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自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

印度人の気質

2012年12月28日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

印度 雑感 補足 12月28日 (金曜日)   

                        

  

母さん、僕にもわけてよ。

 

何故インドが好きなのか?とよく聞かれる。

インドは、好きな人、嫌いな人、はっきり分かれる国だという。

一度 はまると、何度も足を運ぶことになる。

一度 うんざりすると、成田空港で、インド人の顔さえ、

見ることが 疎ましく感じるといった人もいる。

 

その答えの代わりに今日のお話しをさせていただく。

12月15日の”インド雑感”のところで書いたお話しの補足でもある。

 

 写真3    写真4

 

デリーでも最も歴史的で中心部に位置する、

高級店が軒を連ねるビルの3階の喫茶店

大木の枝は ビルの3階にまで、届いていた

私はそこにある喫茶店のテラスでお茶と軽食を頼んだ。

カップルのように、皆、なごやかに、アフタヌーン・ティー

を楽しんでいた。

そこに やおら、木々の間から猿が飛び降りてきた。

 

客席の間を闊歩したり、きょろきょろ物見遊山的に

楽しんでいるかのようだった。

ところが、図に乗った母ざるは、一つのテーブルめがけて、

飛び乗った。(写真3)

女子大生の歓談しているテーブルだった。


女子大生たちは 突然の珍客に、驚いて、悲鳴を上げて

テーブルを離れた。

この写真には、よく写っていないが、舶来の煙草の箱が

置いてあった。 

母ざるは、テーブルにある、水をコップから飲み、煙草を

口にしたが、まずいとわかって、砂糖のツボに手を

突っ込んだ。


ザラメ砂糖なので、容易に 手を突っ込みながら、

中身を取り出している。

砂糖入れの周りには、猿の手から零れ落ちた砂糖が

散乱していた。

次に、その場に落ち着いて腰をおろした母猿は、

子ザルを呼んだ。(写真4)

子ザルは母親のそばで、これもまた、怖いもの知らずに

振る舞う。

 

そばの客席に座っていた客たちは、 それなりに、そのテーブル

から離れて、親子の様子を面白そうに見守っていた。

こういう内容で12月15日のブログの話を進めたと思う。

 

さて、この話を、インド人の友人に聞かせた。

彼女は、“猿もしぶといけど、人間もしぶといのよね。”

答えた。 

この答えは 予想外だった。

”しぶとい”という意味はどういうことか?


砂糖を元の場所に戻して平然と何事もなかったように、

蓋をしている、

店員のことをいうのか?

猿を相手に、悠然と、そのままテラスでお茶の飲んでい

た客人をいうのか?

よくわからないが、とにかく ”しぶとい” の言葉は、

インドの人を言い表すには、 納得いく表現だった。

 

日本の友達にも 同じ話を、聞かせた。

“え?それで砂糖は、ツボにまた、しまわれて!… 

知らないお客さんはその砂糖を使ったんですかね?”

“店員は、客に謝ったりしないんですか!”

反応がこれだけ、違うのが面白かった。

もし、日本だったら?

そう思うと余計、いろいろな想像が湧いてきた。

 

インド人とは、こういう気質であるということで この猿事件

を再びあげた。

まとめてみると、

* こせこせしていない。~ 私のように、テラスから店内に

入る客はいなかった。


* 大まかであり、しかし、数学的計算は緻密である。~ 

お勘定の時点では、きっと、被害分は支払わないだろう。


* 人生儚い夢であることを厳しい生活の中で熟知しているので、

感情に一時的に流されても、 相手を許すことも知っている 


~ 嫌な顔をするより、猿と一緒に楽しむ余裕があるのか

衛生的、非衛生的という観念は日本人よりはるかに少ない。


~ こぼれた砂糖を拾ってもとに戻していても、誰も何も感じ 

ないらしい。         

一度 家族(のように、ファミリーの一員)として受け入れると、

親身になってくれる。

~ もし、猿が襲ってきそうになったら身を挺して守って

くれそう。

 

もっとも これとは別の顔を持ったインドの人も多いだろう。 

 上記の最後の文脈にある、“家族として認める” ということ。


この言葉は良く使われるらしい。 親しい人間関係を指すとき、

良く使われる。

彼女は”ファミリーだから”、というように。 


概して、この表現は、日本の友人たちにはピンとこないようだ。

もっとも、日本語で、”彼女は家族的つきあいだから”という

言い回しも見当たらない。

 

”家族、家族って 彼らは、貴方の事言っているけど、

どのくらい、彼らと仲が良いの?”と聞かれたこともある。

家族なら、たとえば、損得を抜きに、助けてくれるという

意味合いもある。

家族なら、もしかしたら、許される範囲が広いということもある。

家族なら、信頼関係が造られているという場合もある。

 

だから、本来、他人同士でも 平気で“自分のお兄さん。

お姉さん。”と 紹介してくる場合が多い。

時々、血のつながった兄弟姉妹と思っていると、

”家族”の一員のように、お互い認め合っている関係という

場合もある。

 

ただし、家族だと認めると、とことん面倒をみてくれる。

まだ、自分は”とことん”まで見てもらったことはないが、

その布石は知っている。

そのエピソードは次回に回して、お話ししたい。

インド人の懐(ふところ)の深さを感じてもらえるかどうか

・・・わからないところではあるが・・・・

 

今、テーブルにこぼれた水を飲んでいるの、・・・


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