"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“変化のきざし”

2011-05-01 13:44:44 | 日記
なんと、もう5月ですね。

年末年始は、ついこの間だったはずですが。

1年の3分の一がもう終わったという事実に驚きます。

最近、時間が加速しているという話も聞きますが、本当にそんな感じですね。


4月29日は、昭和の日でした。昭和天皇の誕生日。

昭和天皇の崩御後、紆余曲折があり、昭和の日と命名されました。

その趣旨は、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」としているそうです。

今の日本の姿にダブります。


終戦直後の日本、昭和天皇が、日本国中を行幸されましたが、その最初の地は広島だったそうです。

今月27日には、天皇、皇后両陛下が、東日本大震災の被災地となった宮城県南三陸町を訪問されています。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110430/imp11043007010001-n1.htm


29日は、英国でロイヤルウエディングがありました。

日記にも書きましたが、その日は、ダイアナ妃に思いを巡らせる日ともなりました。


そして確かにこの日を境に変化が出ているように思います。


同じ日、日本では下記の出来事がありました。


“「校庭放射線量」で抗議の参与辞任 東大教授「容認したら学者生命終わり」
2011/4/30 10:57
(http://www.j-cast.com/2011/04/30094618.html)

原子力の専門家で放射線防護を中心に助言してきた東京大学大学院教授の内閣官房参与が、政府の対応を批判して辞任した。小学校などの校庭利用を制限する放射線量基準について、「とんでもなく高い数値」と批判している。一方、政府側は、基準値について専門家の意見をきいた上での「最終判断だ」と問題はないとの認識を示している。

2011年4月30日付の辞任届を首相官邸に出したのは、小佐古敏荘・東大大学院教授だ。4月29日、記者会見して明らかにした。小佐古教授は、福島第1原発事故をめぐる政府の対応について、法律や定められた指針にのっとっておらず、「その場限りで場当たり的」と批判した。

また、小佐古教授は、小学校などの校庭利用に関して、「年間被ばく量20ミリシーベルト」とした文部科学省の制限基準について、「とんでもなく高い数値」と訴えた。通常の放射線防護基準に近い「年間1ミリシーベルト」を採用すべきだとも主張した。現行基準について「容認したら私の学者生命は終わり」とも述べた。

小佐古教授は、原発事故後ほどなく内閣官房参与に任命され、放射線防護の分野を中心に助言してきた。

一方、細野豪志・首相補佐官は4月29日夜、TBS番組に出演し、小佐古教授が批判した校庭利用制限基準について、専門家らの意見を聞いた上での決定だとして「政府の最終判断だ」と変更する考えはないことを明らかにした。

また、菅直人首相は4月30日、衆院予算委員会で、小佐古教授による「場当たり的」との批判について、小佐古教授らの助言も含めて検討しているとして、「決して場当たり的な対応はしていない」と反論した。

インターネットの個人ブログや、関連ニュースへのコメント欄をみると、小佐古教授による「政府は場当たり的」批判について、賛同する声が多く寄せられている。特に子どもが関係する制限基準については、「専門家の意見がわかれた場合、厳しい基準の方を採用すべきではないか」といった声も少なからずあった。”


東大には、東京電力から寄付金という形で多額のお金が流れていました。

マスコミに出てくる東大教授の方々は、東電や政府にとって都合のいいコメントをしてくれる“御用学者”と揶揄されて来ました。

その東大の大学院教授が、小学校の校庭利用について、「20ミリシーベルト」は「とんでもなく高い数値」と訴え、「年間1ミリシーベルト」を採用すべきだとも主張し、現行基準を「容認したら私の学者生命は終わり」とも述べたということ、

