛び込んだときに感じた「異文化の中で現地の人たちと生活したい、働きたい」という夢は、いつしか私の中で「絶対にやるべきこと」になり、私は青年海外協力隊へ参加しました。

日本国内での派遣前訓練も含め、協力隊員としてこの約3年間で私が学んだこと、知ったこと、気がついたことは夜空の星たちよりも多く、それらはこれからも私の人生の中で輝き続けていくと思います。バヌアツの人々や自然、タンナのみんな、高い志をもった他国のボランティアや誇り高き協力隊の仲間、日本から応援してくれた方々の言葉、タンナでの長い夜に振り返り思った私の人生の中で出会った人たち、島での孤独、活動での苦労、絶望、試行錯誤、よろこび、それらのすべては私に計り知れない影響を与え、私を人としても教育に携わるものとしても成長させてくれました。

日本を遠く離れバヌアツで過ごし、国際協力の現場で活動したことで、祖国日本についてたくさん考える機会を得て、いかに日本が世界でも稀で貴重な国であるのかも知ることができました。国際社会において、日本が世界のためにできることはたくさんあり、また日本にしかできないこと、日本人にしかできないことがたくさんあることを痛感しました。私は今、日本という国にも、自分が日本人であることにも誇りをもっています。

帰国して3ヶ月。時々私はこの3年間で失ったものの多さに気が滅入ることがあります。不自由のない生活、安定した暮らし、誇れる仕事、温かい友人や尊敬できる仲間と過ごす時間、大切な人、日本で過ごす2年間という時間、充実した日々・・・。気持ちが弱くなったときは、それらを捨ててまで協力隊へ行く必要があったのだろうかと思うこともあります。何の不満もない充実した日々を捨てて夢を叶えた代償は思ったよりも大きく、時に私を苦しめました。しかし、悔いる気持ちはありません。人生は勝負だ!夢は叶えるためにある。夢を叶えた私は今、もっと大きな夢をみることができます。また挑戦することができます。

困っている人がいたら手を差し伸べる。お互いの得意なことを教えあう。 相手の痛みを自分の痛みのように感じる。共に悩み、共に生きる。いろいろと考えてみると、協力隊の活動は何も特別なことではなく、普通のことなんだと気付かされます。同じ地球に住む仲間として助け合う。これは人として当然のこと。国際協力に理由などいらない。私はそう思います。その一部になれたことを誇りに思います。世界平和なんて理想論にすぎず、不可能なことなのかもしれません。でも私はそうわかっていてもこの理想を追い続けたい。死ぬまで挑戦し続けたいと思います。

私は世界の貧困をとめることもできないし、世界中の核兵器をなくすことも、イスラエルの紛争を解決することもできません。
でも私は思うのです。

「もしすべての人が今目の前にいる人を幸せにできたら世界は変わる。
人は人を思う。
人は人のために生きる。
そして人種も国籍も関係なく、そこに熱意と愛があれば思いは届く。」と。

タンナで過ごしていた任期中、日本と私をつなぐ命綱だったこの「ばぬあ通信」に2年間お付き合いいただき、本当にありがとうございました。感謝の気持ちで一杯です。2010年気持ち新たに初心に返り、今自分がすべきこと、自分にできることを精一杯頑張ります!今こうして生きていることに感謝し、輝く未来へ向かってまた自分らしく全力で走り出そうと思います。未熟な私ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

今まで本当にどうもありがとうございました\(^o^)/


よりよい明日を、世界の人々と。
よりよい未来を、世界の人々と、そしてあなたと。


                    平成19年度2次隊 バヌアツ派遣 
                    世界一幸せなボランティア 伊東徹也

no.99 12.28 日本での社会還元活動

2009-12-28 11:09:02 | Weblog
こんにちは!ご無沙汰しております。みなさんお変わりありませんでしょうか。早いものでもう今年も終わりですね!時の流れは早く、今ではバヌアツで活動していたのが遥か昔のことのように感じられます。私は任国バヌアツから帰国してちょうど3ヶ月が経ちました。今日は帰国後私が行っている社会還元活動についてお伝えしたいと思います。

