脳梗塞で身体障害者に成った人生についてと、占いと人生相談のサロン

脳梗塞の後遺症で左半身麻痺の身体障害に成ってから、社会に対する
意見や、病気に対しての考え方、人生に対する悩み解決法

体験を講演出来るなら、私が遣りたい!

2017-04-29 09:39:19 | 脳梗塞で身体障害者に成った人生について
脳梗塞を発病した時は、心肺停止で三途の川を渡ってたのに、電気ショック3回掛けて蘇生させて頂いた。

この時の今でも鮮明に遺ってる記憶や、友人が訪ねて来てくれるまで、私が支払い能力が在るのか否かが判らなかった病院が、私に行った数々の嫌がらせ。

半年間寝たっきり状態で、「此の儘特別養護ホームへ送ろう」と院長と担当医話し合ってた事を聞いた時、『冗談じゃ無い、50歳の若さで、特別養護ホーム等に行ってたまるか!私は絶対回復して社会復帰するんだ!』と、怒りを感じた気持ち。

リハビリが、2ヶ月経って漸く始まったけど、家族が居ないから、世話をしてくれる人がいないので、寝たきりの私を起こして、車いすに乗せてリリハビリ室に連れて行ってくれる、看護師、看護ヘルパーが誰一人居なかったので、結局リハビリをして貰えなかった。

時間に成っても、連れて行って貰えず、まだ全く喋る事が出来ない状態だったので、仕方なくノートに書いて、看護師や看護ヘルパーに訴えたが、「今忙しいのよ」と全く無視されて、リハビリの理学療法室の室長には、「時間通りに来ないなら、リハビリは出来ないから」と、大きな声でみんなに聞こえる様に、叱られた。

結局、担当医が、私の状況を説明してくれて、別の理学療法士が、ベッドまで来てくれる様に成って、初めてリハビリをしてもらったが、既に発病して3ヶ月過ぎてた。

因みに、電気ショック3回も掛けて、蘇生させて下さった担当医は、現在大阪救急救命センターのセンター長に成られ、現在も多くの人命を救っていらっしゃる。

これ程、リハビリが遅れた所為で、未だに左指は全く動か無いし、腕も動かな無い。この時、寝たきりだったとしても、ベッドの上で、リハビリをしてくくれてたら、キット腕も指も今動いているに違い無い。

この後、この病院が、連携してる特別病院へ送ると言われたが、親しくなった看護師の話では、この病院にに送られたら、死ぬまで出られないとの事だったので、慌てて、JR広島病院の副院長(私の知り合い)へ手紙を書いて、引き取って貰った。

ここで初めて本格的なリハビリを受ける事に成り、理学療法士も作業療法士も、本当に熱心にリハビリをして下さって、車いすで移動出来るまでに成って行った。

このJR広島病院のリハビリを受けられ無かったら、私はキット、寝たきりの儘で、既にこの世には居なかっただろう。

大部屋6人の患者の中で、家族が誰も居ない私が、付き添ってくれる人も無く、ポツンとベッドに横たわってる状態から、ここまで回復出来たのは、すべてお金のお陰。

僅か5千円握らせるだけで、看護ヘルパーの、態度が180度手のひらを返した状態になるのだから、お金の有難さを嫌と言うほど味わった。


こんな裏話まで話したら、1時間4や2時間では足りないし、キット現在脳梗塞で悩んでる患者さん達の、生きる力になれる筈。

誰でも何処でも良いですから、講演する機会を下さい。私が死ぬまでに伝いたい事ばかりですから。