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てっしーずのおでかけ日記

観たこと、聞いたこと、気づいたことを書くよ!

9<ナイン>~9番目の奇妙な人形~

2011年08月16日 | 茶の間で鑑賞
映画『9 ナイン ~9番目の奇妙な人形~』予告編

9 <ナイン> ~9番目の奇妙な人形~

イライジャ・ウッド (9)
ジェニファー・コネリー (7)
クリストファー・プラマー (1)
ジョン・C・ライリー (5)
アラン・オッペンハイマー (Scientist)
トム・ケイン (Dictator)
マーティン・ランドー (2)
クリスピン・グローヴァー (6)
フレッド・ターターショー (8)
監督 シェーン・アッカー
製作 ティム・バートン
ティムール・ベクマンベトフ
ジム・レムリー
共同製作 ジンコ・ゴトー
脚本 パメラ・ペトラー
原案 シェーン・アッカー
音楽 デボラ・ルーリー
編集 ニック・ケンウェイ
http://9.gaga.ne.jp/

こちらの映画はティム・バートンが製作を担当。
話は非常にシンプル。
元々が10分ほどの短編映画だったというのがうなずけます。
機械に頼りすぎた人類が破滅への道を辿ろうとしているとき、その解決に9体の人形が立ち上がった、というストーリー。
全部で9つの人形というのには深い意味があるのかな。
聖書の記述とか?
野球をイメージなんてことはないね・・・・・。
人形の造形が凝っていて、それぞれキャラクターが違う。
物語は自分がなぜ存在し、何をすべきなのかというアイデンティティーの問題から、悪との戦いに移行するという、この手の作品のありがちなものなので、登場人物たちの個性で勝負という映画。
1時間以上の作品にするには無理がありましたけど。
前半の登場人物たちの個性がぶつかりあってうなくいかない話が丁寧に作られているのにに比べると後半はご都合主義的な展開だったのが何と言っても残念。
それでも、登場人物たちが敵に殺される場面の描き方が妙に魅力的なのは印象に残りました。
単純に壊されるとか、食べられるとか、というんじゃなく、エネルギーというか魂といううか、精気を抜かれる感じ。
妙にエロティックな雰囲気さえあります。
そういう目にあった登場人物たちの魂が最後に解放される場面も印象的。
戦いって、勝った負けただけでなく、亡くなった者への鎮魂という「大儀」がないとやっていけないのは。現実でも同じことのようですが。(ひ)




アリス・イン・ワンダーランド

2011年08月13日 | 茶の間で鑑賞
Bill Evans - Alice In Wonderland (The Complete Village Vanguard Recordings, 1961 - take 1)

アリス・イン・ワンダーランド
監督 ティム・バートン
製作総指揮 クリス・レベンゾン
原作 ルイス・キャロル
音楽 ダニー・エルフマン
脚本 リンダ・ウールヴァートン

ミア・ワシコウスカ(アリス)
ジョニー・デップ(マッドハッター)
ヘレナ・ボナム=カーター(赤の女王)
アン・ハサウェイ(白の女王)
クリスピン・グローヴァー(ハートのジャック)
マット・ルーカス(トウィードルダム/トウィードルディー)
アラン・リックマン(芋虫のアブソレム)
マイケル・シーン(白うさぎ)
スティーヴン・フライ(チェシャ猫)
ティモシー・スポール(ベイヤード)
ポール・ホワイトハウス(三月うさぎ)
バーバラ・ウィンザー(ヤマネ)
マイケル・ガフ(-)
クリストファー・リー(ジャバウォッキー)

