自分って何?自分軸を見失いそうになったときの行動
8/26/2024
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ごく普通の現代人の日常で、心の真の要求に目を閉じて
”隠れ蓑(みの)的” に、余暇を楽しむことを、池見博士
は指摘していた。
つまり、自由な時間ができたとき、人は、自分の内側に
目を向けるのではなく、外側に目を向けて楽しみを探す
ということだ。
誰でも、人は、“本質的な自己を求める” という。
その時点で、心の内側に、目を向ける。
が、それは、決して楽しいことではなく、自分の嫌な
面に向き合うことだから、煩わしい、面倒なことでも
ある。
ならば、嫌な自分を忘れ、気になることも、忘れるために、
レクリエーションの時間に、好きなことをして、気分転換
をはかろう~それが普通だ。
が、”自分の内側を見つめる”・・・それが、池見博士の
療養法”セルフコントロール”にもつながっていくという。
そして、その、アプローチを余儀なくされることは、
長い人生、誰にでもあるという。
共通していえることは、老若男女を問わず、たとえば、
ふっと、何か、心寂しさを感じるとき・・・
経済的にも家庭的にも安定しているのに、声をたてて
笑っている時の、心の裏側によぎる、理由なく、満たされ
ない想いに気づかされるとき・・
”自分のほんとうの資質は?・・自分をヒトに合わせて生きる
のは疲れた”
”生きる目的は?・・周りの期待に背いても、自分らしく
生きられる強さがあるだろうか・・・”
・・・人は、毎日、仕事や家事に追われ、そんなことが
頭をよぎっても、日常生活の中では、ルーティーンを
こなすことで精いっぱいだ。
だからこそ、レクリエーションの時間を大切に、日頃の
”疲れ” と ”ストレス”を発散して、また、普段の生活
の難儀さを進むエネルギーを得たいと思う。
しかし・・リクリエーションで活力を取り戻しても、それは
一時的なこと・・・わかっていても、内面に感じている
“自分のほんとうに知りたい疑問” には、触れずに、ふたを
して置こう・・・と、目をつぶる。
自分を見失っている限り、時折、頭をもたげる”虚しさ”は
一時的に忘れられても、必ず、再び、頭をもたげるだろう。
それが積もり積もって、いくと、どうなるだろう?
心療内科第一人者の、池見博士はそんな状態の患者の
症例の一つを 例に出す:
“何かを食べていると、そのような心の苛立ちと
空しさを、ごまかせることに気がついてくる。
やがては、食物を喉まで詰め込まないと落ち着
かなくなる。
ひどくなると、食べては吐くという繰り返しになる。
病的になっていく場合も、その根源には、心に
満たされない何かがあるからだ”
”心に満たされない何か”を抱えたままにしておくと、
病的な症状があらわれるという。
さらに、こうした ”本当の自分の心の声”に蓋をしたとき
以下のような病の原因にもなるという。
いくつか、ご紹介したい。
1. 胃潰瘍 ~
“何のための事業なのか?”という意味を考えずに
事業欲、物質欲だけが独走して、胃潰瘍の再発を
繰り返している患者がいた。
幼児期に家が没落して、祖母から人生の出世コースを
行くように、厳しく、言い聞かされてきた。
今でも、その患者の心に、祖母の叱咤激励の声が心に、
響いているという。
その患者は、際限なく事業の手を広げたために
(祖母の教えを守って)家庭を顧みる時間が少なくなり、
子供たちは非行にはしり、妻は忍従一筋の、冷たい家庭
しか築くことはできなかった。
家庭を顧みる余裕がなかったことが、最大の原因だった。
そんな自分自身の心の調和を図ることで、症状はだいぶ
和らいだ。
2. 慢性下痢 ~
アメリカに留学した学生。
医師は患者の下痢を神経性の下痢と診断したが、
本人は、納得がいかないという。
友人たちも多くでき、学校も面白く、恋人ともうまく
いっているという、
環境適応が十分にできていて、神経的になることは
何もないともいう、
しかし、結局、慢性の下痢は、適応すぎることによる
“不適応”と診断された。
日本と異なる、アメリカの文化に対して、せっかちに
表面的に適応しようとしたあまり、本当の自己(内面)
の本質を忘れ、無理した外的適応による“不適応”が
症状の原因と判断された。
3,アルコール依存症~
妻であり母である50代前後の女性。
2年間 特別な施設にはいって、禁酒のためのトレーニング
を受けていたという。
ひとまず、状況も落ち着き退院してきたものの、やはり、
味醂やら料理酒、アルコールの入っている身近にある
調味料まで口にしたくなるという。
一口飲むと、もう止まらない。
せっかく、禁酒ができたはずなのに・・と再び
お酒に手を出したその女性に、その理由を問うと、
”さみしい。むなしい”という答えが返ってきた。
お酒が私の聞き役をしてくれるの・・そんな言葉も出た。
”病的になっていく場合もその根源には、心に満たされない
何かがあるからだ”
という池見博士の言葉は、アルコール依存症の人達にも
言える、
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”心に満たされない何か” は 何か??
”心が満たされない”・・その”心”は、誰の心?
答え~自分の(私の)心
”自分”は何をしたら、満たされるの?”
答え~XXXXXXX
XXXXは 人それぞれ、異なるし、正解はないだろう。
少なくても、自分は何をしたら、本当に満たされるのか?
それを、ゆっくりと、瞑想でもしながら、自問自答する
ことも 有意義かもしれない。
”本当に満たされる”、それは、一時的な気晴らしや、
現実逃避ではなく、”これさえあれば、満足だ”という
自分の心からの願いが満たされている時だろう。
それも、時が移れば、変わっていくかもしれない。
変わっていくのが当たり前だろうし、その時々の
本当に満たされる と思う事を追求していけば、
ついには、”本当に満たされる”ものが何か、わかる
だろう。
ただし、真摯に追及の手を緩めない事・・
それは、自分の心の奥へ奥へと、掘り続けられるから。
その井戸の源泉のような、枯れない地下水(生命力)
の大本にたどりついたとき、”その人の満足”が、何か?
・・・が、現実に顕れ、自分の欲する状態を、ぶれること
なく見つめることができるだろう。
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* 池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう)博士について:
(大正4年(1915年)6月12日 - 平成11年(1999年)6月25日)
日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者。
旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、九州帝国大学医学部卒業。
戦後、アメリカの医学が日本に流入した際、心身医学の存在を知る。
昭和27年(1952年)にはアメリカミネソタ州のに留学し、帰国後、
日野原重明、三浦岱栄らと共に昭和35年(1960年)日本心身医学会
を設立し、初代理事長になる。
翌昭和36年(1961年)九州大学に国内最初に設立された
精神身体医学研究施設(現在の心療内科に当たる)教授に就任し、
内科疾患を中心に、心と体の相関関係に注目した診療方法を体系化
実用化に尽力した。
九州大学医学部名誉教授、自律訓練法国際委員会名誉委員長、
日本心身医学会名誉理事長、
国際心身医学会理事長、 日本交流分析学会名誉理事長などを歴任。
著書に「心療内科」、「セルフコントロールの医学」などがある。
平成11年(1999年)6月25日肺炎のため、福岡市内の病院で死去。
84歳。
参考)
”セルフ・コントロールの医学” s・57年9月1日 日本放送出版協会
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