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てっしーずのおでかけ日記

観たこと、聞いたこと、気づいたことを書くよ!

上海異人娼館~China Doll~

2012年11月13日 | 劇場へ
Julian Cope - China Doll

Project Nyx第10回公演
『上海異人娼館~China Doll~』
2012年11月1日(木)~11月11日(日)
会場 東京芸術劇場 シアターウエスト(小ホール2)
キャスト 毬谷友子、蘭妖子、中山ラビ、フラワーメグ 水嶋カンナ、
倉田知美、村田弘美、よしのまり、市川梢、宮菜穂子、
傳田圭菜、今村美乃、南かおり、今井和美、前田尚子、
SaLi、三枝玲奈、有栖川ソワレ、尾崎桃子  
《演奏・出演》 黒色すみれ   
《人形遣い》 ルナティコ 吉田日出子
舞台美術・衣装 宇野亜喜良 / 照明 ライズ / 装置 大塚聡 
音響 大貫誉 / 美術・衣装助手  野村直子 / 振付 大川妙子
舞台監督 松下清永+鴉屋 /ヘアデザイナー 伊藤五郎(be・glee)
ヘアメイクアップ 川村和枝(P.bird) / 衣装協力 丸山敬太(KEITA MARUYAMA)
衣装製作 竹内陽子 / 宣伝美術 宇野亜喜良、福田真一 
構成協力 澤藤桂 / プロデューサー 水嶋カンナ 
制作  Project Nyx / 制作協力 新宿梁山泊、J・S・K 
http://www.project-nyx.com/pinfo/main/

不思議な芝居でした。
「O嬢の物語」を寺山修司が映画化した『上海異人娼館』が原作。
大金持ちのフランス人のフィアンセである日本人女性が、自分たちの愛の深さを確かめるために娼婦になるというストーリーで、寺山修司が本を書いているということを考えるとかなりわかりやすい。
というか。ちょっとわかり安すぎるという違和感が。
実際、ストーリーはおまけみたいなもので、あくまで歌やダンスが中心。
主な登場人物は娼婦たちというだけあって、みんなエロティックな格好なんですが、彼女たちが踊るアクロバティックなダンスは思い切り体育会系。
踊りの切れ味が良すぎて娼婦と言うより、ダンサー。
役者も有名どころをそろえていて、寺山修司作品のような素人がでてきているのか、と思わすような妖しげな空気感もまるでなし。

などということがどうでもよくなるくらい驚いたのは吉田日出子が舞台終盤に「ウェルカム上海」を歌ったこと。
それまでの話をまったく無視するように唐突に歌が始まり、その部分だけが吉田日出子ショーのようになっている。
口パクの歌が多かったのに、「ウェルカム上海」は生で歌われていたことや、それまでの語りの部分が録音によるものだったことを考えると、体調の悪い吉田日出子に見せ場を作りたかったんでしょう。
これは宇野亜喜良の気遣いなんだろうか、と気になって、ストーリーなんて二の次になってしまいました。
結城座の『乱歩・白昼夢』でも黒色すみれが出演していたし、美術は宇野亜喜良が担当していました。
あのときの舞台後の座談会で、宇野亜喜良と斎藤憐の間の乱歩作品の解釈がだいぶ違って苦労したという話が印象的でしたが、今回の作品はまさに宇野亜喜良ワールド。
「耽美」という言葉がぴったりの世界でした。(ひ)







こんばんは、父さん

2012年11月06日 | 劇場へ
二兎社公演37 「こんばんは、父さん」
■作・演出 永井 愛
■出演者  佐々木 蔵之介   溝端 淳平   平 幹二朗
■東京公演
2012年10月26日(金) ~ 2012年11月7日(水)
世田谷パブリックシアター
http://nitosha.net/n37/

世田谷パブリックシアターに行くのは久しぶりです。
ここは芸術的なむずかしめの芝居が多いですもんね。
最近は芝居全体が高いか、難しいか、若いか、いずれかのハードルがあって、足を向けることが減っています。
そういう意味では、永井愛のような人は今や数少ない、普通の人が気軽に見にいける芝居を書く人だと言っていいと思います。

親子と借金取りの3人しか登場しないシンプルな設定の話。
町工場のオーナーでバブル時代を経験した父と息子の思いがけない対面と、父親の借金の返済を求める闇金融業者に勤める若者の物語。
最初はなんだかかみ合っていないように見えるぎこちない芝居がだんだんよくなっていくのはさすが。
はっきりいって、話の展開に意外な部分はまったくないんですが、役者がいいからなんでしょうね、最後まで飽きることはありません。
いい役者をせっかく使っているから、シンプルな話にしたというのもあるんでしょう。