映画の内容について、ほとんど予備知識なく見たので、原作との変わりように最初は驚きました。
アリスは既に大人になり、結婚を考えるような年齢になっているという設定からして意外でしたが、アリスが赤の女王を倒すというアクション映画になっているのにびっくり。
違和感ありまくりのストーリーに最初はとまどいましたが、勧善懲悪の物語になるにはどうにも気の抜けた登場人物たちの姿を見るうちに、これが、アクション映画のパロディでもあり、「アリス」という物語に対するティム・バートンの解釈なのだという気がしてきました。
アリスが戦うのは、「予言の書」によって、そのことを決められているから。
ただそれだけ。
普通なら、戦いにいたるまでの精神的な葛藤、肉体的な成長なんていう話が繰り広げられるものなのに、そんなものは一切なく、最後もなんとなく勝ってしまう。
白の女王もどこまで勝ったことに感謝しているんだか、という雰囲気だし、アンダーランドの話が終わってからの、後日談みたいなものも、だからなんなんだという感じの煮え切らない話。
特別なステロイドでもやっているように、2時間や3時間程度で、肉体的にも精神的にも圧倒的成長を見せる、気持ち悪いストーリーが多い。
そんな世界にアリスが迷い込んだらどうなるか描いたんじゃないかという気がします。
この映画って、赤の女王を主人公にした物語だったら、もっと盛り上がるものにできたんでしょうね。
盛り上がる映画になっちゃいけないんですが。
まあ、よくこんな映画をつくらせたなあ、と思わずにはいられませんが。(ひ)


女はみんな生きている

2011年07月10日 | 茶の間で鑑賞
Chaos bande annonce 原題はカオスなのに、すごい邦題にしたもんです。怖い。

女はみんな生きている
監督 コリーヌ・セロー
カトリーヌ・フロ (Helene)
ラシダ・ブラクニ (Noemie/Malika)
ヴァンサン・ランドン (Paul)
リン・ルノー (Mamie)
オレリアン・ヴィイク (Fabrice)
イヴァン・フラネク (Touki)
ミシェル・ラゲリ (Marsat)
ヴォイツェフ・プショニャック (Pali)
エリック・プラン (Le jeune policier)
オマール=エシェリフ・アタラ (Tarek)
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD3879/

しょうもない男たちに振り回されながらもしたたかに生きていく女性の姿を描いた作品、というと、ずいぶんシリアスな映画になりそうですが、肩の力の抜けたコメディになっているのが面白い。
暴漢に襲われそうになった女性を助けもせず、自分のことしか考えない夫に愛想を尽かして、意識不明の重体になった女性が入院した病院に通い続ける妻。
それをずいぶんと軽いタッチで描いていく。
前半は映画全体の作りがずいぶん雑で昔のひょうきん族を思い出しました。
男はみんな冷たいし、それに翻弄させられる女性の行動もよくわからないところが多くて誰にも感情移入しがたい(のは私が男だから? )。
重症になった女性が回復したり、主人公の女性が暴漢を叩きのめすシーンもまったくリアリティがない。
でも、それがちょっとシュールなコメディを作り上げることに役立っています。
作品のテーマとしては性別、職業、宗教などによる絶望的なまでの差別というのを扱っている訳で、そんなものをストレートに描いたら重い映画になりすぎてしまいますから。

この話に登場する女性たちはいろんな理由で男にひどい目に遭ってますが、それを恐らくは無意識のうちに簡単に乗り越えてしまう。
当然、現実にはそんなうまくいくはずがない。
若い女性が簡単にマフェアを出し抜いたりできないように。
でも、まったくリアリティのない御伽噺のような作品だからこそ、世の中に存在している問題の深刻さを伝えることができるんじゃないでしょうか。

それにしても失礼ながら言わせていただくと、どんな男もコロッとおとしてしまう美女、ノエミにそんな魅力が感じられないのは残念。
彼女は重症だったときの目だけで演技しているときの、コメディアンヌ振りの方が印象的でした。
全然、美女とは思われないけど、会話をしているうちに楽しくて男を魅了してしまう女性なんて方がよかったんじゃないかな。
そんなの、ややこしいか?

