ばぬあ通信 ―バヌアツ共和国 青年海外協力隊活動記―

青年海外協力隊としてバヌアツ共和国タンナ島で小学校教諭として2007年から2年間活動しました。未知の世界をあなたへ☆

no.64 2.28 四角い紙から生まれた小鳥

2009-02-28 12:41:27 | Weblog
みなさんこんにちは!
タンナはいい天気で、朝のうちに洗濯をすませ、こうしてばぬあ通信をつくっています。先週、今週と週末に天気がいいのはうれしいです。今週は校内ワークショップ(現地教員対象の勉強会)を行ったり、地域の学校の教員が集まるワークショップにアドバイザーとして参加したりと普段とは違う少し忙しい一週間でした。無事に終わりホッとしています^^;

昨年末から週1回ですが、配属先のロカタイ小学校で図工の授業をはじめました。今は日本文化でもある折り紙を教えています。折り紙には算数の要素もたくさんあるので、算数と絡めながら教えています。「折り紙の形をなんていうか知ってますか?」「うーんっと・・・スクエア!」「では半分に折ってトライアングル(三角形)をつくりましょう」「このラインとこのラインがパラレル(平行)になるように折ります」のような感じ、少し算数っぽく折り紙をしています。今月は全クラスで小鳥をつくりました。ただの四角い紙が見る見るうちに小鳥に変身していくさまはバヌアツ人には手品のように見えるようで、現地教員も子どもたちもとても楽しんで取り組んでいました。1・2年生はうれしさのあまり、出来上がった小鳥をもってみんな全力疾走していました^^

折り紙指導をしていると、1年生から6年生までどこのクラスでも同じ現象が起こります。それは必ず私を呼んで「これでいいのか?」としつこく聞いてくるのです。そしてできないとすぐに「やってくれ」という態度をとるのです。「自分で試行錯誤してやってみよう」とか「なんとしても自分の力でやり遂げよう」という気持ちにはならないようで、何もせずに投げ出して、誰かにやらせようとする子がたくさんいます。これは国民性なのかもしれませんが、それではいつまでたっても何もできるようにはなりません。これでは教育的な意味がないので、とにかくできなくても最初は必ず自分の力でトライするようにさせています。その結果うまくいかなかったとしても、トライしたことをほめ、最終的には私がきれいに仕上げるようにしています。「次は自分でやってごらん」と新しい折り紙をあげると、少し自信がついたのか友達と教えないながら楽しそうに取り組むようになります。そして自分の力でつくることができるようになると「どうだ!すごいだろ♪」と満面の笑みで見せにきます。やはりできるようになることに喜びを感じるのは万国共通です^^

誰でも自信がないことに挑戦するのは骨が折れるものです。特にバヌアツ人にとってそれは大変なこと。でも、だからこそ成功したときの達成感は格別でしょう。ちょっと大げさですが、算数や図工を通して「自分はできるんだ」「挑戦することに意味があるんだ」ということを少しでも伝えられたらいいなと思います。

今日で2月も終わり。明日からは3月ですね!日本はもうすぐ春といった感じでしょうか。季節の変わり目、くれぐれもお体大切におすごしください。ではまた!Imam!(^o^)/


写真は5・6年生の図工の授業の様子と完成した「小鳥の群れ」です。うーん、きれいにできた(^^)v

no.63 2.21 横柄に見えるけど

2009-02-21 12:36:38 | Weblog
みなさんこんにちは。今日土曜日のタンナは一日快晴!ここのところ雨がちな天気が続いていたので、今日は朝から洗濯に水汲みに布団干しに水遊びに・・・と充実した一日でした^^

今日は先日の学校で気がついたことをお伝えします。4年生の授業のはじめに、一人の生徒が私のところへきて「ペンシル、ペンシル(鉛筆、鉛筆)」と言いました。それは鉛筆がないから貸してくれということなのですが、私は「え?何?」といじわるを言います。「鉛筆がなんなの?」とさらに聞きます。子どもはどうして言いか分からずにもじもじしています。私はゆっくり英語で「鉛筆を貸してください」と言い、続いて子どもに言わせます。言えたらオーケーと言って鉛筆を渡すのですが、子どもはその鉛筆を取るやいなや席へ戻ろうとします。しかし私は鉛筆を離さない。子どもは「?」という顔をします。そこで気の利く子が「Thank you(ありがとう) だよ!」と言う。「Thank you.」とその子どもがいい、私が「どういたしまして」。これで子どもはやっと席へ戻ります。こういうことは日本の小学校なら特別めずらしくない指導だと思うのですが、バヌアツではそうでもないようなのです。

