アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

自分はプロの指導者なのだろうか?

2009年04月07日 12時06分04秒 | NOTE
プロフェッショナルとは何なのだろうか?
最近、時々考える。
金をもらうこと?・・・それとも・・・?

機会があれば『プロフェッショナル 仕事の流儀』
という番組を見ている。
その番組で紹介される方々は
本当に凄い方ばかり。
プロ中のプロ、と言われる方ばかり。

ただ、世の中には、著名な方々でなくても、
プロフェッショナルと言われる人達はいる。

ボランティアでも、金銭の授受はある以上、
1円でもお金が動いたら、それはプロ・・・というのも
何か少し違う気がしている。

お金が1円も動いていない状況下であっても
真摯に現場に立っている方は少なくない。

ボランティアの中には使命感も含めて、
金銭の授受が一切なくても高い意識で取り組んでいる方々は多い。

お金だけが、プロとボランティアとを分ける基準ではない、
そう思っている。

個人的には、
「どれだけ〝高い意識〟で目の前の仕事に取り組んでいるか?」
によって、プロであるか?そうでないか、
が決まるのでは・・・そう考えている。



今、チームには前のチームでの教え子が
将来のプロフェッショナルな指導者を目指して、
同じ指導現場に立っている。

自分を慕ってくれて、
自分の下で『勉強したい』と言って、
一緒に高校生達を指導している。

彼の親御さんとは直接の面識はないが、
たぶん『息子の好きなことをやらせてやりたい』
という気持ちをもって息子の背中を押している、
のだと思う。

彼もその気持ちに応えるというか、
親父さんに背中を押してもらい、
日々、指導者としての勉強を続けている。

彼の親父さんの深い愛情に感動したし、
親としてのあり方を子供を持つ一人の親として
面識はなくても間接的に学ばせていただいている。

選手達と同じように
『親御さんから預かっている・・』
そんな認識をもって、
彼に色々なアドバイスをするようにしている。

教え子である若い指導者を自分の都合よく使うなんてことは出来ないし、
無責任なこともしたくない。

時には厳しいこともあえて言うべきだと考えている。

まだ20歳過ぎの若人とはいえ、
一人の人間として彼の人格を認めつつ、
良いところはしっかりと褒め、
反対に、ダメな所は「ダメ」と
はっきり伝えるようにしている。



でも、時々悩む。

どういったアドバイスが彼を
〝プロフェッショナル〟な指導者に導けるのか?
そもそも、「導く」という発想自体が
おこがましいのかもしれないが・・・。

お金や金銭の授受のみをもって、
「プロなのか?そうでないのか?」
を区別しようとすると、
色々なところで歪みのようなものを正直感じてしまう。

交通費位しか出ていないのに、
「少ないとはいえ、金もらってんだから〝プロとして〟の意識をもって・・」
というのも、その言葉を受け取る側からすると
『バイトの方がよっぽど金もらえるんですけど・・』
と言いたくなるはず。

今、自分が関わっている現場がプロを育成する現場であるなら、
『あえて今は無給で修行しろ』と言えるが、
自分の今の指導現場は
アマチュアの高校のサッカー部である以上、
そのような論理は正直、説得力を持ちにくい。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出ておられた方々も
高いサラリーによって、
御自身の仕事の質を高めようとされたのではないと思う。



では、そもそも『プロフェッショナル』とは何なのだろうか?

アマチュアのボランティア監督に過ぎない自分に
『プロッフェッショナル』を語る資格があるのか?

