「平和を愛する各助詞」⇒「を‐して」の意味~[連語]《格助詞「を」+格助詞「して」》(使役表現を伴い、格助詞的に用いて)動作の主体を強調する意を表す。…に。…を。「私―言わしむれば」「彼―走らしむ」
「各助詞」助詞の一類。体言(主語と成り得る語句)または体言に準ずる語に付き,その語が他の語に対してどのような関係に立つかを示すもの。「花が咲く」「学校へ行く」の「が」「へ」など。口語では「が」「の」「を」「に」「へ」「と」「より」「から」「で」など,文語では,これらのほかに「にて」「して」などがあり,さらに,古くは「つ」「ゆ」「ゆり」「よ」などもあった。
「信頼して」の主体は「われら」である。詰まり、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」⇒「平和を愛する諸国民の公正と信義に『主権者である我等日本国民が』信頼することで、」
もし、諸国民が日本国民の信頼を破る行為をなした場合は、当然信頼関係は崩れる。此の場合、迂った保守層が言う様に「戦争国家日本が何もしなければ世界は平和になる、とでもいうかのよう」な文面は後に続く以下の前文の文には書かれて居無い。ならば、当然「諸国民が日本国民の信頼を破る行為をなした場合」は信頼関係を破るような行為をした諸国民は信頼する処ろか「われらの安全と生存を保持」を脅かすものであり、此れ放置することは逆に「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、 平和のうちに生存する権利を有すること」を脅かすものと解釈出来る。
憲法第9条も「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」成り立つもので、此の前提が壊れた場合、我が国の領土と国民の生命財産を敵対する諸国から守る為の範囲で修正して解釈されるべきであるのだ。
[憲法九条は此の前文の趣旨に合致した場合にのみ適用できると考えたからこそ『自衛権に対して反対する者が居無く成ったのである。』]
文の解釈は他の解釈との一貫性のある論理を持って為すべきである。
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