若い女性の生い立ちをほとんど簡単な説明で終わらせているのが最初はずいぶん雑な作り方に思えました。
その部分というのが、話の中でも深刻な場面が多い。
簡単な説明で済ませている数多くの部分をあわせると、もう一本映画が作れそうな量。
普通なら映画を盛り上げるためにじっくりと描くシリアスな部分を徹底的に省略したからこそ、この作品の軽いタッチが生まれたんでしょう。

コメディは細部まで計算されていないといいものはできない。
そういう意味でこの作品、素晴らしいコメディ映画です。(ひ)





SRサイタマノラッパー

2011年05月25日 | 茶の間で鑑賞
SRサイタマノラッパー映画予告編


SRサイタマノラッパー 2008年
監督 入江悠
脚本 入江悠
撮影 三村和弘
音楽 岩崎太整
出演 駒木根隆介
   みひろ
杉山彦々
水澤伸吾
奥野瑛太
益成竜也

ネットで評価を見ると、良いものと悪いものの差が極端だったので気になっていた映画でした。
実際に見たら、その評価に納得がいきました。
この作品はいい加減に作ったように見えながら、実はすごく計算されているんですね。
映画らしい映画を見たいという人には肩すかしになってますが。
監督はこういう評価を最初から狙って作ったはずです。

ストーリーはシンプル。
ラップをやりつづける埼玉在住の若者(20代中盤か後半くらい? )の物語。
普通に就職せず、家族に疎まれながらも音楽を続ける主人公、というと、普通はライブのシーンがガンガンに出てくるものですが、そんなのは一度もない。
CDショップさえ一件もないような町(深谷市らしい)でくすぶりつづけながら、曲を作っている主人公の煮え切らない日常が描かれるのみ。
昔、少し仲がよかった女の子が東京から帰ってきたり、仲間が突然、東京に行って音楽をやるといいだしたり、と事件は起こるものの、結局は自分を変えられずジレンマを抱えながら生き続ける、「やめられない男」の人生が等身大に描かれつづけています。

ミュージシャンを描いた映画というのに、必要以上音楽を入れず、台詞がよくきこえないくらいの淡々とした会話がつづく、非・劇的なストーリーにとまどった人は多いんじゃないでしょうか。
ほとんど盛り上がるところがないですからねえ。
ここ数年のアホな日本映画のパターンだと、ダメだと思われていた主人公たちが努力の結果、最後にはライブを成功させる(またはすばらしいCDを作るとか)という話になりそうなもんですが、ライブはなく、曲もちゃんと完成しないまま。
そのグズグズなラストに、一部の人はしびれるんでしょうねえ。
私も実際そうでした。
私自身、とても人には誇れない、「やめられない男」人生を歩んでますから。
最後に簡単に大成功なんてされたら、自分だけが取り残された気分になって絶望しますよ、正直いって。
どうして、そう単純に癒される人が多いのか謎です。
人生、ちょっとがんばれば、みんな大成功なんてもんじゃないのはみんな知ってるだろうに。
それとも、成功している人って、予想外に多いのかなあ。

主人公のグズグズな感じを体現しているような、作品全体のグズグズ感に完全にハマりました。
といっても、細かいところまでちゃんと計算されて作られているんですよねえ。
途中で主人公が、いかにもラッパーらしい曲をつくるべく、新聞の切り抜きなんかを使って、社会的メッセージや怒りを織り込もうとしているシーンが出てきます。
すると、仲間から、もっと自分の気持ちを表現したら、ということを言われる。
それが最後の場面に見事、生かされてるんですよねえ。
やっと、こいつは一歩、先に進んだんだなあ、って。
安易な大成功は描いていないけど、映画的なカタルシスはちゃんと存在してるんですね。
見事な映画です。(ひ)






キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語

2011年05月12日 | 茶の間で鑑賞
Little Walter, Juke 本物!

キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語
監督 ダーネル・マーティン
出演 エイドリアン・ブロディ
ジェフリー・ライト
ビヨンセ・ノウルズ
コロンバス・ショート
モス・デフ