青年海外協力隊を始めとしたJICAボランティアの目的には、開発途上国での活動に加えて、ボランティア活動の社会還元もあります。JICAには「JICA国際協力出前講座」という、協力隊経験者などが学校等へ出張して行う国際理解教育活動があり、私も多くの人たちに支えてもらった感謝と私の経験が少しでも日本と世界の人々の幸せを築く役に立てればと思い、現在JICA国際協力出前講座の講師として社会還元活動をしています。

今までに、つくば市の小学校2校、龍ヶ崎市の中学校、茨城大学で国際協力についての講義をさせていただき、年明けに土浦市の小学校とつくば市の高校でも講義をさせていただく予定です。聞き手に合わせてバヌアツでの2年間の活動や経験、考えたこと、気がついたことや世界の現状をわかりやすく伝えることはとても難しく、毎回ドキドキしながら講義をしています。自分が講師となり国際協力についての講義をすることで、私自身もさらに深くさまざまなことを考える機会を得ることができ、たくさんの人たちと話をする中で、また自分の思いを言葉にする中で毎回新しい発見をしています。

先日、講義をさせていただいた茨城大学の先生が、学生たちの私の講義に対するレポートを送ってくださいました。私がこの2年間で感じたことや考えたことをうまく伝えられるのだろうか、先生や学生たちのニーズに応えられるだろうか、という不安の中で講義をさせていただいたのですが、60名以上の学生のレポートを読み、私が考えていた以上に学生のみなさんは私の考えや思いを感じ取ってくれていることがわかり、その上たくさんの身に余るうれしいコメントをいただくことができました。

帰国して3ヶ月、なんだかんだと忙しく生活する中で、実は今でも言葉にできない不安や葛藤と毎日戦っています。しかし出前講座を通して、私の今までの人生やバヌアツでの活動から学んだ多くのことを伝える機会をいただき、その中で多少なりとも講義を聞いてくれた人たちをインスパイアーすることができたんだということは私の自信になり、ずいぶん私の気持ちを楽にしてくれました。

「これでよかったのだろうか。」
「今するべきことは何なのか。」
「自分には何ができるのか。」

時々迷うことも悩むこともあるけれど、人生は常にベストな選択をしながら生きている。今こうして生きていること、そして思いを伝える機会を得ることができることに感謝し、また全力で走ることができる日に備えて、今できることを少しずつ頑張ろうと思います。

長い間お伝えしてきた「ばぬあ通信」ですが、ついに残り1回になりました。また年明けにみなさまにごあいさつできることを楽しみにしています。どうぞよいお年をお迎えください。ではまた!Imam!\(^o^)/



写真は茨城大学での講義の様子です。毎回講義をするときは緊張します(>_<)!
私に国際協力出前講座の機会を与えてくださったみなさま、どうもありがとうございました!




no.98 10.19 バヌアツでの2年間=日本での1ヶ月

2009-10-19 15:47:54 | Weblog
みなさんこんにちは!ご無沙汰しています。早いものでもうすぐ帰国して1ヶ月が経ちます。この1ヶ月、日本での暮らしにも慣れていく中で、バヌアツでの暮らしと日本での暮らしを比べ驚くことがたくさんありました。

昨日テレビを見ていて知ったのですが、日本の家庭の一日の平均電気使用量は10kwhだそうです。「さて、バヌアツではどうだったかな?」と思い返してみると、バヌアツでは電気メーターにカードを差し込んで使うプリペイドカード方式で、カードは1枚30kwhでした。電気は近所3軒で共有でしたが、そのカード1枚で大体3週間生活することができました。単純計算で私はバヌアツで1日約0.47kwhの電気を使っていたことになります。これは日本の平均の約5%です。もちろん日本とバヌアツでは国の規模も生活様式も違うので、単純に比較することに意味はないかもしれませんが、私がバヌアツで使った2年間分の電気を、日本でのこの1ヶ月でほぼ使ってしまったと考えると複雑な気持ちになりました。