何か風向きの変化を感じます。


小佐古教授は辞めないで、戦うべきだったという声もあると思いますが、こうしたアクションを取らないと、変化を起こすのは簡単でもないという状況なのだと思います。

ただ、私自身は、記者会見で小佐古教授がこのような発言をされていたということは知りませんでした。

確かに、NHKでは、小佐古教授が、記者会見で政府を批判して辞めたというニュースを流していましたが、

そこで触れられていたのは、「場当たり的」な政府の対応を批判したということだけでした。

マスコミの情報の出し方含めて、やはり意図を感じてしまいます。


学校校庭の土撤去ということに関しては、このような話もあります。

“東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射性物質を取り除くことを目的に、福島県郡山市は27日、市立の小中学校と保育所計28施設の校庭の表土を削る作業を始めた。市は「保護者らの要望」を理由として独自に実施を決めた。(中略)

作業を始めた後に市の職員が薫小学校の校庭で放射線量を計測したところ、地表付近で除去前に毎時3.3マイクロシーベルトだった値が、除去後は毎時0.5マイクロシーベルトにまで下がったという。”(2011年4月27日 asahi.com)


なかなか動かない政府の対応に頼らず、郡山市長が自ら決定したという例ですね。

ただ、直後にこんな問題も出ています。

“校庭表土、搬送できず=処分場周辺住民が反対-福島・郡山
 福島第1原発事故の放射線対策として、福島県郡山市が始めた校庭の表土除去作業で、表土の搬送先に予定していた埋め立て処分場の周辺住民が反対したため、運び出せない状態になっていることが28日、分かった。除去した表土は、校庭の隅などに仮置きされており、市教育委員会は「住民の理解を得られれば、処分場に移したい」としている。

 市は27日、市立薫小学校と鶴見坦保育所の2カ所で除去作業を実施。同小では約150立方メートル、同保育所では約5立方メートルの土を取り除いた。

 しかし、搬送先としていた同市逢瀬町の河内埋立処分場周辺の住民から反対の声が上がり、27日に説明会を開いたが物別れに終わった。このため、市は搬送を見合わせ、表土にシートをかぶせた上で、学校敷地内に保管している。”(時事ドットコム2011/04/28-20:47)


この様子を見て、市に先を越された政府が、しめしめと思っていてはいけません。

国が責任を持って、場所を確保するべきだと思います。


今は、まだまだせめぎ合いの時なのでしょう。

でも、変化は確実に起きていると思います。


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“ダイアナ妃とキャサリン妃”

2011-05-01 05:45:35 | 日記
ウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式は、スペインにおいても関心度が非常に高く、マスコミもその話題で持ちきりでした。

ウェストミンスター寺院での挙式からバッキンガム宮殿までのパレードを見守った人の数は約100万人。

到着した宮殿のバルコニーのお二人を見るために集まった人の数は約50万人。

世界中から集まった報道関係者約8千人。

そして、推定20億人の人々がテレビを見たそうです。

このロイヤルウェディングの経費は約36億円、その経済効果は820億円と言われています。


ウィリアム王子は、チャールズ皇太子と故ダイアナ妃のご長男ですので、王位継承順位は2位。

お相手のケイト・ミドルトンさんは、イギリスの中流階級出身です。

王位継承者が一般の方と結婚されるのは1660年以来だそうです。

今後、愛称ではなく、正式名で“キャサリン妃”と呼ばれます。


今回の結婚式、国民の目には、故ダイアナ妃の結婚式の姿がダブって映っていたのではないでしょうか。

挙式が行われたウェストミンスター寺院は、ダイアナさんの葬儀が行われた場所でもあります。


このニュースからもダイアナさんの存在を随所に感じます。
(http://news.nifty.com/cs/entame/moviedetail/hwch-20110429-20110429_0401/1.htm)


“ウィリアム王子がプロポーズの際にケイトさんに贈った指輪は、母ダイアナの形見でもある婚約指輪だった。

15歳のときに母を亡くしている彼はその理由を、「すべてにおいて母に近くにいてもらうため」とコメント。

ケイトさんもダイアナへの尊敬の念を隠さず、「会えるのなら会いたい」と語っている。”

“Youtubeを通じて全世界が見守る本日の結婚式では、新郎新婦の意向でダイアナ元妃の結婚式で流れたのと同じ音楽が演奏される。”

“式場ではきっとダイアナ元妃の霊も祝福しているに違いない。”

この記事もそうですね。
(http://www.kirei40.info/archives/cat11/_kate_middleton/)