チェス・レコードの歴史を描いた作品で、ビヨンセの熱演が光る、という評判だけ、うっすらと聞いていたんで楽しみにしていたんですが、はずれでした。
まだ人種差別の激しかった時代に白人と黒人が奇跡的に協力して仕事を成し遂げた、というアメリカ人が大好きなストーリーにされているのは、まあ仕方ないか。
そうすれば、チェス・レコードなんてしらないけど、ビヨンセは好きっていう若いファンも取り込める。
でも、基本的にそこに焦点をあててしまったため、結構広いレンジの時間を短い映画の中で扱うことになっている。
しかも、演奏シーンがかなり多いんですよねえ。
まあ、観客の多くはビヨンセが歌うところを見に行くんでしょうけど・・・・・・。
マディ・ウォーターズやリトル・ウォーターも本物の映像が流れるわけではなく、どこがそんなにすごいのか、どうして彼らが流行から取り残されたのか、はじめて聞く人には多分伝わらないんじゃないでしょうか。
なんだか、チンピラやマフィアの抗争と友情のストーリーっていう感じ。
これなら、ビヨンセ演じるエタ・ジェイムズだけに焦点をあてた映画の方がよかったんじゃないかな。

レコード業界の人間が人よりも金を大事にしていたなんて、ストーリーの終わらせ方はずいぶんとチープ。
他のレーベルでも、そんな話はいくらでもある。
小さなレーベルがずっと生き残りつづけるだけで奇跡だったわけですからね。
白人が黒人から搾取しちゃいけないけど、黒人が黒人から搾取するのは許せる、ってわけじゃないでしょ。

短い時間の中でバランスをうまく取りつつ作った作品ではあるんですけどね。
でも、もうちょっと人間を描くということに力を入れて欲しかった。(ひ)





100%の女の子

2011年05月07日 | 茶の間で鑑賞
100%の女の子

100%の女の子 1984年
監督 山川直人
出演 隅本吉成
室井滋
坂口一直
山口晃史

先日見た「パン屋襲撃」と同時上映された作品。
こちらも原作は村上春樹です。
学生運動云々という感想をもった「パン屋襲撃」とは違って、こちらは80年代的。
作品の作られた時代を感じさせる作りになっています。
エンディングに流れる佐野元春の音楽を含めて、かなり気恥ずかしい。
室井滋や他の役者の衣装も思い切り80年代の若者の格好で、これまた気恥ずかしい。

役者たちが会話する場面も含めて、まるで朗読劇のように台詞が棒読みなのが目立ちます。
その違和感とたどたどしさが「100%の女の子」に出会うという設定にとてもぴったり。
「100%の女の子」なんて、ゴドーみたいなもの。
非存在の存在とでもいうべきもので。
出会っても、つきあえないからこそ、「100%の女の子」。
100%の幸福の中にはきっと多くの不幸が含まれているはず。
「100%の女の子」と思っていた女性とつきあうことができたら、その瞬間、「100%の女の子」ではなくなってしまうのです、きっと。
いつまでも登場しないからこそ、ゴドーが存在しているように。

どこかぎこちない、この作品には、「100%の女の子」が存在しています。(ひ)


パン屋襲撃

2011年04月15日 | 茶の間で鑑賞
パン屋襲撃
パン屋襲撃(1982)
監督: 山川直人
製作: 下条正道
原作: 村上春樹
脚本: 山川直人
撮影: 手塚義治
出演: 趙方豪
   諏訪太朗
   室井滋
   奥村公延
   池田俊秀

村上春樹原作特集を「日本映画専門チャンネル」で放送したときに録画しました。
「パン」も「パン屋再襲撃」のどちらも読んでいない私は原作との違いがまったく分からないわけですが、面白い作品でした。
まず20分弱と短いのもいい。
全共闘や学生運動の残りカスのようなものがまだ残っていた時代の空気が感じられるような作品でもありました。
お腹を空かせてパン屋を襲うことにした2人の若者は、主人に「食べていいよ」といわれてとまどってしまう。
何もせずに対価なしに、パンを手に入れるのは納得できないから、やっぱりあんたを襲うよ、と若者はいう。
すると主人に、じゃあ対価としてワグナー(だったっけ? )を聞いいてくれれば、パンをあげるよ、言われさらにとまどう。

若者がおとなになること、思想的な転向、日本社会の急激な変化、そんなものを実にシンプルでシュールなストーリーに仕上げています。
しかもちっとも難解じゃない。
パンを手に入れても、ちっとも幸せそうに見えない若者たち。
何もせずに何かを手に入れる、ということがどれだけ多く、怖いことか考えてみる必要があるかもしれません。
私たちは今やパン屋を襲撃したりも、ワグナーを聴くことさえもないのです。

