雑誌SPA!の記者の方の記事を添付させて頂きます。
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/spa-20110330-01/1.htm
http://spa.fusosha.co.jp/feature/number00014321.php
この記者は、家族との旅行で、福島県いわき市の「スパリゾートハワイアンズ」に宿泊していました。
そして、そこで震災に遭ってしまったのです。
その時のことについて書かれた記事です。
“ 3月11日。運命の日。記者は福島県いわき市にある「スパリゾートハワイアンズ」で被災した。
久々にとった有休休暇。家族サービスと称し、妻と2歳10か月の息子を連れ、無料送迎バスでホテルに到着し、わずか1時間半後の震災だった。
知らない土地、さらには水着のままの避難という、非日常的な状況下での悲劇ではあったが、ここで被災したことは不幸中の幸いだったのだと、今にして思う。それも、特上の。
まず、ここはガス、水道、電気という、いわゆるライフラインがすべて生きていた。
そのため、さまざまなメディアで報道されている被災地のように、寒さに震えたり、暗闇に怯えたりすることが一切なかった。
しかも、食料の備蓄があり、東京に帰ることになる日曜日の朝までの計5食、すべて十分な量を提供してくれた。
しかも、ビュッフェ形式で。これは、2歳児を抱える家族としては、とてもありがたいことだった。
震災当日はバスが動けないことが判明したため、被災者たちは大会議室、あるいはロビーや廊下で雑魚寝となった。
眠れぬ夜が明けて、土曜日。記者は、とある従業員にふと、聞いてみた。
「このホテルのほかは、どんな状況ですか?」
すると、彼は表情を強張らせて、静かに答えた。
「はっきり申しまして、このホテル以外は全滅です」
聞けば、周囲一帯、すべてライフラインが止まっているとのこと。
そうか、記者たちはラッキーだったんだな、と思った数秒後、気付いた。
……じゃあ、彼らの家族は一体どうなんだ? 親戚は? 友人や恋人は?
恥ずかしながら、記者はこの時まで、本当にこの瞬間まで、彼らも“被災者”であることを忘れていたのだ。
それも、我々よりもはるかに厳しい環境下にあるのだ。
恐らく、これだけ震源地に近くて、家族全員無事というのは考えにくい。
連絡が取れない、友人、知人が山ほどいるはずだ。
そして、何よりも自分自身が1秒でも早く、帰りたい場所があるだろう。
しかし、彼らはそんなことを態度にはまったく出さず、自らの職務をまっとうした。
その行為は、我々の体ではなく、心を救ってくれた。
トドメは日曜日だ。朝6時に、起床のアナウンスが流れ、朝食が始まった。
ひと段落したところで、支配人が拡声器を片手に、静かに話し始める。
「本日、皆さんを東京駅までお送りできることがわかりました」
満場の拍手が沸き起こる。その中で、さらに支配人は続ける。
その瞬間、巨大な拍手が会場を包んだ。
常識では考えられないほどの大きな余震が続くなか、まったく安全が担保されない道を、被災した「お客様」のために走る。
それは、命がけの行為だ。拍手で手が痛い。
ジンジンと響き、熱くなる手のひらを見つめ、記者はこのとき、拍手には大小のみならず、軽重があることを知った。
そして思う。絶望の淵にある人を、真に救うのは「情報」でも「言葉」でも、ましてや「法律」や「ルール」などではない。
「行為」だ。何をすべきかを論じているだけでは、誰一人救えないのだ。
我が身の非力さを、これほど嘆いたことはない。
いつか、スパリゾートハワイアンズが営業を再開したら、また家族を連れて、遊びに行かせてもらうつもりでいる。
それも、できれば毎年。そして、その都度、息子にこう言うつもりだ。
「このホテルで働いている人は、みんなお前の命の恩人なんだぞ」と。
そう笑って言える将来がきっと来ると、記者は強く信じている。
彼らの、1日でも早い営業再開を心より、祈りたい。(SPA! 2011年3月30日(水)配信)”
海外に住んでいると、普段の何気ない買物の時含めて、日本人の「仕事に対するプロフェッショナリズム」は本当に素晴らしい、と感じることが多いです。
そして、それはなぜなのかと考えると、仕事に対するコミットメントであり、相手の心から入ったコミットメントなのだと思います。
ここに出てくるスタッフの方々の姿、これこそが日本の最大の財産なのだと思います。
日本人が、自分が日本人であることに引け目を感じること、
それは、そのほうが都合のいい人々によって、植え付けられたものに過ぎません。
決して本当の自分の姿ではないのです。
気概をもってことに臨む心意気、毅然とした、凛々しい姿、
その真の姿を、現し始めている方々が、今、たくさん出て来ています。
そして、その姿は、これから世界中に広がって行くのです。