アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

負けて失うもの、負けて得られるもの

2008年09月16日 13時58分44秒 | 指導記録
昨日、ユースリーグの試合があった。



相手は同じ高1とはいえ、試合開始してすぐに
技術的にはかなり差があるとわかるような対戦相手だった。
もちろん、スピード感も体力も
相手の方が2枚も3枚も上。



10点差を付けられてもおかしくない、
キックオフ直後の印象だとそんな感じだった。



実際、立ち上がりから20分過ぎまでは
相手に圧倒された。



たてつづけに失点する場面もあり、
選手のテンションがどんどん下がっていくのが
外から見ていてもよくわかった。



それでも、
勝ち点3が遠のくにつれて、
選手達は開き直ったのか、
少しずつ相手の技術やスピードに対応し始めてきた。



練習している前線からのプレスと
チェイシングと連動したラインコントロールを
少しずつ意識できるようになってきていた。



ハーフタイムで、
「選手達には練習してきたことはしっかりやろう」
「できれば、1点は取ろう」
ということだけを話して、
選手を送り出した。



後半立ち上がりは少しふわふわしていたが、
気持ちが落ち着き始めると、
練習でやってきたこと、
チームでやろうとしていることを意識し始めた。



外から見ていても、
「このままじゃ終わらない。終わりたくない」
という気持ちが伝わってきた。



自分が指導してきたチームに強いチームはない。



いつでも、都大会常連の強豪チームに歯が立たないことがほとんどだった。



前のチームを指導し始めた頃、
『どうせ勝てない・・・』
『俺達はどうせダメ・・・』
『どうせ・・・』
選手のそんな口癖や態度を
聞いたり、見たりしているのが辛かった。



サッカーは強いチーム、上手い選手だけのものじゃない。
弱いチームも頑張ればいい試合ができる、
もしかしたら勝てることもある。
上手くなることで、試合に勝つことで
自分達の成長を感じることができる。



サッカーで自分達の成長を感じることができれば、
サッカーがもっともっともっと好きになるはず。



好きで始めたサッカーで
叩きのめされ、プライドをへし折られ、
自分の可能性を否定され続ければ、
誰だって辞めたくなる。



適当にやって、
本気じゃない自分の姿で
なんとか自分の気持ちをごまかし続けてしまう。



絶対に違う。



自分も下手の横好きで40年近くサッカーを続けてきたが、
サッカーで自己否定されたことは一度もない。


世界中でサッカーがプレーされているのは
現実の厳しさを学べると同時に
自分の可能性を信じられるからこそ。



選手達には自分達の可能性を低く見積もらないでほしい。
自分達の可能性を信じてほしい。
サッカーを好きでいてほしい。
そう思って前のチームでも指導してきた。



自分の指導の原点というか、
根本的なモチベーションの部分を
後半の選手達の頑張りを見ていて思い出すことができた。



選手を動かすための声ではなく、
一人のサポーターとして
後半は選手達に声を出し続けた。



疲れもあったのか、
後半は選手達の声がだんだんと少なくなっていってしまったが
選手達のプレーには何かが伝わるものがあった。



「どんなに下手でも、
 どんなに点差がついていても、
 できることがある。
 伝えられるものがある。
 きっとあるはず・・・。」



そんなメッセージが伝わってくる試合だった。



結局、後半も追加点を奪われたが、
対戦相手にも、応援している味方にも、
何かが伝わる試合だったと思う。



勝ち点3は失ったが、
それ以上の何か大切なものを得られた試合だった。



人生においては
何かを得ることで失うものもあれば、
何かを失うことで得られるものもあるはず。



練習でも、試合でも
できることなら、
失うものよりも得られるものの価値や有難さが
わかるようにできればと思う。



試合に出ているいないにかかわらず、
選手達やスタッフ、応援してくれている人達に
ほんの僅かでも何かが残る時間を積み重ねていきたい。



大切な何かに気がつくことができる、
大事なものを思い出すことのできる、
サッカー部の時間がそうなれればと思う。


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