今日、世界中の人々が環境対策を唱えています。日本のみではなく、人類全体に言えますが、便利さ快適さを求めることにより今後もエネルギー消費量は増え続けていきます。世界の人々が便利な暮らしをすることはよろこばしいことです。しかし、現状は手放しでそれをよろこんではいられないということはご存知の通りです。

今この瞬間も地球の自然は崩壊を続けていて、その影響で苦しむ人たちがいます。便利かつ快適な暮らしをしている我々日本人は今の環境悪化等が生む痛手を背負うのは当然といえば当然であり、その改善のために努力するのも当然であるといえると思います。しかし、世界中の多くの地域の人々はとりたてて便利な生活や快適な暮らしをしてきたわけではないのにこの地球の環境悪化に飲み込まれてしまっています。

他人の不幸の上に自分の幸せを築いてはいけない。

この1ヶ月、世界最高水準の便利な暮らしをしていて、それを痛感しています。日本人として、地球で暮らす一員として、この地球のために今できることをしていかなくてはならないと思いました。都市部では快適に過ごすためにエアコンを使うことで、周囲の温度が上がってしまい、そのためにさらにエアコンを使うはめになるという悪循環もあります。今までは快適さだけを求めてきましたが、これからは長い目で見て多少の我慢をすることも必要なのかもしれません。

現在日本は世界第4位のエネルギー消費国だそうですが、資源に乏しいためエネルギーをつくるための原料の大半を輸入に頼っているそうです。欧州には石油危機や環境の悪化などの影響もあり、環境先進国がたくさんあります。日本も一日も早くこの環境先進国の仲間入りし、そしてこの環境先進国のリーダーになって欲しいです。そのためにも、地球環境のためにも、私たちができることはたくさんあります。「One for all, All for one.」ですね!

昨日つくばの国際会議場であった青年海外協力隊の応募説明会の個別相談員をしてきました。希望とやる気に満ちた若い人たちから元気をもらってきました^^私はよくバヌアツの現地の先生たちに「算数はstep by stepだよ!」と言っていました。そうか!人生もstep by stepなんだよな(^^)今できることを急がず焦らず確実にがんばろーっと\(^o^)/

素敵な一週間を♪ではまた!Ale!(^o^)/


写真は首都ポートビラの近くにあるエラコールアイランドというところへ後輩隊員と遊びに行ったときの写真です。この桟橋は満潮時には完全に水没してしまいます。地球温暖化の影響を目の当たりにしました。桟橋の対岸のこのエラコールアイランド自体満潮時にはほぼ水没してしまいます。

no.97 10.6 祖国日本へ

2009-10-06 03:17:57 | Weblog
みなさんご無沙汰しています!私は9月22日に無事日本へ帰国し、今は茨城の実家で生活しています。帰国直後はJICAの帰国研修やセミナー等でバタバタしていました。私は帰国したのですが、この「ばぬあ通信」は100号で完結!あと残り4回お付き合いしていただければ幸いです。

実は私は帰国の前後数日間、体がだるく気持ちが悪くなったりめまいが出たりと、今まで味わったことのないような体調不良に苦しんでいました。帰国して約2週間、なぜあのときあんなに体調が悪かったのかな?とずっと考えていました。食べ物?水?カバ?帰国前に首都で贅沢しすぎたから?などなど思い当たる節がありすぎてその直接的な原因は今もわからないのですが、今思うとあの体調不良の原因は自分がバヌアツを去り、日本へ帰るという現状を理解しきれなったことが原因だったのではないかと思っています。

帰国間際まで活動に追われていて、「帰国するんだ」という気持ちになることのないまま帰国当日を迎えてしまったことで、心はまだまだバヌアツにいるのに体は日本へ向かっているという心身がねじれたような状態になっていたことがあの体調不良の原因だったのではないかと思います。今でもどこかバヌアツでの活動の続きをしたい、しなくては、という気持ちになります。私なりにできることをやり遂げたつもりでいましたが、タンナJOCVのみんなからタンナの話を聞いたりすると「おれもそこにいたいなぁ」という気持ちになるし、「おれはもっともっとやれたんじゃないか、本当に全力でやってきたのだろうか。」と考えてしまいます。

