魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

魂魄の宰相 第四巻の三の④

2007-10-15 00:25:43 | 魂魄の宰相の連載

《上曽参政書》の中で、王安石は人材を使うのに必ずしなければならないことを「政情が安定するように適材に人を使う」と指摘し、其の為に「左派は即左派、右派即右派と使うべき為り」とし、詰りは必ず人材自身の特徴や其の者の利益と要求を考慮しなければならないので、其の者の立場を勘案して最も適当であるように考慮して(王安石の意見とは対抗するが民主主義の下では民衆の判断事項として、公人の出自等は明らかにされなければならず、元公安調査採用については既に詳しく述べたが、其のことに依って、長い間人材が不足して仕舞ったので、「其の意義を枉げない程度に一つのやり方に縛られること無く」一生懸命採用の任に当たらなければならなかった。宋の時代には中央集権制度が一層強化されたので、臣下の地位と権力は次第に萎縮し、文官の武将や上下の文武の官吏は、諸事総てに自身で決定する決断力が無く為り、総てのことで皇帝の意の侭に動くのが常と為って仕舞っていたほどで、このことも皇帝が事の大小に関わり無く、一々関与せざるを得無かった原因となったのだ。職責もつくさず徒に俸給を得て禄を貪っていた者達は、高位を守ろうと奮起することも無く、行政の仕事に励んで、其れ為りに功労を為すものもいたにはいたが、目先の安逸を取り繕うのが帝都の慣わしであったので、罷免されて人民に落された者をだすことで、進取の気風を根付きさせる切っ掛けを作ろうとしたのだ。然し、このようにするだけでは進取の気風を根付かすべくも無かったのは、上から下まで踏襲する長年の積弊は直には解決出来ず、人々の頭の中に痼疾して固まっていたのだ。

庁の長官などが起した不祥事は出自等が明らかにされていれば起こることの無いものだった)、盲目的に配置することは絶対に避けると認めたのだ。彼は断固として「左右両派の者達を夫々の立場を考慮し使用し、死を齎す害があろうとも敢えて避けようともせず、働いて病に臥しても止めるようともせず」に「人臣の義」の観点に立って反対し、今様の言葉で言えば「人民群衆を丸で一塊のものように、何処から何処へ運ぶ」という遣り方には反対したのであり、或いは彼は事実上個人主義を主張したので、全体主義で個人を侵害することに反対したのであって、集団の名の下に個人を損なうことが無いように配慮したのだった。

採用については既に詳しく述べたが、其のことに依って、長い間人材が不足して仕舞ったので、「其の意義を枉げない程度に一つのやり方に縛られること無く」一生懸命採用の任に当たらなければならなかった。宋の時代には中央集権制度が一層強化されたので、臣下の地位と権力は次第に萎縮し、文官の武将や上下の文武の官吏は、諸事総てに自身で決定する決断力が無く為り、総てのことで皇帝の意の侭に動くのが常と為って仕舞っていたほどで、このことも皇帝が事の大小に関わり無く、一々関与せざるを得無かった原因となったのだ。職責もつくさず徒に俸給を得て禄を貪っていた者達は、高位を守ろうと奮起することも無く、行政の仕事に励んで、其れ為りに功労を為すものもいたにはいたが、目先の安逸を取り繕うのが帝都の慣わしであったので、罷免されて人民に落された者をだすことで、進取の気風を根付きさせる切っ掛けを作ろうとしたのだ。然し、このようにするだけでは進取の気風を根付かすべくも無かったのは、上から下まで踏襲する長年の積弊は直には解決出来ず、人々の頭の中に痼疾して固まっていたのだ。

軍事上では人の任命問題での危惧はそう大きなものではならないとするのが常識であろう。所謂、軍隊には軍隊の特殊性がある為、勝つ為には将は君の命令を受けて動くことが少無く、将軍と元帥の威信を維持することが出来る筈であるのだ。宋は軍事革命で建国され、そのことを他の者が真似して仕舞うことを心配する余り、軍隊の指揮権を中央に集約したので、将校は下役を理解出来ず、更に任命権も無く、甚だしきに至っては皇帝の専権で出した割符によって戦争して仕舞い、其れでは猛者と雖敵を打ち負かし勝ちを制することが出来ようが無かったのだ。

王安石は詩《省兵》で「将は既に其の才を欠き箴言することも無く、忠誠心も無かった」と指摘したが、これは軍事の弱体化の更なる重要な原因で、青海甘粛両省に跨る川を奪い返している過程の中で、彼は各方面の圧力と、甚だしきに至っては皇帝のある種の圧力に負けずに、王韶に戦闘の権限を与えることを断固として主張して、権限を与え、結局、奪い返すことがで来たのだ。惜しむべきはその後も、神宗は将軍に権限を渡すことに過敏に為り、経験と教訓を省みることが出来ずに、只管宦官を信用して、将軍を重用することを承知せず、結局軍事の上の深刻な失敗を招いて、甚だしきに至っては神宗自身が極端に悲しみ憤って、体を傷つけ、早過ぎる死を迎えて仕舞う結末と為ったのだ。王安石は人材の教育の面で頗る盛んな時代を確実に観越し、正しく見通し、彼が政権を握る時期には多くの有能な人材を選抜して、例えば呂恵卿、曾布、王韶、薛向、李定、章征などを迎え、この人たちは全て新法を推進する中堅の力に為って、政治、経済、軍事、文化などの領域で際立った成績を遺した。彼の遺した貴重な教育の思想は特筆すべきで、中国の教育史の上で大いに取り上げるに値するものとなったのだ。


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