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てっしーずのおでかけ日記

観たこと、聞いたこと、気づいたことを書くよ!

奈良美智:君や 僕に ちょっと似ている

2012年09月22日 | 国内のおでかけ
「奈良美智:君や 僕に ちょっと似ている」/神奈川新聞(カナロコ)

奈良美智:君や 僕に ちょっと似ている
2012年7月14日(土)-9月23日(日)
横浜美術館
http://www.nara2012-13.org/

先週の日曜に見てきました。
今週末で展示終了ということもあって、大盛況。
といっても、不思議なことに大混雑なのはチケット売り場とミュージアムショップで、展示自体は割とゆったり見られるようになっていました。
チケットを買い求める人の列が外まで伸びていたのは、ゆっくりチケットを売ることで入場制限していたからなんでしょうか。
そう思えるくらいギャップがありました。
チケットを既に持っていて、ラッキーでした。

ミュージアム・ショップと、会場限定のグッズ売り場の方は混雑だけでなく、あまりにもベビーカートの数が多すぎるのが怖かった。
人が密集している中をベビーカートでどんどん進んでいく人って、すごい勇気というかなんというか。
ボヤボヤしていると、狭い通路の前後をベビーカートで挟まれたりして、近くにいるのも怖い状態だったため、グッズは一切買わず逃げるように出てきました。

奈良美智の大きな展示を見るのは、青森以来。
その後も近代美術館でドローイングの展示を見たり、ギャラリーで展示を見たりはしていますが、今までの奈良美智の展示とはずいぶん違う気がしました。
ともかく今までは展示の大きさは関係なく、とにかく過剰なくらいたくさんの作品を所狭しと並べて、混沌とした世界を作り上げていたのに、今回は会場に隙間が多く、広い空間の中にポツポツと作品が並んでいるという印象。
別に、作品数が少ないんじゃないの、と文句をいうつもりではなく、この隙間というか、余白のようなものも、最近の奈良美智の作品の一部ではないか、という気がしました。
「君や 僕に ちょっと似ている」というタイトルに忠実といっていいのか、ほとんど女の子の姿のみ。
そうした作品を次々と見ていくと目力の強さに圧倒されます。
こちらも見つめられている感じで、息が抜けなくて疲れてくる。

奈良美智の発言を読んだり、聞いたりすると、同じ話の中に共感と違和感の両方があることが多い。
作品自体のわかりやすさと、本人の意図や居場所のわかりにくさのギャップがいいです。(ひ)




浮世絵師 溪斎英泉

2012年07月07日 | 国内のおでかけ
渓斎英泉

浮世絵師 溪斎英泉
2012年5月29日(火)~ 7月8日(日)
千葉市美術館
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2012/0529/0529.html

おなじみ千葉市美術館の展示を見てきました。
ちょうど、電車が一部遅れたりして、紆余曲折あったんですが、閉館までの2時間少しの時間でギリギリ一通り見ることができるほどのボリューム。
そのくらい数の多かった展示作品を見て印象に残るのは、やはり衣装の表現でした。
多くの作品で、判で押したように変わらない女性の顔に比べて、ひとつひとつ非常に個性的。
衣装のデザインという平面的なものでありながら、それが人物よりも、ある意味リアルで生き生きしているんですね、不思議と。
自分の装いをぜひ英泉に描いて欲しいと思う女性が、たくさんいたというのもうなずけます。
でも、これだけ衣装にこだわるのに、人の顔に対するこだわりがないことに、やはり驚きます。

そうした英泉の肉筆画、相撲絵、武者絵など多くのジャンルにわたる作品を見るうちに、これだけの作品を見ても、まだまだ英泉のごく一部の面しか見ることができていないんじゃないか、という思いが不思議と膨らんできました。
見れば見るほど、漠然とした不可解さがどんどん頭にもたげるばかり。
公立の美術館では展示しにくいジャンルの作品も含め、いろいろと見てみたい。
それに、展示されていた作品も購買層が他の有名な絵師とは違ったんじゃないかなあ、ということも気になりました。
そんな訳だからか、ゴッホが愛した浮世絵師ということよりも、矢代静一が「淫乱斎英泉」という戯曲を書いていることに惹かれます。
読めば、この展示では見ることのできなかった面を読むことができるかな。(ひ)

蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち

2012年06月01日 | 国内のおでかけ
蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち
会期 2012年4月10日(火)~ 5月20日(日)
千葉市美術館
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2012/0410/0410.html

4月に続いて今月、後期展示も見てきました。
見に行ったのが会期終了間際の19日だったので、結構多くの人が来ていました。
といっても、少し待てば、大きな作品を距離を置いて見ることができるくらいなので嬉しい限り。
後期の展示では、年齢を重ねるとともに蕭白の作品がいかに変わっていったのかが、より分かりやすかった気がします。
謎の部分が多い蕭白なので、そうした変化の理由ははっきり分かっていないんでしょうが、年齢とともに、破天荒な部分は見えなくなり、より細密な風景を描くようになっていきます。
描き方は細密でも、月や山の様子などは、どこか浮世離れしていて、幻想的でありましたが。
この辺って、依頼される作品が変わってきたのか、それとも、酒をあまり飲まなくなって勢いだけの作品がなくなったのか、なんて勝手な想像をしたくなります。

若い頃の作品で印象に残ったものというと「達磨図」や「牧牛図襖」になります、やはり。
途中で筆がかすれるのもかまわず一気にかきあげたのがよく分かる作品です。
他の作品にあるような繊細さと大胆さの絶妙なバランスなんてものは一切関係なく描かれている。
他の見ているときに、すごいなあ、と思いながらも感じてしまう、もっと蕭白らしい大胆さを! という観客の飽くなき欲望を満たしてくれるようです。
酔った蕭白がこの作品を描いたのを周りで見ている人がいたら、相当しびれたでしょうね。
ますます蕭白がどんな人生を過ごしたのか知りたくなってきました。(ひ)


蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち

2012年04月18日 | 国内のおでかけ
蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち
2012年4月10日(火)~ 5月20日(日)
千葉市美術館
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2012/0410/0410.html

この春は江戸時代の日本画に関する展示が数多く開かれます。
花粉症の季節も終わるし、スケジュール調整をしつつ、楽しみたいと思います。
ということで、その第一弾として、千葉市美術館で曾我蕭白を見てきました。
国立博物館で展示されている大きな作品も当然見逃せませんが、こちらは彼のような存在がどうして生まれたのか丁寧に追っていきます。
今まで蕭白をまとめて見る機会がなかったので、こうして年代を追って作品を見ていくと、インパクトの強い奇想の画家というイメージの作品ばかりでないことがよくわかります。
今回、一番印象に残ったのは月の描き方。
彼の作品の多くに月が描かれているんですが、それが微妙な位置に少し隠れるように存在していることが多い。
たとえば「虎渓三笑図」なんかもそうでした。
http://www.cinra.net/news/viewer.php?eid=11914&id=5

独特の滝に目がいってしまい、月だけでなく、肝心の三人の人々にすら目がいかない作品ですが。
虎に気づかず橋を渡ってしまった人に負けず、三人の人々に気づかず鑑賞する人もいそうです。

こちらには月が描かれていませんが、「竹林七賢図襖」も印象に残ります。
「竹林七賢図」も「虎渓三笑図」に負けず劣らず描かれることの多い作品ですが、こちらの賢者は仲間割れしたらしく、ふたりが出て行こうとしている図。
蕭白の作品の多くは、こうして「賢者」といわれる人々を普通に「立派な人」として描かない。
どこか不気味だったり、別の面を持っていそうだったり、理解しがたい行動や表情をしていたり、といわゆる「役割」から開放しています。
虎や獅子がすごく弱そうだったり、鬼に妙な哀愁が感じられたり、と常識をひっくり返しているんですが、じゃあ、それでいったい何を表現しているのかと、それはよくわかりません。
見れば見るほど、何を描こうとしているの? という疑問符がつく要素があり、いつまでも見ていたくなります。
多分、いつまで見ても答えはでないし、蕭白自身も用意していないんじゃないか、そんなものは、という気もしますが。
その辺は「故事」といわれる話に含まれる矛盾というか余韻のようなものだとも思えたりして。
実際、「虎渓三笑」なんて変な話ですしね。