ロカタイ村に帰りたい、ロカタイの家へ戻っていつものように暮らしたい、と思うこともあります。正直なところ、今自分が日本にいることに違和感があります。でもそれは時間の力を借りながら解消できると思っています。真新しい革の製品が最初は硬く味気なくても、時間が経つことで馴染み味わい深くなっていき、そして自分だけのものになるように。

大切なことは場所ではなく、自分自身。今ここでできることをまた精一杯一つずつやっていこうと思います。

サモアやインドネシアでは大地震によって甚大な被害が出ているそうです。被災した方々に心からお見舞い申し上げます。幸いタンナでは大きな被害はなかったようです。微力ではありますが、私も日本から被災地の人たちに何らかの支援をしたいと思っています。

ここ数日関東地方はさえない天気が続いていますが、気持ちはハツラツ!・・・となるように頑張るぞー♪ではまた!Imam!(^o^)/


写真はロカタイ小学校でのお別れ会のときの3年生の男の子たち。一番手のかかった子達でした。おーい、みんなちゃんと勉強しているかぁ^^

no.96 9.20 さよならタンナ島

2009-09-20 23:12:55 | Weblog
みなさんこんばんは!明日の朝、私はバヌアツに別れを告げ日本へ向けて出発します。バヌアツ最後の夜は、タンナでいつも私を温かく守ってくれたディクソン一家に会いに行ってきました。(ディクソン一家は今首都にいます)もちろん食事の前にはパパと一緒にカバを飲み、一緒に話をし、そしてママの作るおいしいご飯を食べてきました。

8月23日に算数ワークショップのために上京し、9月14日に教育省へ表敬訪問をするまでの約3週間はとても忙しく、もうすぐ帰国するんだというよりも、「タンナヘ帰りたいなぁ・・・」と思う毎日でした。ディクソン一家やタンナのみんなのおかげでその2年間深刻なホームシックにかかることはありませんでしたが、タンナを離れたこの約1ヶ月は毎日タンナシックでした。バヌアツ最後の一週間、なんとか一日だけでもタンナへ帰ろうと毎日トライしましたが、運悪くエアバヌアツの飛行機買い替え期にあたってしまい、大きな飛行機がないために先週今週とすべてのフライトが満席でタンナへ行くことができませんでした。そんな私の気持ちを知ってか、毎日のようにタンナの誰かが電話で近況を報告してくれるのが何よりもうれしいことでした^^

タンナでの最後の一週間も出張ワークショップや出張授業、お別れ会等で忙しく、あれよあれよという間に出タンナ、そして出国。明日の朝、私はバヌアツを去ります。未だに実感はなく、明日またタンナヘ帰ることができるのではないかと今でも思っています。私の場所はタンナなんだ。タンナのみんなが私を待ってくれているんだと今でも思っています。また明日からの新しい一週間、どんなふうにあの子達に授業をしようかなと思ってしまいます。

しかし、私は明日ここを去ります。

ディクソンとカマナ(パパとママ)が明日の朝空港へ来てくれると言ってくれました。きっと何も言葉は出ないと思うけど、バヌアツ最後の時まで彼らと一緒にいられることはこの上なく幸せなことです。

本当に私はバヌアツを去るのか!?
9時間後には私はバヌアツに別れを告げてきっと南太平洋の空の上。何度も何度も飛んだ南太平洋の空で私は何を思うのでしょう。明日の空はどんな空かな?

みなさんもどうぞ素敵な一週間を。ではまた。Imam!(^o^)/



ロカタイ小学校でのお別れ会には姪のアヤも来てくれました!もうアヤはすっかり立派な赤ちゃん^^バヌアツの、タンナの、そしてアヤの今後の成長が楽しみです♪

no.95 9.13 最後の大仕事

2009-09-13 21:20:22 | Weblog
みなさんこんにちは!ご無沙汰しております。私は8月23日に任地タンナ島に別れを告げ上京し、首都で日本にいたとき並みに忙しい日々を送っています。今日は私のバヌアツでの最後の活動「2009年帰国研修員フォローアップワークショップ」についてお伝えします。(フォローアップワークショップについてはばぬあ通信no.55をご覧ください)