そして、ある日のこと。5・6年生の担任がセロテープを貸してくれといいます。私は「いいよ。でも家にあるから取りに行かないと。」といいます。(我が家は学校の敷地内にあります)そしてそのクラスの子どもが私の家まで取りに来て、セロテープを担任に届けます。まぁそこまではいいのですが、そのセロテープは3日経っても戻ってきません。私がそのクラスの授業のとき、帰りがけに「もうセロテープは使い終わったの?」と担任に聞くと、「ああ、もういい。持ってって。」と言ってあごをしゃくるようなしぐさをします。そして、それに付け加えるように”Thank you.”と言います。(ちなみに女性です)

たぶん、私が言わなければセロテープは返ってこなかったでしょう。南太平洋諸国にいえるようなのですが、物は誰のものであれ共有財産という考えがあるようで、明確に「貸して」といって借りても、返そうとしないことはよくあります。特にその彼女はかなりの前科があります。「うーん、物を借りてちゃんとお礼も言えないようじゃ教師として喜ばしい姿じゃないよな、こういうのって子どもには指導できるけど大人には指導できないよな・・・。」とちょっとムカッとしながら考えていました。しかし、あることに気がついたのです。村の人は大人も子どももローカルラングレッジでいつも話しています。私もいくつか教わりました。例えば、「私」は「イオ」、「水」は「ヌ」、「こっちへおいで」は「ワルー」などです。そして、「どうもありがとう」は「タンキュー アスール」。「ごめんなさい」は「ソーリー アスール」です。アスールは英語でいう”very much”。そうなのです。この二つは明らかに英語からの借用語なのです。それは何を表しているかというと、もともと「ありがとう」「ごめんなさい」という言葉は存在しなかったということです。人は言葉を使い頭の中で物事を考えるので、その言葉がないということはそのような考え方自体が存在していないと考えられます。前にワークショップで行ったバヌアツで一番大きい島のマレクラ島へ行ったときにも、「ありがとう」のローカルラングレッジは英語の借用であり、独自のものはありませんでした。推測するに、バヌアツではそれに近い感覚はあったでしょうが、言葉にして人に感謝したり謝罪するということは西洋人が入ってくるまではなかった、そのような言葉も存在していなかったということが考えられるのです。驚きです。

日本の子どもなら「ありがとう」や「ごめんなさい」は真っ先に覚えるべき言葉だし、それらは人として社会を形成し生きていく上で、とても大切な言葉です。しかし、幸か不幸か彼らにはそれがなかった。もちろん、バヌアツにもちゃんと「ありがとう」「ごめんなさい」が言える人はたくさんいます。とは言え、時々感じる横柄な態度の人々の振る舞いや言葉の裏にはこのような背景もあるのではと思ったのです。私は彼らの文化の中で生活しているので、彼らの文化や暮らしを尊重し大切にするのは当然のことです。しかし私は同じ「人」として、国際ボランティアとして彼らに伝えるべきことは伝えなくてはなりません。それができないようなら、私がここへ来た意味はないのです。とは言いつつ、結論は「人のふり見て我がふり直せ」。自分がそうならないように気をつけよう!

言葉、振る舞い、心遣い・・・。つくづく、日本というのは美しい国なんだぁと思います。そういう誇るべき日本の美点が失われつつある昨今ですが、私たちは今こそ自分たちの文化の素晴らしさを誇っていいのではないかと思います。それもこうして日本を離れ異文化に触れ、日本を見つめる機会を得たからこそ分かったこと。日本人だから分かる、この「日本人的視点」を大切にしていきたいです。

今日は久しぶりにワォーフ(船着場)で泳いできました。いやー気持ちよかった\(^o^)/実はタンナのワォーフは日本の援助によって1986年につくられたものです。そのワォーフもそのときの合わせてつくられた建物も今も立派に活躍しています。いやー、日本はすごいなぁ!