この映画は「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」で上映された作品だそうです。
もう一本の「100%の女の子」の方も録画したので見てみることにします。(ひ)





セントラル・ステーション

2011年03月07日 | 茶の間で鑑賞
Graham Central Station - Pow

セントラル・ステーション 1998年
監督 ウォルター・サレス

フェルナンダ・モンテネグロ (Dora)
マリリア・ペラ (Irene)
ヴィニシウス・デ・オリヴェイラ (Josue)
ソイア・リラ (Ana)
オトン・バストス (Cesar)
オターヴィオ・アウフスト (Pedrao)
ステラ・フレイタス (Yolanda)
マテウス・ナシュテルゲーレ (Isaias)
カイオ・ジュンケラ (Moises)

タイトルに惹かれて見ました。
もちろん、Graham Central Stationを連想しました。
我ながらわかりやすい。

映画は音楽とまったく関係なく、ブラジルを舞台にした作品でした。
ドラという代筆業を生業にしている女性と少年の物語。
ドラは字の書けない人のために手紙の代筆と投函を請け負っているが、ほとんど投函することないというひどいおばさん。
ある日、息子とふたりできた母親の手紙の代筆をするが、その直後、母親は交通事故で亡くなってしまう。
手紙を投函されないことを直感した少年につけ回されたドラは少年の面倒をみる羽目になる。

子供なんてまったく眼中になかった人物が子供の世話をせざるをえなくなる、という定番の映画です。
少年とおばさんはずっと言い争いをつづけるのに、少しずつうち解けていく。
でも、口では憎たらしいことを言ってしまう。
90年代のまずしかったブラジルが舞台なのも効果的です。
食べ物を盗んだ男が捕まって、すぐに射殺される場面が出てくるけど、本当にそんなことしてたのかなあ。
そんな場面や列車にお客が溢れそうなくらい乗っている場面を見ていると、ひとりになった少年が生きていくのは大変そうだなあと思わずにはいられません。

女性の過去の話が断片的にごくわずかしかでてこないのもいいですね。
代筆業の前には本当はどんな生活をしてきたのか。
親切にしてくれた男がいなくなっていた後の表情がなんともいえません。
こういう映画だと子供の可愛らしさが全面に出てるものが多いけど、これはおとなの方が魅力的。
こんな生き方をせざるをえなかった人びとを描いた映画という気がします。
今のブラジルの人たちはこの映画をどんな思いで見るんだろう。(ひ)



ゼア・ウィル・ビー・ブラッド

2011年02月10日 | 茶の間で鑑賞
There Will Be Blood theatrical trailer

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
There Will Be Blood

監督 ポール・トーマス・アンダーソン
製作総指揮 スコット・ルーディン
エリック・シュローサー
デヴィット・ウィリアムズ
製作 ジョアン・セアラー
ポール・トーマス・アンダーソン
ダニエル・ルピ
脚本 ポール・トーマス・アンダーソン
出演者 ダニエル・デイ=ルイス
音楽 ジョニー・グリーンウッド
撮影 ロバート・エルスウィット
編集 ディラン・ティチェナー

「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」というカタカナの邦題は間延びしているし、間抜けですね。
これって、 Where there is a will, there is a way.の一部を変えたものなんですかね。

中身の方ですが、素晴らしい作品でした。
誰ひとり信用せず、私欲のために突き進む主人公の迫力というのはそれほど感じませんでしたけど。
ストーリーよりも、それを最大限生かすための作品の作り方の巧さに感心しました。
まあ、ちょっとあざと過ぎるなあ、というところも無きにあらずではあるんですけどね。
とにかく素晴らしいのは一切、余計な説明をしないということ。
主人公のHWは子供の頃の話をほんの少しする以外、自分について一切語らない。
こういう話で最悪なのは、悪いことはしているけど、実はこんな良い面ももっているんだ、とか、こんな過去のトラウマがあったんだと余計な説明をしてしまうこと。
HWという男について、私たちはほとんど何も予備知識を与えられない。
発言や行動の真意が分からないままストーリーだけが展開していく。
終盤、「お前は俺の本当の子供じゃない」と息子に語る場面の真意も分からないまま。
最後のI'm finishedという台詞も「俺の人生もやっと終わりだ」という意味にも取れるし、「こんなクソ映画もやっと終わりだ」というくらいの意味にも取れる。