8月25日から9月5日までの約2週間、バヌアツ全州の教員の代表者を首都ビラに集めて2009年度の算数帰国研修員フォローアップワークショップが行われました。今年の帰国研修員はジョージ=タウネアルという32歳のバヌアツの若き精鋭!このワークショップは3日間×3回行われ、約100名の現地人教員が参加しました。

このワークショップのテーマは「Geometry(図形)」。バヌアツの算数は全体的に周辺諸国から遅れをとっているといわれていますが、その中でもとりわけGeometry(図形)の分野が苦手とされています。その現状打開へ向けて「図形を教えたい!」というジョージの熱い思いを現実にするために算数指導にあたっているJOCV3名とSV(シニアボランティア)1名、教育省でプログラムオフィサーとして活動しているSV1名の計5名のJICAボランティアがジョージをサポートし、このワークショップの企画・運営を行いました。

私はこのワークショップの中で、小学校で教える図形の面積を求める公式の確認となぜそのような公式になるのかをいうことを参加者たちと考える参加型の講義を約2時間行いました。例えば、「なぜ三角形の公式では最後に÷2をするのか?」などをみんなで考え、そこから「公式を教えるだけでは不十分。理由を合わせて教えよう。」「教師は常に子どもにとって一番わかりやすい方法を考えて授業をしなくてはならない。」「算数では答えは一つ。でも考え方はたくさんある。答えだけではなく考える過程も大切にしよう。」などを伝えました。

このワークショップでは反省点ももちろんありますが、私としては今までの経験を生かして企画、準備、運営をすることができたと思っています。このワークショップの主役のジョージや多くのバヌアツ人とたくさんの考えを共有できたこと、分かり合えたことは大きな喜びでした。そしてなんとうれしいことに、どうやら今回の参加者たちの一部が、自分たちの島へ戻った後に地元の教員たちに今回のワークショップで学んだことを伝えるワークショップを自主的に開こうとしているそうです。その中に私の任地タンナ島の教員も含まれています。それらを中心になって行っているのは私の配属先の校長のナゴー(no.78の主役^^)とヤブット(こちらもno.93の主役^^)、たくちゃんの巡回先の教員など、私たちJOCVが関わってきた人たちです。算数指導に当たってきた先輩隊員たちが掲げたJICAバヌアツ算数部会の目標は「バヌアツ人教員の自主性を伸ばす」。先輩隊員たちが撒いた種が今花をつけようとしています。実がなるまでにはまだまだ長い時間がかかるかもしれませんが、たくちゃんをはじめとした優秀な後輩隊員たちの援助を受けて、いつか大きく実る日が来ると私は確信しています。今はインターネットを使えば遠く離れた人とも簡単につながることができるし、バヌアツは他国と比べて比較的郵便がしっかりしているので、私も手紙やインターネット、電話等を使い、生涯をかけてこれからも日本から彼らをサポートし、バヌアツと関わっていこうと思っています。

このワークショップを終えて、私はバヌアツ算数JOCVの先発勝利投手にもクローザーにもなれなかったけど、セットアッパーとして少しはいい働きがきたのかな、と思いました。(全部野球用語です。意味がわからなかったら調べてみてください^^v)

明日は教育省へ活動報告へ行ってきます。私はこの2年間の活動報告とバヌアツの教育発展のための提言をする予定です。あと約1週間後には日本!最後までしっかり頑張ります!ではまた。Ale!(^o^)/

写真はワークショップを一緒につくり上げたチームジョージ。中央、私の左隣で笑っているのがジョージです^^

no.94 8.30 挑戦がもたらしたもの

2009-08-30 00:45:01 | Weblog
みなさんこんにちは!もう8月も終わり。時の流れの早さに驚きます。今日は「ばぬあ通信no.68 一教育者の夢」で以前お伝えした丘の上の村での出張授業の様子とその結果をお伝えします。

