脳梗塞で身体障害者に成った人生についてと、占いと人生相談のサロン

脳梗塞の後遺症で左半身麻痺の身体障害に成ってから、社会に対する
意見や、病気に対しての考え方、人生に対する悩み解決法

私立校なら創立者の理念は自由の筈

2017-02-28 08:18:31 | 脳梗塞で身体障害者に成った人生について
教育勅語が悪いのでは無く、それを悪用して国民を軍国家させた政治と旧日本軍が悪いのである。

教育勅語を悪と考えたのは、戦勝国の連合軍であり、日本が天皇陛下を中心に、また一致団結する力の怖さを危惧した為であるから、現代の日本国が、教育勅語は、悪と言う必要は全くないのだ。

読んだ事も無い、意味も知らない若造政治家が、戦勝国の言葉を鵜呑みにして、ものを言うんじゃ無いヨ。

「安倍首相万歳!」は、遣り過ぎにしても、ナショナリズムは、必要な事であり、愛国心は当然の事。それを悪用しようとするから、悪と言われるだけの事。

韓国・北朝鮮・中華人民共和国は、特に日本に対して敵対意識を国の授業でハッキリ教えているのだから、日本が同じ事を遣って何が悪いのだ。

自分の国を自分たちが守るのは、当然の事。

幾ら同盟国だの協定を結んでると言っても、何処の国も自国の利益が最優先するのだから、戦争が起こった時、日本を優先的に守る国など在る筈がないのは、世界第二次大戦時に不可侵条約を結んでたロシアでさへ、結局日本を裏切り、連合国に加入して戦勝国に成って、北方領土を分獲ったではないか。

今までの歴史が、全てを物語ってるのだ。

私立校で創立者が、どの様な信念を持っていても自由な事であり、それを理解した者だけが、入校すれば良し、校風に合わなければ、学校側から退学させれば済むことで、周りがとやかく非難する事では無い。

自由な国の自由な教育をする権利はあり、受けたい者は受ける権利も在る筈。

戦勝国の強引な偏見に満ちた、日本国への迫害を、漸く払拭する時期に来てるのは、当然で在る。

グローバル時代だからこそ、逆に国の個性は大切にするべきであり、アイデンティティーは、シッカリ自覚する必要が在るのだ。

その上で、相手を尊重し理解して、国の大きさでは無く、軍事力の強弱でも無く、宗教の違いでも無く、国民総生産力でも無く、顔の色でも無く、付き合う心が最も大切だと教えるのが、平和国家日本である筈。

そう教える事こそが、真の教育ではないか。

敗戦後70年間、戦勝国の制裁を受け、日本国は従順に指示にし従って来たが、もう賠償問題も終わり、軍国家的思想も一掃されたのだから、今こそ、日本国家としてジャパンでは無く日本として、世界にアピールするべきだと思う。

現代社会において、世界で日本国程、憧れを持たれてる国が在るだろうか?日本はもっと、誇りを持って日本人であるとき教育するべき時代に成ってると思う。

年金暮らしで民間アパートの独り暮しは無理誰かシェアして下さい

2017-02-27 12:10:54 | 脳梗塞で身体障害者に成った人生について
昔から独り口は生きられないけど、二人口は大丈夫と言われて来ました。

この言葉は、独り暮しの男性に、結婚をさせる為の言葉だったのですが、現代社会では、年金暮らしの民間アパート暮しは、とても家賃が高くて独り暮しは出来ない状態です。

私も、身体障害者に成って、リハビリ通いの為に病院の近くにアパートを借りて頑張って来ましたが、持ち金が底を着き、年金だけでの生活に成って、もう生きて行く事が、難しく成りました。

独りでアパートを借りるより、二人で借りて共同生活した方が、絶対楽に生きられると思います。

年金暮しの方で、独り暮しで貧困に喘いでる方が居られたら、考えて貰えませんか?

私は独り暮しが出来ますから、負担をお掛けする事はありませんから。社会がこんな状態なら、潔く死ぬか、共同生活してくれる人を探すしか方法が無いと思います。

賛同して下さる方なら、男・女・年齢は関係ないです。交際では無く、共同生活をお願いするのですから。

生きる方法を教えて下さい

2017-02-26 13:22:38 | 脳梗塞で身体障害者に成った人生について
周りの人は、気軽るに「死んでは駄目」と声を掛けるが、だったらどういった方法が在る、などとのアドバイスは、全く無い無責任そのもの。

私だって、天寿を全うしたいのは、当たり前の気持ち。だが、相談する人も居ないし、相談しても何の返事も無い。

安易に死にますと口にした訳では無く、アレコレ生きる方法を考えても、どの方法も頭打ちに成り、その先が無いから、『これじゃ逝く以外方法は無いではないか』と思ったのだ。

脳梗塞に成って16年、67歳に成り早かれ遅かれ、逝く身の上だから、少しくらい早く逝ってもご先祖様も許して下さるだろうと、考えたのだ。

「世の為他人の為に成る事を、人生で3つ遣りなさい」と親に言われた。一つは仲人、一つは人命救助、最後の一つは困っててる人が幸せに成れる事。

この3つを私は肝に銘じて生きて来たし、努力をして来た。3つとも確実に実行した。自己満足では無く事実、結果が残ってる。

だから、私が生きて来た事は、ほんの少しでもこの世に価値が在ったと、言えると思う。もうこれ以上する事は無いし、今の貧困生活に喘ぐ私は、人助け等出来る状態では無い。

私が、周りの人に助けて貰え無いのは、自業自得で、人徳と言うものが無いからだろう。仕方無い事。

私が出来る事で他人が助かる最後の事は、臓器寄贈で在る。60歳以上は、適応外らしいが、私の内臓は血管は40歳代、脳は50歳代心臓は悪いが、肝臓、腎臓は、綺麗な物だから、キット他人に上げられる筈。

内臓移植提供者カードも持参してるから、逝ったら必ず誰かの為に成る筈。こんな嬉しい事は無い。有難い事だ。


プロアスリートが、ビービー泣くな!