写真はワォーフとワォーフに停泊していた貨物船の屋根から飛び込んだときのものです(^^)vあ、足の裏が汚い・・・^^;

no.62 2.17 貨物船が来る日

2009-02-17 12:29:52 | Weblog
みなさんこんにちは!早いもので2月も残り半分ですね。タンナはほぼ毎日雨で、蚊が増えてきました。マーケットからも野菜が着々と減ってきて、本格的な雨季に入ったなと感じます。

今日はバヌアツ南部、タンナ島を中心に信仰されているジョン・フラムという宗教についてお伝えします。第2次世界大戦初期にタンナ島の東海岸に貨物船が漂着し、付近の村に多大な富をもたらしました。その船の船長と言われているのがアメリカ人のジョン・フラムです。以後、彼は崇められるようになります。今でも通りかかる貨物船が信仰の対象になっており、村の人は今でもジョン・フラムが再来し再び村に多大な利益を与えてくれると信じています。「ブラックマン(メラネシアン)は自然にあるものからしか物をつくれないのに、あんなに大きな動く島(貨物船)をつくることができるアメリカには偉大な神がいるに違いない」と考え、貨物船はその神からの使者というわけです。神に祈り続ければ、再びアメリカ(海の向こうの裕福な国)から必ずカーゴ(先進国の豊かな物資)が自分たちのもとに届く。

そして、2月15日は再びジョン・フラムが再来するであろう日とされ、今年もジョン・フラムの村でお祭りが行われました。私の家からはトラックに乗り1時間半かかるのですが、タンナで活動するJOCVとピースコーの7名でジョン・フラムの村へ行ってきました。会場にはたくさんの星条旗が掲げられ、村の男たちの体には「U.S.A」のペイント。その内容は別段特別なものではなく、いくつかのグループが簡単なダンスをしていきます。娯楽のないタンナなので、みんなそのダンスを見ながら盛り上がっていました。特に腰をくねくねしたり、首を上下させながら面白おかしく踊るおじさんは会場の笑いをとっていました(^^)

いくらタンナとは言え、今では外国からの情報も少しは入るし、外国人旅行者も訪れます。いくら僻地の村とはいえ、首都へ働きに出るものもいます。そんな中で実際のところ、若い人がその教えを信じているかは怪しいところもあります。さすがに21世紀になって、本気で貨物船を拝んでいる人はほとんどいないと思われます。ただ、この土着主義の要素が強い変わった宗教は先進国の人々にとっては興味深く、村が観光その他において現金収入や援助を受けるのに一役買っているという現実があります。本来のジョン・フラムは「昔ながらの暮らしをしっかり続けていれば、遠くない将来物資を満載した貨物船が訪れ、村に再び莫大な富を授けるであろう」というものだったそうですが、今はそれよりも目先の欲にかられているように感じることがあります。ジョン・フラムの村は権力争いから5年前に二つに分裂したそうです。それも聞くところによると、現金収入の分配やチーフ(村の酋長)の座をめぐっての分裂だったそうです。

もともと多少無理のある宗教であったとは言え、私は近い将来ジョン・フラムはなくなってしまう気がします。近代化にのまれてなくなってしまうのは残念な気がしますが、それもその村の人々が選ぶこと。そして、時代の流れです。信仰自体が「棚からぼたもち」を待つものなので、当然と言えば当然かもしれませんが、やはりこの村でも援助されなれている感じがしました。バヌアツ人には「お金はもらえるもの、降ってくるもの」という考えがあるような気がします。援助には、被援助側をだめにしてしまう可能性があることを援助国は十分に理解しなければいけないと思います。世界中には保護されたがために覇気を失い、働かず援助のみで生きている先住民族がたくさんいます。これを美しいことではないと思うのはわたしが日本人だからなのでしょうか。改めて、国際援助・国際協力の難しさを痛感します。

