
本当の自由が欲しい (4)
*************************
自由になるって、束縛から離れること・・なんだそうです。
物質からの、人の、地位の、お金の、家族の・・執着が、ここでいう、
”束縛”の意味です。
そして、本当の”自分の強さ”を 自覚して、どんな状況でも
そこには、誰も、何も、入り込めない・・・と気が付くことだそうです。
そうすれば、安定した自分 を維持でき、ストレスフリーもここから
・・というのが、が今日のお話です。
***************
歴史をみると、”闘いの歴史” といえるほど、戦争の連続でした。
それは、どれも、”独立と自由”を求める闘いでもありました。
現在も進行形ですが・・・
個人レベルでは、小さな闘いは、親と子の間にもつきもののようです。
親からの、圧迫感から逃げるため・・自由を求めるがゆえに・・
夫婦間の”軋轢(あつれき)”でも "自由と解放"は、大きなテーマです。
夫は、昼間の会社での ストレスと鬱憤から、心を解放したくても、家庭内
でそれが不可能だと、外に求めます。
妻は、家事と育児と、パートの両立で、ストレスも必然的にたまるでしょう。
こうして、誰もが、日常の束縛や自由を奪う、”圧力からの解放”を欲します。
ところが、皮肉な現象があります。
そうした束縛から、解放を手に入れても、自由になったと思っても、また、
他の束縛が現れるということです。
そして、”縛られる”という 繰り返しの現実です。
これは、人でも、団体でも、国でも、同じことかもしれません。
これが自由だと手に入れても、本質的には、あまり、現実が変らないで、
圧力から逃げる日常感が、つきまといます。
たとえば、独立国になって自由を手に入れた民衆の声;
”独立すれば、自由になって、生活が変ると思ったけど、
実際は、経済的に不利な状況になって、以前のほうが、
もっと豊かに暮らせた”
現代では、EU連盟を抜けて、自由を手にした、英国がいい例です。
EU連盟から、その束縛を嫌って抜けましたが、EUという一国的な
協力体制からはずれたことで、不利が出てきて、後悔している国民が
少なくないという話です。
あるいは、独立国になっても、その後、国内で紛争やクーデターが
勃発して、内戦に発展する国は、少なくありません。
家庭内では どうでしょう?
親の圧力から解放された少年も、勤め始めたら、上司の圧力が強く、再び、
束縛を感じる毎日に、うんざりしているかもしれません。
では、一時的ではない、長続きする”本物の自由”とは?
先人はこう言います:
”真の自由とは、外の状況で、自分が影響されない自分を保つこと”
これができれば、どんな状況に廻りが変化しても、長続きする、本物の
自由の境地に、いられるのですが・・・
自分の周りに、圧迫を与える人、暴言をはく人、自分を嫌いな人が
いますか?
そうした状況に、自分の心が、影響を与えられないで平然と落ち着いて
いるには、どうしたら、良いでしょう?
先人はこういいます:
”それは、”because" つまり、 ”~のせいで ~だから”、
の単語を自分の辞書からなくすだけです”
例)
”~だから(because)イライラする”
”~さんが、そんな言い方をするから(because)、言葉に傷ついた”
”~のおかげ(because)で、まだ、怒りが収まらない”とか・・・
だから(because)以下を、思わないようにして、もし、心に浮かん
でも、言葉にしない、ということなのです。
***************
この”because"=なぜならば~~~
の言葉をつぶやかない自分でいられたら、
束縛のない、自由で穏やかな自分 になれるというのです。
その理由は、シンプルです。
誰も、自分の心を、侵害することはできない・・・
傷つくというのは、自分が相手の言動に振り回されて、いる証拠だ・・・から。
その自覚を、植え付けることが、とても、そして、一つの、傷つかない方法
なのです。
もう一つの方法は、自分がとても、愛深い心を持っているのだ・・と“思う”
こと。
愛とは、理解(相手の背景を知る)と受容(ありのままを受け入れる)
を可能にさせます。
もし、心が、愛をチャージすると、感謝が生まれます。
感謝は、当たり前のことに対しての、恩恵への、気づきのことです。
たとえば、この瞬間の私自身が、愛のチャージが満タンならば、
ブログを書けることに、幸せを感じるでしょう。
そのためには、両手にケガもなく、パソコンを打てることが最低条件
ですが、それが可能であることに、感謝です。
傍らで寝息をたてて休んでいる 私の、愛犬がいます。
こうして、愛犬が健康で 雨が小降りのうちに、夕方の散歩ができた
ことに感謝。
散歩中、正常に大小のトイレを、済ませてくれたことに感謝・・・
といった具合です。
当たり前のことを、見つめなおしてみると、ありがたいなと思うことは
沢山あるのですが、不平が勝つのは、どうしてでしょう?
幸福感があれば、多少辛いことがあっても、あまり苦になりません。
幸福感が低いと、小さな痛みでも、とても大きな痛みに感じ、何か
異常があるのかと、健康に不安さえ覚えます。
感謝があれば、人に優しくでき、人の気持ちを共有でき、平和で冷静です。
**************
”真の自由とは、外の状況で、自分が影響されない自分を保つこと”
平和で安定した境地にいると、人の干渉や、嫌なことや、気に障ることや、
不安などに、侵害されたくないという、気持ちになります。
そうしようと選択するかしないか、を決めるのは、自分自身なのですから、
悩んだり、怒ったりする意識から、そうした行為に、左右されない心が自分の
心だと、意識転換するのも自分次第です。
”私の本質は、愛と平和です。
この本質は、どんな外的事情も、状況も、変えることはできません”と
マントラのように唱えて、自分の心の手綱を捌くことも、一つの
修行かもしれません。