まだ会期前半ということもあり、作品をじっくり見られる環境もうれしい。
国立博物館だと、こうはいかないでしょうから・・・・・・。
来月は後期展示の方も楽しみたいと思います。(ひ)


寄贈・寄託作品展

2012年02月10日 | 国内のおでかけ
寄贈・寄託作品展

寄贈・寄託作品展
千葉市美術館
2012年2月4日(土) ~ 2月26日(日)
千葉市美術館
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2012/0204/0204.html

千葉市美術館の展示を今月も見に行ってきました。
200円で見られるコレクション展とは思えない量の作品と質でした。
これだけの内容なら「寄贈・寄託作品展」なんていうお客がこないタイトルでなく、もう少しお客のきそうな展示名を考えたらいいのに。
会場だって、企画展示のときと変わらない2つのフロアを使っている訳ですし。

内容は3つに分かれていました。
最初にあるのは「小泉癸巳男(きしお)《昭和大東京百図絵》 全点揃」。
昭和初期に東京の名所100箇所を描いた版画集。
千葉市美術館で見るのも不思議な気がしますが、素朴さを感じるいい版画でした。
牛島憲之の作品に感じるような牧歌的な雰囲気を感じるものが特に気に入りました。
例えば、「千住・末広町風景」とか。
http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/app/collection/detail?id=0195202925&sr=%90%7D%8A%47

「春の動物園」の岩のごつごつ感にも惹かれます。
http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/app/collection/detail?id=0195202878&sr=%90%7D%8A%47

100点を一気に見られるというのは贅沢ですね。
こう見ると東京の名所と言われるところも、ほとんど行っていないんだなあ、と改めて思いました。
美術館だけでなく、それほど人が賑わっていない隠れた名所に行きたいなあ、これから。
とりあえず、ずっと気になっている中野の「哲学堂」にいくのが今年の目標ということで。
http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/app/collection/detail?id=0195202884&sr=%90%7D%8A%47

更には「田中一村」の特集もありました。
昨年度の企画展には行けなかったので、ぜひ見たいと思っていました。
いかにも個人蔵という感じのそれほど状態のよくない作品も多く、よくこれだけ集まったものだなあ、と驚きます。
先日、「フェルメール展」を特集したテレビ番組を見ていたら、絵の修復をしている人が出演していました。
元の状態にいかに戻すか、ということを熱く語っていましたが、元にの状態に修復するということだけが、正解ではなく、時を経て変化した姿も正解のひとつなんじゃないかという疑問を持ちました。
何十年も生きた人がいきなり20歳くらいのときの顔に戻るよう整形と化粧をしたら違和感があると思うんだけど。

そんなくだらないことを考えたのは、けっこう痛んでいる田中一村の作品は、それはそれでいい味になっている気がしたからなのです。
時とともに変わっていくというのは、肯定できることじゃないかな。

もうひとつ「嬉遊会(きゆうかい)コレクション ~江戸絵画を中心に~」というくくりの特集もありました。
いろいろあったんですが、一番印象に残ったのは速水御舟の犬の素描。
完璧な作品ばかりを見せ付けられている速水御舟にも、こんなラフなタッチの絵があるのかという驚きがありました。
まあ、素描なんだから、当たり前といえば、そうなんですが。(ひ)

芸術と科学の婚姻 虚舟 (うつろぶね) 

2012年02月02日 | 国内のおでかけ
幻想の王国・澁澤龍彦の宇宙

岡本太郎生誕100年記念展
「芸術と科学の婚姻 虚舟 (うつろぶね) 
  ―私たちは、何処から来て、何処へ行くのか」展
川崎市岡本太郎美術館
2011年10月15日(土)~2012年1月9日(月・祝)
http://www.museum.or.jp/modules/im_event/?controller=event_dtl&input[id]=75429


