"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“まずは子どもたちだということ”

2011-05-24 05:55:11 | 日記

福島県に住む保護者の方々が、文部科学省の前で、子どもの被曝量基準値20ミリシーベルトの撤回を求める抗議活動を行ったという記事が出ていました。

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011052300803

 

福島原発の様々な問題の中でも、私自身、最も納得出来ないことのひとつがこのことです。

 

もともと大人の許容量は1ミリシーベルトでした。

それが今回の事故が起きて、一挙に20ミリシーベルトに引き上げられてしまいました。

そして、なんと子どもまでもが、この20ミリシーベルトまで引きあげられてしまいました。

 

もともと1ミリの基準を、引き上げること自体、異常なことだと思います。

その数値にすぐなってしまうからと言って、それを避けるために変えられてしまう基準とは一体ナンなのでしょうか。

ましてや、子どもたちも大人と同じ基準にしてしまうとは。

 

政府は、20ミリシーベルトの基準に関連して、毎時3.8マイクロシーベルトとも言っています。

この数字は、24時間、365日で計算すると、33.3ミリシーベルト。

20ミリを大幅に上回ります。

いつでも外にいるわけではないから、という理由です。

 

放射線の被害については、確かにまだ分かっていない面も多いと思います。

しかし、分かっていないから数値を上げてしまっていいということには、決してならないはずです。

リスク管理の面から言えば、はっきり分かっている場合よりも、より保守的に考えるべきでしょう。

 

1ミリシーベルトから20ミリにシーベルトに変更するにあたって、今まで分からなかったことが、分かって来たからというようなことはありません。

基準を変えるための客観的な理由がどこにもないのです。

変化したのは唯一、大量の放射線が流れてしまったということです。

そして、1ミリシーベルトのままでは、避難や補償等、決めなくてはならないことが増えるだろうということだけです。

 

一方で、放射線による被害に関して、分かっていることがあります。

それは、大人よりも、細胞分裂の多い子どもの方が、放射線の影響を受けやすいということです。

当然、外部被曝だけでなく内部被曝への感受性も高いです。

 

今回の数値を決めるにあたってのプロセスは、全くいいかげんなものでした。

http://mainichi.jp/life/edu/news/20110503ddm002040055000c.html

決済をもらいに行った役人さんもそうですが、こんな大切な事項を簡単に決済してしまった上司たちは、一体、どういう人たちなのかと思います。

 

TVでの記者会見、文部科学省の方が、原子力安全・保安院も了解した、というその横で、安全・保安院の方が、そんなことは一言も言っていないと言っています。

高木文部科学大臣も、数値を上げたことの理由が説明できません。

プロセスの体をなしていないにもかかわらず、20ミリシーベルトという数字だけが、既成事実化して行きます。

民主主義国家とは言えない状況だと思います。

 

私は、基本的に、放射線の危険に関して、どのように判断するのかということは、それぞれの自己責任だと思っています。

放射線の被害においてはまだまだ固まっていないことが多いからです。

なので、政府の言うことを信用するかどうかということも含めて最終的に自分で判断するしかないと思っています。

 

もちろん、自分で決めてくださいと言うまでには、当然その判断をするのに必要なデータがきちんと公開される必要があります。

そこがきちんと守られるという前提があって初めて、自己責任ということが言えると思います。

今、日本では、それが、きちんとなされているとはとても思えません。

 

そして、たとえ必要なデータが開示されても、自己責任ということが当てはまらない人々がいます。

子どもたちです。

子どもたちは、親の判断に基づいて動くしかないわけです。

大人が守っていくしかないのです。

 

文部科学省は、本来子どもたちを守る組織なのではないのでしょうか。

他の人から、20ミリシーベルトに変えたいと言われたら、体をはって阻止する、という組織であるはずです。

ところが、今回は、その変更を自ら言い出すばかりか、勝手に決めてしまいました。

どう考えても、常軌を逸しているとしか見えません。

 

そんないい加減なプロセスで、なぜ決まってしまうのか。

私は、長崎や広島と同じように、今回の“実験結果”を見て見たい人たちの存在を感じます。

そして、それは絶対許されないことだと思っています。

 

原発被害、放射線被害に関する私の判断基準は、子どもたちにとってどうなのか、ということだけです。

そしてそれはどなたにとっても同じはずなのではないでしょうか。

 

関連して、私が今とても気になっていることを付け加えます。

「本当は、他の地域に避難したいのだけど、なんとなく悪い感じがして、言い出せない。出来ない。」

 

こういう空気が生まれることは絶対に避けるべきだと思います。

 

どのように対処するのかということは、あくまでも、それぞれの自由意思によって決められるべきものだと思います。

 

“風評被害”

“健康にただちに影響を及ぼすものではない”

“20ミリシーベルトへの変更”

 

これらは、その自由意志に対して水を差すことでもあると思います。

 

そして、思考を停止して、ただそれに従い、そうでない人々を非難するということは、

戦時中の空気にも似た、とても危険な状況だと思っています。

 

ことは、健康、そして生死にかかわることです。

自分で考えて、自分で動く、ということが何にも増して大切だと思います。

 

そして、その時まず最初に考えることは、子どもたちのことなのだと思います。

  


“福島原発、放射線被害に関するQ&A(6)”

2011-05-24 05:31:31 | 日記

先日のお医者様より追加で情報を頂きました。

ありがとうございます。

■内部被爆について

追伸ですが、内部被曝した場合に、尿や便、汗等から放射能が出る可能性が高いよう
です。つまり、内部被曝した人間から他の人間へ少量ではあるが二次被曝を起こす可
能性があるとのことです。放射線医学専門医に聞いてみました。

内部被曝で最も危険なのが中性子線とアルファ線で、今回の原子力発電所絡みでアル
ファ線は主にプルトニウムから放出されます。中性子線は臨界時に放出されます。検
出には中性子線専用の測定器が必要です。内部被曝についてはベータ線も厄介で主に
ストロンチウム90から放出されます。

世間一般に言われるガイガーカウンターはX線とガンマ線の検出が主ですので、外部
被曝を評価することとなります。

福島県について、「風評被害だ。」とか「現在の放射能汚染は大したことはない。」
と言う人が大勢いますが、そういう人に限って福島県に住んでいませんね。私は、福
島県の浜通りと中通りは年単位で人が住める場所ではないと考えております。

■耳のないウサギ

福島第一原子力発電所事故後に福島市内で生まれた子ウサギの耳が無いそうです。

映像をご覧下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=UqVY9azhH3U&feature=player_embedded

うさぎ自体は耳が無くても元気に餌を食べています。

うさぎは人間より身体が小さいので放射線に対する影響が出やすくなります。昆虫の
数もかなり減るそうで、現在のチェルノブイリ周辺も昆虫が少ないそうです。