バブル時代に工場を大きくして、結局、大きな負債を抱えてしまった父と、その父の工場を閉鎖させる原因を作る会社に就職し、規制緩和を唱える役割を担ってしまった息子。
そんな会社に息子が勤めることを願ったのは父自身だったし、複雑な思いを抱えながらも、父の敷いたレールの上に乗ってきた息子。
そのふたりを単純にバブル崩壊や小泉政権時代の規制緩和の責任にせず、母親も含めた家族の物語に作り上げている。
というのは納得できるんですが、父親と息子の関係がシンプルだなあ、というのが正直な感想。
同じ時代に少年期を過ごし、工場で勤める父を持っていた私は、こんな劇的な人生を送っていませんが、それでも父に対する感情はもっと複雑です。
工場で汗してものを作るということを誇りに思いつつも、小さな会社の都合で仕事の量も給料もどうなるか分からない仕事を自分もしたいとは思わない、という気持ちも正直もっていました。
そして、世の中が未曾有の好景気になっていることを子供ながらに警戒し、恐怖も感じていました。
その辺、もう少し過去のエピソードが欲しかったかな。

もうひとつ気になったのは、父と子がどちらも落ちるところまで落ちて、怖いものがないという設定になっていること。
こんなことじゃ駄目だ、という心の葛藤もないから、この生活を親子で楽しむのもありなんじゃない、と思えて、借金取り君がいくらがんばっても、全然はらはらしない。
まあ、三人だけの舞台なので、これ以上長い芝居にできないというのもあるんでしょうけどね。(ひ)





エッグ

2012年10月15日 | 劇場へ
野田地図(NODA・MAP)第17回公演『エッグ』
作・演出:野田秀樹
キャスト:妻夫木聡/深津絵里/仲村トオル/秋山菜津子/大倉孝二/藤井隆/野田秀樹/橋爪功
2012年9月5日(水)~10月28日(日) 
東京芸術劇場 プレイハウス
http://www.nodamap.com/productions/egg/index.html

13日の土曜日の公演を見てきました。
いろんな要素の入った難しい芝居を2時間という、最近の芝居では短い時間で見事にまとめているんですが、感心しながらも、不満も多く持たざるを得ない、という作品でした。

前半の「エッグ」というスポーツ競技を通して、最近の偏ったスポーツ好き日本人の異様さを暴き出す部分はスリリング。
とにかく日本が勝てばいい、日本人がほめられればいい、という、気持ち悪い状況がつづく今の時代。
ただし、この状況を一番煽っているのは、テレビ、新聞、広告を通してのマスコミだと思うんですが、そのことにまったく触れていないのは、ちょっと不可解でした。
話はそれますが、終わったばかりのオリンピックに対するメディアの扱いは本当に怖いものがありました。
ナショナリズムと感動のオンパレード。
そこから競技としてのスポーツを楽しむ姿はまったくみえてこない。

「エッグ」というスポーツの面白さがまったく見えてこないのは、そういう意味では正しいのかもしれません。
試合前から試合後にかけてのベンチだけをひたすら見せ続ける、芝居の前半。
マッチョに鍛え上げた仲村トオルの体ばかりが目に付いて、妻夫木聡がそんなすばらしいプレーをする選手にはまったく見えないのがなんともいえません。

話は中盤から、チームオーナーと監督が実は夫婦であるとか、深津絵里演じる歌手の両親であるといった事実が発覚しつつ、「エッグ」という競技の裏には731部隊を連想させる細菌の研究と人体実験が行われていたことまでが映像も使って紹介されていく。
その辺りの怒涛の展開に、見るほうは何とか必死についていくばかり。
ところが、そんなストーリー展開にエネルギーと時間を費やしすぎたのか、それぞれの登場人物たちの気持ちがほとんど理解できず、感情移入できないままのエンディングとなってしまい、物語としての面白さはまったく感じられず。
最初から、そんな感情移入は必要なし、という舞台なのかも知れませんけどね。

