自分自身でできるアートマセラピー ・・2023年⒓月21日
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これから、御紹介するところは、ギータの2章です。
ここでは、自然治癒力セラピー協会で施術
している、セラピーの名前、
”アートマセラピー”の元になった、”アートマ”
について、語られてます。
何故、”アートマセラピー”と名付けたのかと
いえば、施術中、アートマ意識 を相手に
投影させることがセラピーの基本になって
いるからです。
そうすることで、同波動は響きあうので、
クライアントの本来、持っている完全性、
つまり、アートマ意識が、(無意識に)
引き出されます。
人は、誰でもアートマ意識で 心身ともに、
つながっています。
だから、相手とつながったとき、その人の、
身体の滞っている箇所が、私の身体に
凝りや痛みとして投影されます。
そこに順追って、順気を当てていくと、相手
の全身の気の流れが整い、ほとんどの方たちは、
終了後、”軽くなった” ”息が楽になった”
”それまでの痛みが消えた” と感想を述べて
くれます。
”アートマ”とはサンスクリット語で、紀元前数千年
に、記された、ヴェーダの中の、”人間の純なる本性”
を意味しています。
詳しく書くと、本題からそれますが、”不二一元論”が、
ヴェーダの根底にあり、あらゆる存在物は、人を
含め、神であるという、徹底的な”唯善質”を説きます。
ですから、私は徹底的に、施術中は、相手の完全性、
つまり、”健康である今”を心で、念視しています。
これが、相手からアートマ性の波動を引き出す、
方法です。
そして、自分自身で解くときも、同様の心持で
セラピーを行えば’自己セラピー’が可能になる
はずです。
さて、小ヴェーダといわれる、’ギータ’の
主人公のクリシュナが、アートマについて、
たびたび、アルジュナに語っています。
今日から二回ほど、そのテーマで書きたいと
思います。
以前にもお話したように、アルジュナは、敵陣
に向かう直前まで 自分の尊敬する師や親類縁者
に刃向かうことに、罪悪感を感じ 戦う意欲を失って
いました。
そんな彼に、騎馬車に同乗した、クリシュナは、
このように言葉をかけて、アルジュナの勇気を
奮い起させました。:
“This indwelling entity the Atoma, neither
kills nor gets killed.
This entity never takes birth and never dies.
It is never absent.
Therefore, it is not something that makes its
presence felt out of a sometime-absent
situation.
It has no birth, undergoes no change,
is ancient and is always present.
It is not killed when the body is killed.
Purtha!
He who knows this entity to be Indestructible,
permanent, without birth and changeless,
tell me, whom will be kill or
who will he takes to be the killer?
The indweller discards old,
used-up clothes and don’s new clothes.
Weapons do not destroy this entity.
Fire does not burn this.
Water does not wet this.
Wind does not dry it.
This entity cannot be cut, burnt, wetted or dried.
It is Indestructible, always present
everywhere without
movement and is well established.
It is beyond the ability of the senses to
perceive and of the mind to capture.
It cannot be changed in anyway
whatsoever.
Therefore, understand it as such.
Do not be disheartened.”
(2-17 to 2-25)
訳)人の心に住む神性、アートマは、殺すことも
殺されることもない。
そして、生まれたり死んだりすることはない。
存在しないということが、無いのだ。
つまり、ある時はそこに在り、ある時は、
そこに居ないということがない。
古代から現代にいたるまで、生まれることなく、
変化することなく存在している
(註:個人意識(アイデンティティ)ある魂のようなもの)。
肉体が殺されても、アートマは殺されない。
変化することのない永久不滅の実在、
それがアートマの資質だとしたら、だれが一体、
殺し、誰が殺されるのか?
内在するこの資質(アートマ)は、古い服の
ように捨てられたりしない。
武器でアートマを破壊できず、火で焼き
尽くされたり、水にぬれたり、
風に乾いたりするようなものではない。
傷つくことなく、自然の力に影響される
ことなく、あらゆるところに実在し、
移動せずとも、よく秩序を保ち、人間の
五感を超えていて、心(mind)で
とらえることはできない。
そういうものだと知るがよい。
ゆえに、(アルジュナよ、戦うことに)心を
落ち込ませることもなかろう。“
(須田訳)
”闘いは、現象における兵士の義務ではあるが
敵にも、味方にも、本来すべての人間に
備わっているアートマを見据えたら、そこには、
勝者も敗者もない”
とクリシュナ神は、アルジュナに断言するのです。
戦場で、肉体が殺されたと見えたその瞬間に、実は、
生きとおしの魂の意識が復活します。
死んだと思った自分は、肉体より剥離して、
生き通しの命を知る・・・わけです。
これが、”アートマ”という”不滅の魂”でも
あります。
残念ながら、クリシュナが述べているように、
この娑婆の世界に生きている身は
肉体的感覚で、このアートマを感じえない
ので、その存在を気が付いていないのです。
次回へと、そのあたりから、何故、生きている
間に、このアートマ意識を、自覚できないかと
いうところから、書かせていただきます。