私が出張授業をしたロアナップカメイ村は、タンナ島の中でも特に昔からのカスタムが色濃く残っている村で、多くの子どもたちが学校へ行っておらず、大人の中にも公用語のビスラマ語を話せない人がたくさんいます。その村で毎週木曜日の朝、5歳から8歳くらいの子どもたちを対象に算数と図工の授業を行うことができました。最初の交渉では「村で授業をさせて欲しい。」という私の申し出に、村のチーフたちは「教育は大切だ。来週から授業が出来るようにみんなに話しておくよ!」と快諾してくれていたのですが、実際約束の時間に村へ行ってみるとチーフの一人が「子どもたちの親の承諾が必要だ。」と言います。

バヌアツの独立は1980年。植民地時代、学費は無料で多くの人が学校へ行っていたそうですが、独立後は学費が必要になったため、多くの子どもが学校へ行かなく(行けなく)なりました。そのため私くらい年齢の人たちは、全く学校教育というものを受けていない、または学校教育が何かということを知らないという人がたくさんいます。その人たちが今の小さい子どもたちの親。「子どもを学校へ入れるとカスタムが廃(すた)れる。」これはタンナの村で時々耳にする言葉です。確かにそうのようなこともあるのかもしれませんが、私には学校へ行っていない彼らのアイデンティティを保つための言葉のような気もしました。

村で授業するための交渉にかかった時間はなんと5週間!その間もほぼ毎週、木曜日の朝はロアナップカメイ村へ行き、チーフと話したり村の人々に私がしようと思っていることを話したりしました。そこからわかったことは、ロアナップカメイ村の人々は「子どもが授業を受けたらお金を取られるのでは?授業をしたいと言っているヤツはいったいどこの誰?」ということを心配しているようだということがわかりました。そこで、私は日本のボランティアで授業はビジネス目的ではないこと、ロカタイ村に住んでいて教員であること、基礎的な算数が生活や村の外へ出たときに必要であることなどを村の人たちに話しました。ビスラマ語がわからない人たちの不安を取り除くため、簡単なものばかりですが村の言葉も覚えました。そして毎週日曜日に教会でチーフに私のことを話してもらったり、この村で活動しているピースコーの友人の協力を得て、ロアナップカメイ村での出張授業を実現することができました。

授業はビスラマ語とローカルラングレッジで行いました。中には「初めて鉛筆を持った!」という子も(^^)うれしいことに3回目の授業くらいから、今までは遠くからあいさつをするだけだった村の人たちが、私が村に入ったとたんローカルラングレッジで「先生がきたよ!先生がきたよ!」と私を迎えてくれるようになり、はだかん坊の自分の子どもに服を着せ「先生と一緒に行きなさい!」を送りだしてくれるようになりました^^(ここでははだかや下半身に布一枚という子どももめずらしくはありません。)村の入り口から授業をするチーフの家の軒下まで行く間に一人、また一人と子どもたちが増えていき、子どもたちが集まりきったところで授業開始!学校での授業と同じように一人ひとりにネームプレートをつくり、算数では数字の読み方、数え方、書き方練習。図工では折り紙や工作をしました。

今バヌアツでは来年から小学校が無料になるという話があります。この出張授業を機にロアナップカメイ村の人たちが教育に関心をもち、学校へ通う子どもが増えたらうれしいです。またこの私の挑戦は思わぬ成果を上げることもできました。それは現地教員が私のこの活動に興味をもってくれたということです。どの教員も多くの子どもが学校へ行っていないことを問題視してはいるのですが、こっちから村へ行って授業をするということは思いつかなかったようで、「それは素晴らしいことだ!」みな言ってくれました。子どもは等しく教育を受ける権利をもっている。今後現地教員もそれに目を向けてくれるかもしれません。

私の挑戦は私に貴重な経験とよろこび、そしてたくさんの笑顔を与えてくれました。ロアナップカメイ村での出張授業を通して、子どもたちがもつ小さな可能性の種に少し水をやることができたのではないかと思っています。きっと今日もロアナップカメイの私の小さな教え子たちは元気に楽しく過ごしているでしょう。

Impossible is nothing. You will make your own future !