一番見ていて辛かったのは深津絵里の歌だったかなあ。
椎名林檎にもまったく興味のない私がどうこう言っても仕方ないんでしょうけど。
新聞のインタビューで野田秀樹はスポーツだけでなく、音楽の危険な力、についても話していたようですが、私には最近、音楽に対する日本人の興味がひどく薄くなっているような気がします。
20年くらい前までは、好き嫌いの否応なしに、みんなが覚えざるを得ない、時代の曲があったように思いますが、そんなものがすっかり消えて久しい。
音楽だけでなく、小説や演劇もずいぶんと影が薄い。
そんな時代に、なぜかスポーツが異様にナショナリズムをかりたてる存在として君臨している異様さばかりが目立つと思うんですが。

これだけの要素が織り込まれた芝居に、なぜ寺山修司まで無理やり盛り込んだんだろうか。
理由とすれば、これなのかな。
http://diamond.jp/articles/-/6622

それにしても、ゴールに向かってまっすぐ走るような芝居は、とにかく生真面目だったなあ。
井上ひさしのような余裕と、斎藤憐のような音楽に対する愛情が欲しかった。(ひ)

鎌塚氏、すくい上げる

2012年08月20日 | 劇場へ
鎌塚氏、すくい上げる
作・演出:倉持 裕
出演:三宅弘城、満島ひかり、田中 圭、市川実和子、広岡由里子、玉置孝匡、今野浩喜(キングオブコメディ)、六角精児
2012年8月9日(木)~8月26日(日)
本多劇場
http://www.morisk.com/plays/kama2/index.html

三宅弘城主演のシリーズ第2弾ですが、初めて見てきました。
新国立で見た「イロアセル」がまったくダメだったので、不安を持っていったんですが、まったくタイプの違う芝居でした。
商業演劇か後藤ひろひとを彷彿とさせるような舞台。
「完璧なる執事」の三宅弘城がわがままな公爵長男と令嬢をどうやって見合いさせるかという物語。
次々と困った事件が起きて大変なことになりながらも、最後は見事事件解決という典型的なコメディです。
あとはその世界にどう見事に引きずり込んでくれるか楽しみに鑑賞したんですが、どうも今ひとつ。
倉持裕という人の生真面目さがベタな笑いには向いていないみたいです。
こういう芝居はストーリーなんてある意味どうでもいい訳で、どこかでストーリーからはみ出してもいいから爆発的に笑わせてくれる場面が欲しいんですが、それがない。
アホな設定がせっかくいっぱい転がっているのに、いろんなところがあっさり過ぎます。
「月刊バトラー」の話なんて、もっともっといじれるだろう、と思ってしまった。
中森明菜の歌を突然歌うのは第1弾も見ていると爆笑できるのかな?
とりあえず、今回だけ見た者にとっては唐突過ぎるものでした。
G2演出でキッチュが出ていれば、お腹が痛くなるほど笑っただろうなあ、なんて、つい思ってしまう。

登場人物も船長や主人公達に敵対する人たちをもっともっと魅力的にしないといけないのに、なんでこんな行動してるの? と意味不明な点が多い。
ストーリーの展開は最初から見えている芝居だけに、観客が登場人物にどれだけ寄り添えるかが大事だろうに。

とはいえ、いい役者が出ていると、そんな状態でもなんとかしてくれるもんですね。
こんな豪華な出演者だけに、本多にしては結構チケット代が高かったけど、この人たちだったからこそ見ていられたともいえるよなあ。(ひ)





しみじみ日本・乃木大将

2012年08月14日 | 劇場へ
しみじみ日本・乃木大将
会場:彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
日程: 2012年7月12日(木)~29日(日)
作:井上ひさし
演出:蜷川幸雄
出演:風間杜夫、根岸季衣、六平直政、山崎 一、大石継太、朝海ひかる、香寿たつき、吉田鋼太郎 ほか
主催:こまつ座/ホリプロ/公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団
http://www.saf.or.jp/arthall/event/event_detail/2012/p0712.html

7月後半に見た舞台ですが、感想を。
今年になって初めて、乃木坂で旧乃木邸を見たから、というわけではないんですが、
「しみじみ日本・乃木大将」を見てきました。
それにしても、井上作品公演ラッシュはとどまるところを見せず、ホリプロ中心の芝居はみんな結構なお値段のものが多い。
今度の「日の浦姫物語」はついに10000円ですよ。
井上ひさしが生きていたら、こんな値段になったのかなあ、と疑問もわいてきますが、亡くなったからこそ、ここまで自由に過去の名作を上演できるというのも事実。
そんな複雑な思いを胸にさいたま芸術劇場まで行ってきましたが、蜷川幸雄の演出はいつも以上にオーソドックス。
晩年の井上作品に比べると、台詞での説明が非常に長い芝居をそのまま上演していました。
うまい役者たちばかりだからこそ、その辺はあえて変えなかったのでしょうが、馬の足になりつつ、長いセリフを立て板に水で話すのは、ベテラン役者たちにも当然きつかったのでしょう。
何度か台詞がとんでたみたいだし、息もかなり切れていました。
そんな、後の井上作品にはない荒さも感じられますが、晩年の三部作に見られるような、ある種の説教臭さがなく、生々しく勢いもありました。