はじめて川崎市岡本太郎美術館に行ってきました。
まだ表参道の方にも行っていないので、岡本太郎美術館自体初めてです。
川崎とは言っても最寄り駅は小田急線の向ヶ丘遊園駅。
今や「藤子・F・不二雄ミュージアム」で話題の駅です。
駅ではドラえもんやキテレツ大百科の音楽が流れてました。
岡本太郎美術館や日本民家園のある生田緑地から遠くないみたいですが、今回は岡本太郎美術館だけ行ってきました。
駅からは結構歩きますが、バスの本数はかなり少なそうなので散歩がてら歩いた方がいいみたいです。

展示は入ってすぐのところに岡本太郎作品が展示され、奥に企画展がありました。
なんとなく八ヶ岳の中村キース・ヘリング美術館を思い起こさせます。
実際に椅子に座ったりできる体験型の展示になっているし、絵画作品よりは彫刻、家具などの立体作品の展示が多い。
美術館の外には巨大な「母の塔」が展示されているし。
http://www.taromuseum.jp/aboutmuseum/towerofmother.html

今回の展示で岡本かの子が豪商の娘だったことや仏教の研究をしていたことを初めて知りました。
岡本かの子と一平との奇妙な夫婦関係についてはよく話題になりますが、太郎と一平の間の、まるで友人のようなやりとりというのも興味深いものがあります。

企画展示は一転して、子供にはまったく向かない展示でした。
細江英公による大野一雄、岡本太郎、澁澤龍彦、土方 巽、三島由紀夫の写真と、国立天文台、東京大学数物連携宇宙研究機構、理化学研究所による「宇宙」「脳」「細胞」に関する展示が中心。
まさにカオスという感じですが、ちょうど見に行った日は大野慶人の舞踏が行われていました。
http://www.kazuoohnodancestudio.com/japanese/perform/20120108_ClosingEvent-Inori.html

時間が遅かったので、既に舞踏は終わり、トークショーの真っ最中。
結構な人数の人たちが部屋の中心をぐるっと取り囲むように立っています。
舞踏のファンは多いんだなあ、と実感。そんな訳で展示の一部は見られなかったんですが、細江英公さんたちの話を聞きつつ、作品を鑑賞しました。
澁澤龍彦を巡るちょっとオカルト的なエピソードなんかも聞けてよかったです。

杉本博司の有名な放電場の写真はこの展示にぴったりな異様な雰囲気を持っていたし、岩崎秀雄によるシアノバクテリアという菌を使った人の形の造形にも惹かれました。
プリミティヴでシンプルな造形は80年代によく見た絵を思い起こさせたんですが、それがなんだったかが分からない。
最近のことだけじゃなく、昔の記憶まで怪しくなってるなあ。
記憶まですっかり「うつろ」になってます。(ひ)



「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展

2012年02月01日 | 国内のおでかけ
瀧口修造とマルセル・デュシャン [千葉市美術館]

「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展
千葉市美術館
2011年11月22日(火)~ 2012年1月29日(日)
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2011/1122/1122.html

またしても土曜日の夜に見てきました。
夜だったこともあるんでしょうけど、かなりの空き具合でゆったりと作品に向かうことができました。
瀧口修造のデュシャンに向けたラブレターのような展示でした。
意外だったのは瀧口修造が直接デュシャンと会ったのは一度だけということ。
デュシャンに捧げるべき作品がもう少しで完成し、再会を果たそうというときにデュシャンが亡くなってしまう。
やりとりは手紙を通して行っただけ。
しかも、デュシャンは返事を書いた手紙はすべて棄ててしまうという合理的な人だったので、瀧口が送った手紙はほとんど残っていない。
未完の作品で有名なデュシャンですが、手紙のやりとりまで未完な形で残るとは。

今回一番嬉しかったのは有名な「大ガラス」に関する展示を見ることができたこと。
「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」というタイトルのついた未完の作品。
http://www.philamuseum.org/collections/permanent/54149.html

The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even というタイトルと、一見まったく結びつかない大きな作品とのギャップは衝撃的です。
エロティックなタイトルを完全に拒否しているような作品の無機質さに加え、偶然出来たというひび割れの暴力的さえ感じさせる佇まいがなんともいえません。
なんと東京大学でこの作品の再現を行っているんですね。
http://museum.c.u-tokyo.ac.jp/enkaku.html