2017-02-25 12:04:34 | 脳梗塞で身体障害者に成った人生について
プロのアスリートで特に男性が人目もはばからず、ビービー良く泣く映像を目にするが、プロなら泣くな!!

昔は男は泣くな!と親も教師も教えたものだ。私は女だけど、人前では泣くなと、父に躾けられて育った。

プロが、どれ程苦しく辛い練習や訓練をして来たか、どれ程の挫折を乗り越えて来たか位、一般人でも想像が着くものだが、そこでビービー泣かれると、興ざめしてしまう。

グッと涙を噛みしめて堪えてこそ、本当のプロの凄さが、観る人やファンにグッと伝わると言うものだ。

プロ野球広島カープの黒田博樹投手が、自分が20年間闘い続けて来た神聖なマウンドに跪き、最後の別れを告げた姿こそ、真のプロアスリートの姿で在る。

黒田仁博樹投手は、胴上げの時も、マウンドに別れを告げたあの時も、決して涙を見せなかったし、泣いて無いとハッキリ言ってた。これこそ男の中の男である。

だからこそ、ファンは当然一般の人たちも、黒田博樹投手のあの美しい姿に感激し、涙を流したのだ。あの姿こそプロの姿である。

現代の親は、嫌な事はするな!嫌いな食べ物は食べるな!悲しかったら、泣きなさいと教え育てているが、本当にそれで強い精神力が育つのだろうか?

社会は競争の場で在り、スポーツは強弱で評価される熾烈な場である事は、世界中の誰もが知ってる事実であるのに、日本の親だけが競争するな、自分だけ良ければそれで良いみたいな教えをするから、負けたら人前でもビービー泣く子が育ってしまうのだ。

昔、竹野内豊さん主演のドラマで妻が家を出て行って、幼い男の子と二人暮しに成って、男の子がビービー泣いたら、「男は泣いたら行けない」と教える。すると子供が「どうして男は泣いてはいけないの?」と尋ねるが、お父さんの竹野内豊さんは「駄目なものは駄目なんだ」と堪えるシーンが在った。

現代では理屈抜きで、駄目なものは駄目と、親から教えられる事が無く成ってしまった。昔は、親が駄目言ったら駄目だたのだ。

そんな威厳の在る親や大人が、日本社会から居無く成ってしまった。

相撲取りの力士が、ガッツポーズをしたり、駄目押しをしたり、ビービー泣いたり、遣ってはいけない事を、平気でテレビの画面で見せてしまうから、日本古来の品格も威厳も全く失ってしまった。情け無い事だ。

プロなら泣くな!負けて悔しかったら、人前で泣くな!グッと堪えて、その悔しさを精進の糧としてこそ、スポーツマで在り、観客の心を惹き付け美しさが在るのだ。

昔も今も無い変えられない普遍的なものがある

2017-02-24 15:56:13 | 脳梗塞で身体障害者に成った人生について
若者は、昭和世代が、口を出すと、古いだの、ダサいだのと、口にするが、古いものの中に、受け継いでいかなければ成らない、普遍的な本質があるのだ。

人として、遣ってはいいけない事や、守らなければ成らない事等、日本人だからでは無く、日本人としてである。

日本には、世界の何処の国にも居ない、2000年以上も存在なさってる日本国創世の神々のご子孫でいらっしゃる天皇陛下がいらっしゃるのだ。

侵略して武力で奪い取って王座に就いた他国の君主とは、全く価値が違うのだ。だからこそ、エンペラーで在りキングでは無いのだ。

この地球でたった一国しかない特別な国なのだ。そんな国が、2000年掛けて培って来た、日本人の精神というものがある。

昭和20年に第二次世界大戦に敗戦してそれまでの、日本の価値観を、欧米の戦勝国の価値観に塗り帰られて来たこの70年。

国際化として改める事も必要だが、捨ててはいけない、日本人としての誇りは、守って行かなければ、成らない貴重な精神では無いだろうか?

日本には、八八百万の神を敬い、ご先祖様に感謝して思い遣りと品格を持って、凛として生きる精神が脈々と受け継がれて来た筈。

武士道には、敗者に敬意を表する精神が受け継がれてる筈である。

そう言った日本人の精神や美学まで、古いだのダサいだのと言う事は、出来ない筈である。

現代人の日本人に足りないものは、日本人としての誇りである。

敗戦国として屈辱の70年間を生きて来た昭和の人間達だが、日本人としての誇りは、決して捨てた事は無い。

古いだのダサいだのと言う前に、日本の歴史を、もう一度勉強し直して貰いたいものだ。欧米諸国が、果たして全て正しいだろうか?

変えてはいけない精神や、誇りは、普遍的である。