“ケイトは、カメラのフラッシュがたかれる中 正面に向き直ると
そっと ウィリアム王子の腕に自分の手をからめました。

ケイトとウィリアムのちょうど中央に、ブルーのサファイアが
輝く様子は、天国から母親が見守っているようで感動的なシーンとなりました。

婚約会見の冒頭で、ウィリアム王子は「皆さん ご存知のようにこの指輪は、亡き母の婚約指輪です」
「母の婚約指輪はもちろん私にとって特別な物で、ケイトは私の特別な人。
その2つを一緒にするのは自然なことだった」と語りました。”

“母であるダイアナは 幸せな結婚生活では無かったようですが 二人の息子が
結婚式を挙げるとき 自分が「最良の日」だったことを 思い出しながら
息子たちにも 幸せな結婚式を挙げてほしいという思いを生前語っていたとされます。”


故ダイアナ妃の弟、スペンサー伯爵は英BBCに対し、今回の結婚式が”「とても感動的だった」と振り返り、「ただ一つ残念なことは、ダイアナがそこにいないことだ」と語って”います。


チャールズ皇太子と、ダイアナ妃は、1981年に結婚し、1996年に離婚しました。

その翌年、ダイアナさんは、交通事故により、パリで不慮の死を遂げています。

このダイアナさんの死については不可解な点が多く、国民の間にも有名なロンドンの霧のようにスッキリしないものがあるようです。


ご存知のようにチャールズ皇太子には、ダイアナさんと結婚する前からの愛人であったカミラさんがいました。

ダイアナさんは、そのことを結婚前にも気がついていましたが、結婚すれば交際をやめるのではないかと思っていたそうです。

しかし、その関係は結婚後も続き、ダイアナさんは過食症の摂食障害を起こすようにもなってしまいました。

そして、ダイアナさんは、仕返しするように他の男性とお付き合いをするようになったと言われています。


ダイアナさんの最後の相手は、有名な“ハロッズ”のオーナーの息子さんでした。

その方も、事故当時、車に同席しており、一緒に亡くなっています。


当初、ダイアナさんの乗った車の運転手は、抗うつ薬を飲んでいた上に、相当飲酒していたという理由で、トンネル内の激突事故を起こしたと言われていました。

しかし、直前に撮影された映像では酩酊している様子がなかったという話が出て、疑惑が広がったのでした。

事故前、その運転手の銀行口座に、約1500万円が振り込まれていたことも疑惑を深めました。

そして、チャールズ皇太子を公式に事情聴取する事態にまで発展しました。

しかし、この件は、結局、車の運転手と追跡したパパラッチらの重過失が原因とする評決が下されています。


国民の間の疑惑は、完全には消えていません。


その内容は、

事故当時、ダイアナさんは、同乗していたアルファイドさんとの子を妊娠していて、エジプト人であるその一族によって、将来の
英国国王の異父兄弟としての地位を利用される事を恐れた、という説であったり、

事故の数ヶ月前に、ダイアナさんのお母さんが、英国国教からカトリックに改宗していたため、ダイアナ妃を通じて皇太子らに影響を与える事を恐れたためであった等、いくつかあるようです。

その前にダイアナさんと交際していたボディガードの事故死もあり、“シークレットサービスによって殺された”のだと、ダイアナさんご自身が語ったテープが公表されています。

そして疑惑を深めたダイアナさん自身が、「夫(チャールズ皇太子)が私が乗る車の事故を起こそうとしている」

と知人に手紙に書いてもいるのです。

その理由は、“チャールズ皇太子が「再婚しやすくするため」”とも。


私も、この件は、簡単には明らかにならない背景があったのだと思います。

だからこそ、英国国民も、人気の高いウィリアム王子にダイアナさんの面影を見出し、キャサリンさんにダイアナさんの幸せだっ

た時の姿を重ね合わせて、そこに夢を乗せているのではないかと思います。


そして、ダイアナさんも、ウィリアムさんとキャサリンさんのそばにいて、二人を守って行かれるのだと思います。


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