駒場美術博物館は今休館中のようですが、今度企画展をやっているときに「大ガラス」を見にいってみよう。

デュシャンに影響を受けた日本のアーティストの作品の中で印象に残るのはやはり吉村益信の「大ガラス」。
http://www.yaf.or.jp/yma/about/publication/rgb058/kikaku/kikaku.html

ガラスと鴉ですね。
竹内銃一郎の戯曲「あの大鴉、さえも」はこの作品からインスパイアされたんでしょうか。(ひ)





生誕100年記念 瑛九展-夢に託して・  生誕100年記念 瑛九展

2011年11月14日 | 国内のおでかけ
宮崎出身で埼玉に住んでいたそうで、両地域所蔵の作品がたくさんありました

生誕100年記念 瑛九展
2011年9月10日(土)~2011年11月6日(日)
埼玉県立近代美術館
http://www.momas.jp/003kikaku/k2011/k2011.09/k2011.09.htm

生誕100年記念 瑛九展-夢に託して
うらわ美術館
http://www.uam.urawa.saitama.jp/tenran.htm

瑛九展を見てきました。
二館同時開催ということで作品数も多く、充実した展示でした。
埼玉県立近代美術館に行くのはこれで2度目。
うらわ美術館に行くのは今回初めてでだったんですが、徒歩でも移動可ということで歩いてみました。
途中でNHKがありましたが、これが浦和のNHKなのかなあ。
昔は土曜の昼間3時から6時くらいまで「Fリク」と呼ばれる、各都道府県の音楽番組がありました。
私は栃木にいたんですが、栃木、群馬、埼玉、東京、茨城、神奈川の放送を聴くことができて、中でも水戸とうらわの放送が圧倒的に面白かった。
水戸はアメリカン・ロックとプログレに詳しいアナウンサーの方がいたし、うらわは地元の若者がそれぞれ好きなジャンルのレコードを持ち寄り、DJをするという画期的な番組をやっていました。
この番組がなかったら、トム・バーレインやジュリアン・コープは聞いてなかったかもしれません。
大蔵さんや細谷さんは今、お元気なんでしょうか。
そのスタジオがあったのが、うらわのNHKだったので、きっと通りかかった、そのNHKのはずなのです。
いつか、自分もそのスタジオにいってレコードをかけてみたいという密かな野望(?)をもっていたんですが、大学生になり東京に上京して、それが可能になったときには、みんなDJをやめてしまい(多分、みんな就職したんだと思う)、まもなく「Fリク」は関東一帯みんな東京の放送を流すようになってしまいました・・・・・・。

関係ないことを延々と書きましたが、瑛九展はとても0興味深いものでした。
エスペラント語を学び、そこで妻となる女性と知り合った瑛九は、どの作品も非常に理知的。
作品はとても実験的ですが、決して絵画の領域を出ようとしていないところが感じられ、数多くの作品を見ても決して飽きることはありませんでした。
フォト・デッサンというカメラを使わず作られた作品も、まさに絵画。
そのフォト・デッサンと非常によく似た絵画作品もあったりしました。

彼が早川良雄と一緒に活動していた時期があったのは意外でした。
団体を結成しては解散し、また新たな団体を作る、ということにも精力的でした。
既存の団体に飽きたらず、自ら新しいことを始めようとするエネルギッシュな人は、どの分野でもこういうことになるんでしょうね。
美術関係だけでなく、エスペラント語の雑誌(同人誌? )でもイラストを描いたりしています。
奥さんとは結婚前、エスペラント語で話したり、手紙のやりとりをしたりしていたので、スパイだと思われていたこともあったとか。

一般的にあまり認知されていないのは、40歳代で亡くなったというのが大きいと思いますが、展示内容は作品や解説がぎっしり詰まって充実していました。
50歳代、60歳代と作品を製作していたら、またまた新たな方向に進んでいたんでしょうね。