矛盾しているようであるが、
それでも、教え子が〝プロの指導者〟を目指している以上、
彼の目指す未来に繋がるようなアドバイスをできればと思うし、
一緒に過ごした時間と経験が彼の将来への土台になってほしいとも思う。

そのためには
まずは自分自身が〝プロフェッショナル〟であろうとすることが
大切なのかもしれない。

自分自身が
〝プロ〟とは何か?その要件は?その資格は?
その答を探し続けなければならない。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』という番組の中でも
番組の最後に『プロフェッショナルとは?』と聞く場面があるが、
その答は登場された方によって異なる。

ただ、自分の記憶では金銭のみを、その要件にされた方は一人もいない。

何をもって、〝プロ〟というか?
ということについては
その方の生き様みたいなものと結びつき、
人によってその定義が異なる、
というのが現状なのだと思う。



だとすれば、自分自身の〝プロフェッショナル〟の定義という
問いに対する金銭以外の答を
自分自身で探す作業こそ、
〝プロフェッショナル〟として大前提なのかもしれない。

交通費位しか出ていなくても、
金銭以外の部分で〝プロフェッショナル〟であろうと
しなければならない。

自分の目指す〝プロフェッショナル〟とは何なのだろうか?
未だに明確な答は見つかっていない。



ただ今は「チームにとってプラスを与えることのできる」指導者が
〝プロ〟としての最低限のラインなのだと、考えている。

たぶん「チームと選手を成長させることができない」指導者は
〝プロ〟とは言えないのではないか、そんな気がしている。

自分の技量や経験でチームや選手を成長させることができないなら、
選手やチームに対する愛情や愛着があったとしても、
チームを去る決断をするのが、
〝プロ〟ではないだろうか。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出てくる方々は
形は違えど、関わる人々に何らかの「プラス」を与え続けている。



また同時に、〝プロフェッショナル〟の方々の仕事は
周囲に「プラス」を与え続けるだけでなく、
〝プロ〟としてのチャレンジが自分自身にとっても
「プラス」になっている。

それもまた〝プロフェッショナル〟としての条件だと思っている。



ただ、何が自分自身にとっての「プラス」になるのか?
それは人によって異なる。

<生きがい>や<自分自身の描いている夢に近づく1つの過程>
という場合もあるかもしれないし、
また、<必要とされること>や<金銭的に評価されること>で
<やりがい>を感じることがあるかもしれない。

チャレンジに<やりがい>や<生きがい>を感じることで
チャレンジが自分自身にとっても「プラス」になる。

反対に、周囲の期待を背負いながら、
身を削るような思いでやってきていても、
その日々のチャレンジが
自分にとって「プラス」に感じられないのであれば、
その現場を去るのも、
〝プロ〟としての1つの決断かもしれない。



教え子である駆け出しの指導者には
彼なりの<夢>や<やりがい>もあるはず。

できることなら、
今一緒に指導している時間が
選手達にとって「プラス」になるだけでなく、
彼にとっても「プラス」になるものであってほしい。

また、親御さんから若い指導者を預かっている以上、
教え子にとっても「プラス」になるような
背中の押し方をしていきたいし、
言葉を掛けていきたい。



もちろん、私自身も〝プロフェッショナル〟としての意識は
持ち続けたい。

私自身が〝プロ〟意識を持ち続けてこそ、
若い指導者にもいい影響を与えられる。

どうすれば、選手一人一人を、チームを
「成長」させることができるのか?
日々模索していきたい。

選手とチームに「プラス」を与える方法を
探し続けたい。



もし、選手を「成長」させることができず、
チームに「プラス」を与えることができなくなったら、
その時はチームを自分から去るつもりではいるし、
去らなければならない。

「ボランティアだから・・」
「別にサッカーで食わしてもらっている訳ではないから・・」
という言い訳をしながら、
現状に満足し、チャレンジする気持ちを失ったとしたら、
言われる前に辞めるべき。

また、自分の追い求める夢と現状が離れた始めたら、
決断をしなければならない。



たぶん、教え子である若い指導者と一緒にできるのは
早くてあと1年、長くても2年位。

身体の問題等もあり、
私自身もいつまで今のチームで指導できるかはわからない。

身体が言うことを聞かなくなったら、
自分と周囲に甘えずに、
現場を離れる決断をするつもりでいる。

かろうじて身体が言うことを聞いてくれている今は
〝プロフェッショナル〟としての意識を持ちながら、
選手を、チームを「成長」させられると信じ、
そして自分自身も「成長」できると信じ、
頑張りたいし、悩み続けたい。


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