大体、冒頭から、無言のままずっと穴掘りをしている場面が延々とつづいてるなんて、ありえないですよ。
こういう、ひとりの男の人生からアメリカの歴史を描く、という感じの大仰な作品は、主人公や息子のナレーションから始まったりするもんです、普通。
この映画はそういう逃げはうたず、ガンガン攻め続けて、説明のないまま、ストーリーだけを展開し続ける。
映像の美しさや、引きの映像の多さも、見る者を飽きさせず、しかも主人公に感情移入させない作りになっていました。

主人公や息子は本当のところ何を考えてたんだ、とか、その後、いったいどうなったんだ、とか、映画を見終わった後、いろいろ想像せずにはいられない、いい意味で透き間の多い映画です。
そういう意味では「海炭市叙景」に通じるところもあるかな。(ひ)





シンプルプラン

2011年01月31日 | 茶の間で鑑賞
A SIMPLE PLAN - HQ Trailer ( 1998 )

シンプル・プラン(1998)
監督: サム・ライミ
製作: ジェームズ・ジャックス
   アダム・シュローダー
原作: スコット・B・スミス
脚本: スコット・B・スミス
撮影: アラー・キヴィロ
音楽: ダニー・エルフマン
出演: ビル・パクストン
   ブリジット・フォンダ
   ビリー・ボブ・ソーントン
   ブレント・ブリスコー
   ゲイリー・コール
   チェルシー・ロス
   ジャック・ウォルシュ
   ベッキー・アン・ベイカー

サム・ライミが監督している作品なので見てみました。
まだスパイダーマンを撮る前で、ホラー以外の映画も作れるということを示しています。
サスペンス映画を期待して見るととんだ肩すかしの作品なんですが、コメディと思って見るとかなり面白い。
というか傑作です、これは。

アメリカの片田舎で3人の男が偶然、飛行機が雪の中に埋もれているのを発見。
中を調べると大金が隠されていた。
持ち帰った3人は次第に相手を信じられなくなり・・・・・・。
というストーリー。

こうしたサスペンス映画の場合、最後に分かる意外な真実とか、すごく頭のいい登場人物とか、正確の歪んだ悪い人間とかでてきたりするもんですが、この映画、そんなものとは無縁。
とにかく出てくる全員がアホなんです。
仲間には奥さんには金のことを言うなよ、と言っておきながら、家に帰ると自慢げに打ち明ける主人公。
テンパると何をしでかすか分からない、過去にしがみついている兄。
自分も犯罪に手を貸しているのに、分け前をすぐにくれないと警察にバラすぞ、と脅かす兄の仲間。
まあ、盗みを働いた3人がこうしてアホなのはよくあるパターンかもしれません。
ところが、主人公に影ながらアドバイスをする妊娠中の妻までもそうだとは。
主人公が彼女のアドバイス通りに動く度にどんどん最悪の状況になっていきます。
主人公を追い込んで、自分と子供が大金を手に入れる悪女の話か、と思いましたが、まったくそんなことはなく、ただのアホグループの一員でした。
それどころか警官も悪人も、最後に登場するFBIの面々もみんなアホ。
これだけ誰ひとり得をしなくて、むなしい気分になるだけのストーリーがあるでしょうか。
サム・ライミのホラー映画の魅力のひとつは、どんな人物でも平気でアホな死に方をさせてしまう痛快さだと思うんですが、この映画にもその考えははっきりと反映されていて最高の作品になっていました。
でも、普通のサスペンス映画だと思って見た大部分の人からはブーイングをうけるでしょうが。
アホになって楽しめる人だけがご覧ください。(ひ)