埼玉県立近代美術館の常設展示での「写生の力-倉田白羊と弟次郎」という小特集も興味深いものでした。
早くして亡くなった兄、弟次郎の遺志ををつぐように画家になった白羊の作品が展示されていましたが、数点しかない弟次郎の作品の完成度がすごい。
かつて企画展をやっているようなので、デッサンを含めれば結構な数の作品があるのかな。
ずひ、もっと見てみたい。(ひ)

浅川伯教・巧兄弟の心と眼―朝鮮時代の美

2011年10月10日 | 国内のおでかけ
80年代のtakumiといえば

浅川巧生誕120年記念
浅川伯教・巧兄弟の心と眼―朝鮮時代の美
2011年8月9日(火)~ 10月2日(日)
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2011/0809/0809.html

少し前に展示が終わってしまっていますが、感想を。
この夏は民芸関係の展示が多くて、三つの展示を連続するように見に行きました。
浅川兄弟は植民地時代に朝鮮に渡り、朝鮮陶磁器の魅力に心を奪われて研究を始めたという人たちです。
決して、美術の専門家ではなく、収集も研究も趣味でやっていたとは思えないレベル。
柳宗悦や濱田庄司といった「プロ」でないだけに、より幅広い研究や美術品の収集ができたんでしょうか。
詳細な釜跡の調査をつづけて記した釜跡の図は、記録として貴重なだけでなく、図そのものが素朴な味わいのある作品のようなのが見ていて楽しい。
陶芸品も素朴な味わいが魅力的。
やたら自由な作品に見えて驚いた川喜田半泥子がとても普通に見えるくらい。
形も日本人にないおおらかさが感じられます。

更に、この展示が興味深かったのは、この兄弟が単に朝鮮美術を愛好しただけでなく、時代ともに朝鮮に対する圧力が強くなっていった日本の政策に関して疑問を持ち、異論を唱えていたという点。
白樺派の走りといっていいんでしょうか。
白樺派というとその思想にも関わらず、結構いいとこのお坊ちゃまが多いというイメージがあるんですが、この兄弟は朝鮮で生活し、現地の人々と交流を持つことで理解を深めていったところがかなり違います。
弟の浅川巧は植林事業を仕事にしつつ、研究をつづけていく中、現地にて肺炎で亡くなってしまいますが、その葬儀には朝鮮の人々が大挙して集まったとか。
兄より早く現地の言葉も習慣も身に着けたというから実践力が非常に高かったんでしょう。
亡くなった弟に向けて書かれた兄の句が印象的でした。
この兄弟について、特に早くして亡くなった弟に関する本をじっくり読んでみたくなりました。
日本人が書いた本だけでなく、朝鮮の人が書いた浅川巧の本があるといいのになあ。(ひ)

恐竜展2011

2011年09月26日 | 国内のおでかけ
神流町恐竜センター これは常設展示の動く恐竜

群馬県多野郡神流町大字神ヶ原51-2 恐竜センター
2011年6月25日(土)から11月27日(日)
http://www.dino-nakasato.org/kyoryuten2011/gaiyo.html

恐竜展を見てきました。
といっても、上野の国立科学博物館ではなく、神流町の恐竜センターの方を。
神流町といってピンときた人の方が少ないと思いますが、恐竜の足跡の化石が日本で最初に見つかった群馬県の町です。
そんな土地で開かれる恐竜展だけに期待のハードルが高くなってしまいますが、その期待を裏切らない素晴らしいものでした。
元体育館と思われる会場に入ると、恐竜たちがところ狭しと並んでいます。
みんなちゃんとした骨格標本、体長8.5メートルのタルボサウルスやらトリケラトプスやらが、こんなずらっと並んでいる様はまさに衝撃。
しかも、上野のように激混みなんてはずもないから、じっくり好きなだけ恐竜を楽しむことができます。
11月まで展示替えを少しずつしながら開催しているので、興味のある方はぜひご覧ください。
ここまでくるには藤岡市と上野村をつなぐバスか車で来るしかないのが難点ですが、自然に囲まれた素晴らしい景観を楽しむだけでもくる価値があります。

常設展示も充実しているし、恐竜の足跡もセンター近くで見ることができます。
http://www.dino-nakasato.org/ashiato/

興味のある方はぜひ。(ひ)