NASAで訓練中の宇宙飛行士を取材にヒューストンに飛ぶ。
機内で読む本を買っていなかったので、家を出る間際に本棚をにらんで、宮内勝典の“宇宙的ナンセンスの時代”を引っ張り出す。確か宇宙飛行士を取材したルポが収められていた筈だった。
若かった頃に偶然この本を読み(おそらく日本へ帰った誰かが置いて行った)、知らず知らずのうちに、筆者のまなざしを意識しながらアメリカで暮らして来たようだ。ネイティブ・アメリカンの居住区や祭りを訪ねたり、酒を飲んでは仲間に印象的だったエピソードを知った顔で受け売りしたりしていた。ある科学者が「最終的に完成した人類とはどういったものだと思うか?」との質問に答えて、「わからない。たぶん・・・モラル。」とつぶやいたというエピソードは僕の体にずっときざみつけられている。
それこそが目指すところだ。
読み返してみると、地に足のついた、僕などがそう言うのもはばかれる様な確固たる知のベース、リズムの上に人間との会話を通した作家自身の個性が温かくあふれている。
同じ事をやろうなどと、ユメユメ思ってはいけない。足下にも及ぶまい。もとより意味が無い。僕には僕の個性があると信じたいものだ。
あの頃この本を読んで、今また再会した事がとてもうれしかった。
おこがましいのを承知で言えば、古い友達に再開した様な気持ち。
本って良いものだと思う。