ひとつ、面白い話を。実はジョン・フラムと言うのは船長の名前ではなく、彼が自己紹介するときに「John from U.S.A(アメリカから来たジョン)」と名乗ったのを、「あぁ、ジョン・フロムさんなのね!」とマンタンナが勘違いし、そのまま今日まで伝わっているそうです^^

今夜は雨が降らず、秋の虫が外で鳴いています。明日は晴れるかな?では!Ale!(^o^)/

写真はダンスの様子、そして背中の「U.S.A」です^^




no.61 2.7 この1年の成果

2009-02-07 13:18:26 | Weblog
みなさんこんにちは!新年度が始まり、本格的に授業が始まりました。さわやかに新年度を・・・と行きたいところですが、タンナはもう一週間以上太陽が顔を出していません。本格的に雨季がはじまったようです。雲が厚い日は頭痛がすることも多いし、雨では生活もしにくく、学校はトタン屋根なので豪雨が降ると雨の音と雨だれで授業をするのも一苦労(+_+)でも毎日の豪雨のおかげで新鮮な水を十分に得ることができるし、天然シャワーで水の量を気にせずスイム(水浴び)ができるので雨季も悪くないな♪と思う今日この頃です^^

2回目の1学期を迎え、本格的に授業を始めて一週間が経ちました。この一週間を終えて思うことは、一年前と比べたら少しは子どもの学力が伸びたかな?ということです。昨年の一学期と比べるとどの学年も少しですが学力が伸びているような気がします。九九の聞き取りをしても昨年よりも言えるし、計算をさせても昨年よりもより早く正確にできるように感じます。その理由の一つにはかなりの子どもが留年しているということもあるかもしれませんが、それにしても多少でも伸びがみられたことは私をホッとさせました。

そしてもう一つ見られる嬉しい変化は、現地教員たちがJOCVがつくった計算ドリルをする時間を毎日取ってくれるようになったことです。この計算ドリルは子どもたちの基礎計算力をつけるために先輩隊員たちが作ったものです。私の赴任時には使われている様子はなく、昨年一年をかけて校内ワークショップや日々の授業で毎日使うことに意味がある!と訴え続けましたが、昨年度はその成果はほとんど見ることができませんでした。ところが今年度はどのクラスでも毎日そのドリルを使い、基礎計算練習をしているのです!年度末に校長に「きちんと毎日計算ドリルを続ければ子どもの学力は必ずアップするんだ!」と話したことが効いたのか、昨年度末から私の授業の時間でも現地教員に「最初は計算ドリルを使おう。私は子ども一人ひとりを見るから、あなたが全体指導してね。」という感じで、「毎日使ってるはずだからできるよね♪」という雰囲気で現地教員を主体にし、私がフォローするようなスタイルにもっていったことが良かったのかもしれません。「あなたのスタイル(指導の仕方)はとてもいいよ!」「こんな風にしたらもっといいよ」などと言い続けたことで、現地教員に自信をもたせることができたのかもしれません。誰でも自信がないことに挑戦するのは勇気がいります。とくにシャイなバヌアツ人にとって新しいことに挑戦することは私が思うよりもずっと難しいことだったのかもしれません。

私はこの1年、子どもに数の概念と確実な基礎計算力をつけるためだけの活動をひたすら続けてきました。それはなかなか手ごたえを感じられない地味でつらい活動でした。でも1年が経ち、ほんの少しですが「あぁ、無駄ではなかったんだな」と思うことができました。現地教員は「Tetsuyaは何であんな簡単なことをくり返しているのだろう?」と思っていたはずです。そんな中で、しっかり基礎を固めることが大切だということ、くり返し学習することによって子どもの学力は確実に伸びるということを少しですが証明することができてよかったと心から思います。

私の活動も佳境に入ってきました。雨季は気持ちが落ち込みがちになるのですが、そこをグッと耐えて日々頑張っていこうと思います。タンナでは朝夕冷えるようになってきました。そして今デング熱が流行っています。健康管理と蚊対策をしっかりしてこの雨季も元気に乗り越えるぞー(^O^)/みなさんも健康第一でおすごしくださいね。ではまた!Imam!

写真は計算ドリルで学習している5年生です。20問の基礎計算の問題を2分間集中して解きます。がんばって!