12月と言うのに、「ほんまに冬なん?」な気温の日に、年内最後の大阪帰り。
久しぶりの「こうのとり」は、いつもの乗車率。コロナ禍の最中は、新大阪まで私1人と言う時もあったとは思えないほど、利用者は回復している。
そして12月となればカニさんシーズンの到来。7両編成が復活しているとともに、日根野からの青帯289も応援開始で、1号→12号ダイヤでこの冬も走らせるみたい。
新大阪で、いつもの喫茶店でモーニング。
地下鉄に上がると、こいつが、、、。
簡単にはお目にかかれないだろう、と思っていた「万博」ラッピングが、いきなりのご登場。
ただラッピングされているのは両先頭車だけで、他社のように編成全体と言うわけでもないので、インパクトは今一つか。
撮影場所によっては、鮮やかなラッピングも台無し。特にホームドアのおかげで、停車中でも全体が撮れないのは、考えもの。
動物園前でも、停車中はまだいいけど、動き出すと、、、。
その動物園前も、駅改装の真っ最中。御堂筋線側は終わったみたいだが、堺筋線側はこれから。
壁面に新しいパネルでも貼るのだろうか、その準備工事をしているようだが、おかげで壁面照明(駅名板や広告板)がすべて消えており、薄汚い壁面が強調されるように。
また堺筋線のホームドアは、御堂筋線などに比べ大型。
乗り入れている阪急車とのドア位置のわずかな違いなんだろうけど、ちょっと大きいような。
天下茶屋までの一駅に乗ったのは、大阪メトロの66系。
この66系、内装パターンが結構豊富(もっとも66系に限らず、20系シリーズでも同じだが)で、一体どうしたいのか、よくわからない。
乗った車両は、ドアのみ仮称板が張り替えられていたのだが、その化粧板、
周囲の化粧板がそのままなので、ドアだけ浮き出ている。動物園があるからこんなヒョウ柄にしたのか?
阪急の内装が、きわめて落ち着いているのと対照的。
天下茶屋で南海に乗り換えると、反対側のホームにやって来たのは、
余命わずかの6000系。
この編成、前2両は6000系だが、後ろは
6300系。
6000系と6300系、数年差で誕生しているにもかかわらず、片や片開2段窓、片や両開き1段下降窓と言うデザインの差から、どうしても6000系の方が古く見える。
ただこのような楽しい編成もいつまで見れるか。
強度確保である車体下半分のコルゲートも、昭和の遺物。
南海本線の急行は、最新鋭の8300系。並んで仲良く発車していった。
難波の旭屋でお土産購入。
近鉄写真集のビスタカーがあれば買う予定だったのに、見事に売り切れ。今までのシリーズは、半年ぐらいは余裕で在庫があったのに、、、。
ま、そのおかげでこの2冊が買えたけど。
魚梁瀬(やなせ)の方は、高知県にあった森林鉄道の記録写真集。森林鉄道と言えば、どうしても最後まで残った木曾森林鉄道の印象が強いが、youtubeを見ていると、青森や秋田などともにここもよく見る。
高知の山中に
350キロに及ぶ線路が敷いてあったなんて、今となっては信じられないの一言。
車両の解説もなかなか充実しており、箱型の5トン・8トンDLなぞは、猫屋森林鉄道で模型化されてもいいぐらい。
もう1冊の北海道の方は、たまたま目に付いたもので、昭和29年の北海道の私鉄路線を訪問した記録。
昭和29年には、これだけの私鉄線があったことに今更ながら驚きが。
これだけあったのに、今も残っているのは、1つしかないというのも(多分)虚しさを誘う。簡易軌道やネムタクも含まれており、これはこれで読みごたえがある。
帰りは、天王寺から新大阪まで再びこいつに。
ただ車内は、
特に変わっていないので、あまり万博をPRする気もないのかもしれない。