
この世のEGO(エゴ)意識
***********************************2024年4月22日
朝、出勤前には 誰でも、鏡を見て、そこに映る自分をチェックします。
そこに映っている”私”は誰ですかと誰かがあなたに聞いたら
なんと答えますか?
名前を言いますか?
社会的立場で答えますか?
家庭の中での、自分を言いますか?
さて、私(わたし)と呼ぶ、その人のなかには、実は、二人の”私”
しかいないと、覚者は言います。
①一つは、この世に生きている間しか通用しない、
”私”【アハンカーラ】
②もう一つは、永遠に生きとおしの
(意識を持った) ”私”【アートマ】
①は 外見上の私、社会的立場の私、家庭の中での私、仕事上での私、
など、いろいろな言い方ができます。
でも、この世でしか、通用しない、つまり、死んだら、あの世では
自分の特定にはつながらないこと・・・なので、それを”エゴ”の私
と呼んでいます。
②のアートマの私、つまり、魂の純粋性から見た私 は、外からは
簡単に、わかりません。
心(魂)で、感じることはできても、物質的に、触ったりすることは
できません。
次の文章に書かれた ”私” は、①と②のどちらでしょう?
ア)私は、この子なしには、生きていけない
イ)この子が離れて行っても、幸せならば、
私はそれでよい
ゥ)私の財産は、生きている間は、誰にも譲らない
エ)私の年齢は、肉体的には、30歳ですが、本当は、永遠なので、
数えようがありません
オ)会社の同僚で、私の意見といつも衝突する人がいて協力体制が
とれない
カ)私の意見と反対の意見を持つ友人だが、彼女の幼児時代の話を聞いて、
彼女が反対している理由も理解でき、私は今では 誰かが自分に反対しても、
素直に耳を傾けられるようになった。
ア、ウ、オ、カの前者は、①の私です。
どうしてかと言えば、①の私は、エゴ意識が主体になっているからです。
共通してることは、ここでは、”執着”する”私”でしょう。
子供や、財産への執着は、この世にしか通用しない私(エゴ)が持ちます。
(オ)の場合は、自分の意見と同調しない人に対して、協調関係は作れない、
自分と不適応の人、とレッテルをつける”私”です。
このように、レッテルを貼るのは、エゴ意識の特徴です。
自分自身の考えや基準が、正当であるという意識でもあります
そして、残る三つは、②の自分(純粋性の自分)を表しています。
死んでも、存在し続ける意識(魂)で、本質の自分でもあります。
自分の物とか、自分が正しいとかいう、執着がありません。
①と②の自分と、揺れ動く環境に置かれたとき、決定的に違う点が
あります。
それは、揺れ動く原因となっている、”他者の意見や、自分の感情や
秩序のない環境”などに ”影響を受けることなく、振り回されない”
かどうか、の点です。
①のエゴの自分は、大いに、影響を受けやすく揺さぶられるのです。
人の目や評判を気にしたり、人に良く思われたいとか、嫌われたくない、
仲間外れにされたくないなどと、動かされます。
②のアートマの自分は、大黒柱のある家に似ています。
地震が来ても、倒れない家のようです。
周りの批判や、誤解なども、すべて、受け入れる体制で、自分自身を
失わないという安定性を自覚しています。
自分が神(大生命力・宇宙意思・光など)と直結していることが実感
できますから、どっしりと構えていられます。
この揺らぎの無い境地が、本当の自分であることの、幸せ感だと、
思います。
表題の”human being" は、人の①と②を組み合わせた言葉です。
①のhumanは、”塵(物質)からつくられた”という意味で、beingと
続くと、そんな肉体的物質的要素の自分ではあっても、”そのままで
幸せな状態”を意味しています。
二つ合わせて、人 を意味するhuman being となります。
一方、human doingという言葉もあります。
これ は、本来の自分に立ち戻ることのないまま、物質的要素や環境に、
気ぜわしく、時間をとられて行動する(doing)人、をさしています。
human beingは、物質的環境の中でも、本来の自分自身に立ち返る
時間をもって どんな環境においても、自分の”幸せの実態(being)"を、
味わうことのできる人を指しているのでしょう。