乃木希典がどんな人物だったかについてはいろいろ意見が変われるようですが、この井上作品の中では実直なあまりに、周りに利用されるだけされてしまい、天皇の神格化に一役買ってしまった人物として描かれている。
その辺があまりに分かりやすくまとまり過ぎている気はするが、あくまでコント乃木大将といえる思い切りのいい芝居でした。(ひ)

燕のいる駅

2012年05月28日 | 劇場へ
土田英生セレクション vol.2『燕のいる駅』 - 三鷹市芸術文化振興財団
2012年 5月18日(金)〜27日(日)
【作・演出】 土田英生
【出 演】 酒井美紀 内田滋 千葉雅子 土屋裕一(*pnish*)
尾方宣久(MONO)/中島ひろ子/久ヶ沢徹
http://mitaka.jpn.org/ticket/1205180/

週末に三鷹で見てきました。
数年前に土田英生の舞台を見たのも確か三鷹でした。
あのときはMONOでしたが、今回はヴァラエティに富んだメンバー。
話の方は世界の終末と思しき事態を異様に静かで落ち着いた駅で迎えた人々が繰り広げる物語と言ったらいいんでしょうか。
15年前に書いた本だそうですが、異様な形の雲や誰とも連絡がつかない孤立した町の状況なんて聞くと、どうしても3月11日のことを連想せざるをえない。
個人的にはあの日、職場からバスを3本乗り継いで自宅に帰ろうとした際、三鷹から乗ったのと同じバスで劇場に向かったので、当日のことがいろいろ思い出されました。
大混雑で人がごったがえしていた調布駅と比べると、閑散として異常に静かだった三鷹駅のバス停。
いつ来るともしれないバスを待つ間に、なんとなく他人同士が話をしてしまう不思議な連帯感というのは、この芝居に少し近いかもしれません。

芝居のほうですが、そんな特異な設定の中、笑いの小ネタ満載という、土田英生らしい世界が展開されます。
笑っている間に終盤まで一気に見せてしまうのはさすが。
個人的にちょっと残念だったのは、主人公(といっていいのかな? )カレー好きな男性を置いて、女性が出て行った場面が、どう見てもこの舞台のハイライトなのに、その後も説明的な芝居を続けてしまったこと。
真実を知ろうとせず、「善人」でいようとする主人公の態度は、今の私たちの態度に近いのではないか、なんてメッセージを伝えたかったのだろうか。
タイトルに登場する「燕」の使い方ももうひとつひねりがなかった気がするし。

それにしても、3月11日を経験することで、みんな、こういう芝居をただ笑って楽しむことができなくなってしまったし、いろんな連想をせざるをえないんだなあ、これからも、と実感しました。(ひ)

百年の秘密

2012年05月07日 | 劇場へ
Ron Sexsmith - Secret Heart

ナイロン100℃ 38th SESSION
『百年の秘密』
作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演:犬山イヌコ 峯村リエ みのすけ 大倉孝二 松永玲子 村岡希美 長田奈麻 廣川三憲 安澤千草 藤田秀世 水野小論 猪俣三四郎 小園茉奈 木乃江祐希 伊与勢我無 萩原聖人 近藤フク 田島ゆみか 山西 惇
http://www.cubeinc.co.jp/stage/info/nylon38th.html

GWの最終日に見てきました。
相当にヘビーだった休みの締めくくりにふさわしい、3時間半の壮大な舞台でした。
ケラの最近の作品は日本の古い演劇を連想させるものが続いていた印象だけに、まるでアメリカの映画やテレビドラマのパロディのようなテイストの芝居だったことに、まず驚きました。
あるアメリカの一家を中心にした物語。
その一家の娘と友人をめぐる話というと、シンプルなものになりそうですが、そこはナイロンの芝居、場所は固定されているものの、時代は過去に未来にと次々に変わっていくし、登場人物も多いので、なかなかついていくのが大変でした。
新しい場面が始まるときの説明をちゃんと聞いておかないと、40年後には誰が亡くなって、誰が生きているのかも分からなくなってしまう。
今回はいつもの舞台のような字幕の説明はほとんどなく、ナレーションだけで一気に突き進んでしまうので、あの人は誰だったのかなあ、と後から確認したりしました。

