エミール師ができることは私たちもできること・・・・
平成25年6月23日
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著者はしがきから
わたしは、1894年に 極東を訪れた11人の
調査団の一員であった。
3年半にわたる極東滞在中、ヒマラヤの大師たちに
接触した。
大師は私たちが 偉大なる法則の働きを実証される
のを実際に見るために、大師がたの生活の中に
親しく入り込むことを許してくれた。
私のノートを今ここに、“極東における、大師たち
の生活と教え”と題して、発表するが、そこに
盛られた内容をそのまま受け入れるか、否認する
かは読者の自由である。
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さらにエミール大師の言葉は続く。
キリストの出生についてであった。隊員達は皆、
ほとんどクリスチャンだったので、最も、彼らに
馴染みのあるキリスト教を紐解くことで、宗教を
超越している真理の話を エミール大師は始めた
かったのだろう。
“さて、キリストの生まれた経緯はこうでした。
まず偉大なる母、マリアが 理念を覚知し、それが
心に抱き続けられて、魂という土壌の中に育まれ、
一時、そこにとどまり、やがて、完全なる長子、
神のひとり子なるキリストとして生まれました。
それから、女性の最良のものを与えられつつ、
養育と保護を受け、見守られつつ,慈愛の下に少年期
を経て、成人に達したわけです。
内在するキリスト(実相)が私たちすべてに、実現
する過程も、同じです。
まず、最初に、神の土壌、すなわち、神のまします、
中枢部に 理念が植えつけられ、
・完全なる理念として、心の中に維持され、
・やがてついに、完全なる神の子、即ち、キリスト意識
として、現実に
・生まれ出てくるのです。“(41)
そう語りながら、エミール大師のこれまで顕わした
不可思議な現象の行いに疑いの残る隊員達の、
気持ちを察して、大師は次のように続けた。
“あなた方は、今しがたの出来事を見はしたものの、
自分自身の目を疑っています。
しかし、私は、あなた方を責めようとは思いません。
皆さんの中の誰からか知らないが、‘催眠術だ’という
念波を受けましたが、兄弟たちよ、今晩あなた方が
目撃したような 神の与え給うた、すべての能力を
行使する力が、自分には無いと思っている人がいる
のですか?
私が何らかの方法で、あなた方の考えや視力を私の、
支配下に置くと一寸の間でも想う人がいるのですか?
あなた方の中の誰かに、いや、あなた方全員に、私が
催眠術的魔力を投げようとすればできるとでも、
思うんですか?
あなた方は知らないのですか?
あなた方の偉大なる著、聖書に、
‘イエスは 戸が閉まっているのに、入ってきた’
と記録されているではありませんか。
イエスはちょうど私がしたように、入ってこられた
のです。
偉大なる導師にして、また、教師でもあり給う
イエスが、いかなる方法にせよ、他人を催眠術に
かける必要でもあるとお考えなのですか?
イエスは、今晩の私のように、神の与え給うた、
彼自身に内在する力を用いたまうたのです。
くれぐれもことわっておきますが、私は、あなた方
の誰にでも できること以外のことは、決して、
してはいないのですよ。
あなた方だけではない、この世、いや、この宇宙に、
今生まれてあり、また、生まれたことのある子らには、
すべて今晩のようなことを成し遂げる力があるのです。
あなた方は自由意思であって自動人形ではない。
イエスには催眠術を他人にかける必要はなかったし、
私たちもまた然りです。
私たちの正直さが 完全に納得できるまでは、
完全に疑うがよい。
しかし、催眠術という考え方だけは、ここしばらくの
間でも、捨ててしまうか 少なくても、あなた方の
仕事がもっと、深く進むまでは、心を受け身に保つがよい。
私たちが皆さんにお願いすることは ‘心を解放しておく’
ということです。“(42)
エミール大師は、ドアーが閉まっていても、部屋の
中に入ってきたりすること、それは誰にでも
備わっている能力だという。
確かに、人がこの世を去るとき 肉体を離れる
その寸前に遠距離にもかかわらず、愛する人の、
枕元に顕れたという話しは 昔からよく聞く。
姿を見ないまでも、虫が知らせたというように、
何かのメッセージが伝わり、後から 死亡事実を
知って、”ああ、あの時・・”と 納得したという
話も聞く。
そういえば、私のインド在住時代、師匠は、実際、
印度から離れたことが無いのに、バンコクの
シーロム通りで、目撃されている。
私のタイ人の親友の前に幽体で出現したのだ。
後日、その友人宅に泊まったとき、当時 私が
持っていた、師の顔写真を見て驚いて、彼女は
”この人に会ったことがあるわ!”
なぜなら、その先生はインドから外国へ行った
ことは生涯に一度もなかったからだ。
それにもかかわらず、彼女はその先生に会った
ことがあると執拗に言うので、詳しく状況を聞いた。
彼女は、その師の身体的特徴や着ていた服の色、
恰好などをを詳細に語った。
先生は実際、その姿以外の服装を着たことはない。
常に、スワミ(僧侶)姿だった。
しかも、僧の衣装ではあるが、一種独特の風情でも
あった。
しかも、彼女と目があって、にっこり微笑んだという。
エミール師が語る 今回のこのような体験をインドの
聖者は当たり前のように、日常の中で行っているようだ。
参考)
ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 全5巻
S54年6月5日第五版 ベアード・T・スポールディング著
仲里誠吉訳 霞が関書房
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