これもタンナのみんなの理解と協力があったからできたこと。みんなどうもありがとう。素敵な週末を♪Ale!(^o^)/



写真は授業の様子です^^

no.94 8.30 画像

2009-08-30 00:33:30 | Weblog
最後の授業には18人の子どもたちが来てくれました(^^)v子どもたちが手に持っているのは先輩隊員から教わった工作です。

no.93 8.14 震えた言葉

2009-08-14 18:43:05 | Weblog
みなさんこんにちは!タンナでの私の残り時間は11日になりました。まだ「ここを去るんだ」という気持ちにはなれていませんが、日々少しずついろいろなことが終わっていき、ゆっくりとタンナ最後の日が来るんだろうなぁと感じている今日この頃です。

今日(8/11)、山の上にある巡回先のラトゥーン小学校で算数ワークショップをしてきました。(算数ワークショップについては、ばぬあ通信no.70をご覧ください。)今日はラトゥーン小で行う最後のワークショップでした。今日のトピックは「分数」。バヌアツでは多くの先生が分数を正しく理解しておらず、間違った指導が行われることもめずらしいことではありません。2年前、私が赴任したときに参観したある小学校の授業でも、大きく間違った分数の指導が行われていました。しかしそのとき私はその間違いを指摘し、正すことができませんでした。赴任したばかりの私は「間違っている」と相手を否定し、正しい答えを言うことはできても、その理由や正しい考え方をビスラマ語で正しく伝えるだけの語学力がありませんでした。そしてそのとき「私が去るときまでにこの間違いを正そう!」と強く思ったのでした。あれから2年近い月日が経ち、今算数ワークショップの最後で「分数」を教えています。

今日のワークショップも和気あいあいとした雰囲気の中、現地教員は「忘れてたよ!」「そうなんだ!」と楽しそうです^^このラトゥーン小には私が誰よりも期待する若い先生「ヤブット」がいます。彼は仕事に対してルーズなところがなく、何よりも仕事に一生懸命。授業改善にも積極的。そして彼の授業はやさしい、温かい雰囲気をもっています。私は赴任したときから彼に魅せられ「彼に私の技術をすべて伝えたい!彼ならタンナを変えられるかもしれない!」と直感したのでした。ワークショップ中も彼は「和」を大切にしながら意見を出したり、みんなと相談してみんなの意見や質問をまとめて私に伝えてくれます。(この学校では現地教員同士はローカルラングレッジで会話しています)今日のワークショップの最後には「もし子どもに『(通分したあと)分数の足し算ではどうして分子は足すのに、分母は足さないのか』と聞かれたらなんて答えたらいいのだろう。」という、とてもいい質問を自然にしてくれました。ここバヌアツでは人前で質問することも大変なこと。「やっとここまでの関係を築けたんだ。」と感動すらしました。私はうれしく感じながらビスラマ語でその説明をしました。

今現在、彼は算数の分野において決して秀でてはいません。しかし、私は彼のやる気と内に秘めた情熱、そこから生まれる大きな可能性をいつも感じます。私は彼の真面目さと人柄に魅せられ、彼に対して精一杯の技術移転をしてきました。そして彼は今日、私にこう言ってくれたのです。「僕はテツヤから算数についていろいろ教わって、とても算数に興味が出たんだ。だから来年1年間、南太平洋大学の算数コースで勉強したいと思ってる。行けたらだけどね!」

・・・震えました。言葉になりませんでした。大学で勉強するには高い学費がかかるので、もしかしたら彼の進学は難しいかもしれません。でもそんなことよりも、現地教員が算数に対して、教育に対して向上心をもってくれた。そしてそれを行動に移そうとしてくれた。それだけでも十分うれしかった。目頭が熱くなりました。今日のこの感動は言葉にすることができません。私がバヌアツでまいた種が、早くも小さな芽を出そうとしている。そう遠くない将来、ヤブットは教員としてのスキルを高め、この国の教育を支える大きな木になってくれるでしょう。みんなに愛される大きな木に。私も負けてられない!もっともっと頑張るぞー!(^o^)/