結構見ているときは大変な芝居でしたが、そんな時間の振り幅の大きい、ある意味、強引さが必然的なものだということが見ているうちに分かってきます。
この芝居のプロットを普通に年代順に並べていったら、正直、そんなに面白い芝居にはならなかったかもしれません。
ふたりの女性の間にできる秘密は、フィクションとしては新鮮味がないし、登場人物たちの関係にも不自然な部分が結構多い。
とはいえ、そんなひとつひとつのバラバラな秘密が絡み合い、大木のような大きな秘密や複雑な人間関係を作りあげていく。
二人の友情も、その後の一家も幸せとはいえない展開をみせるものの、時の流れがすべてを消し去ってくれる、なんてことを考えさせてくれます。

一番印象に残ったのは、なぜか廣川三憲と大倉孝二の親子の話。
旧世代のいかにも父親然とした、一家の誰も愛想としない父を心の底で尊敬しているが故に反抗せざるをえない息子。
いかにもアメリカの文学、という親子関係ですが、父と息子をきっちり描いた芝居が少ないように感じられる最近の日本の演劇の中ではとても新鮮に感じられたのでした。(ひ)

龍を撫でた男

2012年02月15日 | 劇場へ
オリガト・プラスティコVOL.5 「龍を撫でた男」
本多劇場
作 福田恆存
演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
キャスト
山崎 一、広岡由里子、緒川たまき、赤堀雅秋、大鷹明良、田原正治、佐藤銀平、猪俣三四郎
2012年2月3日(金)~2月12日(日)
http://www.morisk.com/plays/ryu_index.html

予想以上にヘビーな舞台でした。
福田恆存というと、どうしてもシェイクスピアの翻訳と考えてしまうんですが、何年か前、「キティ颱風」を読んで、こんな面白い戯曲を書いているのか、と驚きました。
今回見た「龍を撫でた男」は「キティ颱風」の書かれた5年後、1955年に発表されていますが、どちらも、ある一家を中心にした、ごく小さな物語でありながら、当時のブルジョア(というものが日本にかつて存在していたとすれば)たちが抱かざるをえなかった矛盾と倦怠感を見事に描ききっています。
おそらくは当時の時代の空気感をはっきりと捉えている作品だけに、予備知識がないと分からない部分が相当あると思うんですが、それでも面白い。
彼らが抱く不安や焦燥は根っ子の部分で今の私たちとまったく変わっていないんでしょうね。

精神科医の家を中心に繰り広げられる物語という点で、同じ設定の「黴菌」という芝居を連想させますが、インタビューを読むと「黴菌」の資料を集めていたときに「龍を撫でた男」を見つけたそうです。
この舞台はひとことでいうと、果たして狂気とは何なのか、ということになるんでしょうが、狂気というものは確かに龍と同じくらいとらえどころのない、しかし、大きくて存在感のある厄介な代物なのは間違いありません。
「正常」と「狂気」の境目が果たして存在するのか、人を「狂気」に陥れるものがあるとすればそれは何なのか、というようなことを考えつつ舞台を見ました。

それにしても、福田恆存の本だからなのか、お客の年齢層がいつになく高かった。
これって、文学座の芝居だっけ、というくらい年配の男性が多かった。
そのためなのか、始まってすぐに寝ている人が多かったなあ。
私が見たのは最前列だったんですが、横の人はずっと沈没してました。
こういう人は60年前にも同じ舞台を見ていて、記憶の中で、この舞台と過去の舞台がひとつになっていたりするんだろうか。(ひ)




アメリカン・ラプソディ

2012年01月11日 | 劇場へ
IKE QUEBEC, Willow Weep For Me (Ann Ronell)

ピアノと物語
『アメリカン・ラプソディ』
作 斎藤憐 
演出 佐藤信 
高橋長英、関谷春子/佐藤允彦(ピアノ) 
公演期間 2011年12月22日(木)~12月26日(月)
会場 座・高円寺1
http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=554

年末、クリスマス前に見てきました。
昨年も見た芝居の本数はかなり少なかったです。
正直言ってわざわざお金を出して見に行きたいと思うものが少ない、というか見て損したなあ、と思う芝居が多すぎます。
平田ヲリザ系の芝居が体質に合わないというせいもあるんでしょうが、若い劇作家でこれという人が出てきていないんですよねえ、個人的には。
一般の人間から遠く離れた芸術「村」で活躍する賢い人の芝居なんて見る気になれなくて。