国籍が違っても、言葉が違っても、熱い思いは必ず届く。

今私は、私を、そして私の活動を理解し、支えてくれている人々への感謝でいっぱいです。残り任期タンナで11日、バヌアツで1ヵ月半。この感動と感謝を胸に最後まで走り抜けます!ではまた!Imam!(^o^)/



写真は私が作ったTetsuya's Small MATHS Workshopの修了証を手にしたラトゥーン小の先生たちと最後の記念撮影をしたときのもの。私が首からかけているバスケットはラトゥーン小の先生たちからいただきました!左から私、ヤタ、ヤブット、アニー、ルートゥ。みんな、どうもありがとう\(^o^)/

no.92 8.12 Peace Corpsとのコラボレーション

2009-08-12 18:38:21 | Weblog
みなさんこんにちは!みなさんはピースコー(Peace Corps)というアメリカの団体をご存知でしょうか。ピースコーはケネディ大統領のニューフロンティア政策の一つとして1961年に誕生した国際協力団体で、発展途上国の人的資源の開発や経済発展のためにボランティア活動を行っています。国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊(JOCV)事業はこのピースコーをモデルに作られました。

先日タンナのミドルブッシュと呼ばれる地域でピースコーが行った2泊3日の青少年育成プログラムワークショップにロカタイ小学校の8年生二人を連れて私も同行してきました。このワークショップはリーダー養成が目的で、ティーンネイジャー(十代後半)の男の子に対して行われました。その中では「望ましいリーダーとは」「男女付き合い方」などの話し合いや、「料理」「ゲーム・レクリエーション」「性教育」も行われました。「望ましいリーダーとは?」という話し合いは、日本の学校で行われている道徳の授業に近い感じで進み、男女の話や性教育に関しては始めはみんな恥ずかしがって話し合いになりませんでしたが、ピースコーのメンバーがアメリカの話を、私が日本の話をしていくうちに参加者の若者もほぐれ、活発な議論と正しい知識の共有が行われました。

このワークショップで強く感じた意外なことがあります。それはアメリカ人の日本への関心の高さです。みな私にいろいろな質問をしてきました。文化、経済、暮らし、男女の付き合い方、などなど。そして一番関心があったのは宗教でした。その中でも特に仲良しのピースコーのティモシーは大の親日家で「もっと日本のこと教えてよ!」といろいろと聞いてきます。一番驚いた質問は「家族の名前は?」というものでした。「うちの親父の名前は勝行だよ。」というと「カツュユキ!」とうれしそうに何度もくり返しています。私が「(゜゜)???」と思っていると一言。「おれ、日本人の名前が大好きなんだ!」・・・そうなのね(^^ゞ

毎日ほとんど雨だったので寝ていたら顔に雨が・・・なんていうのは毎晩のこと!電気やガスなどの近代的なものが全くないミドルブッシュでの生活とピースコーとの協働はJOCVの活動の新しい可能性を感じさせてくれました。同じ世界平和を志す仲間としてピースコーとJOCVが協力することができたら、さらにたくさんの人々を笑顔にすることができるような気がしました。アメリカ人だからできること。日本人だからできること。それぞれの得意分野を合わせることができたら、今までは想像もしなかったことができるかもしれません。

帰宅後にピースコーのみんなへの感謝の意を込めて日本についてのレポートを英語でつくり、後日渡したらみんなとてもよろこんでくれました。「自国の文化に精通してこそ、真の国際人になれる。」これは私の持論です。それを現実させるためにも、これからもっともっと日本について勉強するぞ♪(^^)vそれにしても完全アメリカ英語の中の2泊3日は正直きつかった!(+_+)でもその後数日間、少しだけ私の英語の発音がよくなったような気がしました^^♪これが「習うより慣れろ」なんですね!ではまた。Ale!(^o^)/



写真は最終日の夜の様子。この夜はゲーム大会になり盛り上がりました。この日一番の盛り上がりを見せたのは「テツヤ、日本の歌歌って!」という無茶ぶりに対して私が「上を向いて歩こう」を熱唱したときでした(^^♪