そんな私にとって斎藤憐の芝居は数少ない見る価値のあるものだっただけに、亡くなったのがとても残念です。
この公演はたまたま追悼公演のひとつというタイミングでしたが、元々上演が決まっていたそうです。
『アメリカン・ラプソディ』はガーシュインの生涯を彼の友人だった男性とガーシュインのパートナーだった女性との手紙のやりとりから浮き彫りにしていくというもの。
朗読が中心の音楽劇でピアノによる演奏がたっぷり入ります。
非常にいい加減にしかジャズを聞いていない私のような者でも、ほとんどの曲を知っているくらい有名な曲ばかりだったことに、改めてガーシュインのすごさを実感しました。
個人的にはWillow Weep For Meがガーシュインとつきあっていたアン・ロネルによって書かれた曲と分かって驚きました。
そうか、言われてみればガーシュインの影響が相当強い曲です。

芝居の方は、手紙の朗読という形式をとっていることもあって、長い説明になってしまう部分もあったんですが、ガーシュインという人物の掘り下げ方がとても斎藤憐的なのが良かったです。
ユダヤ人一家に生まれ、移民として苦労しながら才能でのし上がったすごい人だけど、女性関係はずいぶんと問題がある破天荒な人物。
天才的な才能を持ち自信家でありながらも、常に不安と葛藤している孤独だというのも、いかにも斎藤憐が好きそう。

扇田昭彦の解説にも書かれていましたが、理屈や自分のものの見方がついつい芝居に色濃く出過ぎることが多いだけに、それを中和させてくれる音楽との相性がいいんでしょうね。
音楽で芝居を展開させていく、井上ひさしの音楽劇とはまた違った面白さが斎藤憐の音楽劇にはある気がします。

それにしてもNHKは井上ひさし追悼番組はあんなにしっかりやったのに斎藤憐関係の番組は全然やらないんですね。
冷たいなあ。(ひ)


乱歩・白昼夢

2011年11月11日 | 劇場へ
江戸糸あやつり人形 結城座 【乱歩・白昼夢】

乱歩・白昼夢
作・演出:斎藤憐
舞台美術・人形・写し絵:宇野亜喜良
音楽:黒色すみれ
出演:結城孫三郎 結城千恵 他 結城座
客演:真那胡敬二

2011年11月8日(火)19時
2011年11月9日(水)14時
渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール
http://www.youkiza.jp/news/rampo2011/index.html

奇しくも斎藤憐追悼公演になってしまった公演に行ってきました。
この芝居を地方に持って行く前に、東京でも少しやっておいたら、という話になり、偶然やることになっていた、というもの。
なので、2日間の2回公演のみ。
結城座は350年以上の伝統をもつ由緒ある人形劇団。
乱歩がエッセーの中で結城座について書いたりもしているようです。

それにしても、江戸川乱歩と斎藤憐というのは不思議な取り合わせです。
あまり乱歩に興味が無かったそうで、今回の公演のために作品を読んだそうです。
ストーリーよりも宇野亜喜良の「写し絵」がメインといってもいいくらいの内容。
「写し絵」の効果を最大限出すために、話をずいぶん省略しているところもあります。
話は乱歩の有名な短編作品をつなげていくように進められていくのですが、冒頭の「芋虫」はあまりにもあっけなくクライマックスに突入するので、作品を読んでいない人は話の流れがちゃんとつかめるかどうかも微妙。
もちろん、読んでいれば、自分で省略されたストーリーを補いつつ、突然の「写し絵」に驚く内容になっているのですが。

そんな芝居なので、他の斎藤憐の芝居とは随分印象が違います。
丹念に事実を追い、そこから物語を紡ぎ出していく作品ではなく、登場するエピソードは有名なよく知られた話ばかり。
その代わり、といってはなんですが、ナレーターのように登場する、回転木馬の馬や明智小五郎が話す、当時の日本の状況や戦争に関する話は斎藤憐本人の話を聞いているようでした。

会場の文化総合センター大和田にははじめて行ったのですが、なかなか道が分かりにくいし、すごい坂道になっているし、で会場の案内に書いてある「5分」ではとてもたどりつけない。
不動産屋の広告じゃないんだから・・・・・・。
珍しく早く行ってよかった。
伝承ホールにはエスカレータでいけないから、延々とエレベータを待つ必要がある。
20分くらいはかかると思った方がよさそう。(ひ)